パキスタン北西の街ペシャワールにやってきました。ここは、アフガニスタン国境がすぐ近くにあり、住民のほとんどがアフガニスタン人と同じ系統のパターン人です。言葉もパキスタン公用語のウルドゥーではなくパターン語を話します。彼らは”世界最大の部族”なのだそうです。そして、ここペシャワール最大の特徴は、ここが”部族の掟”が支配する町だということです(旅行者が宿泊するような町の中心部は違うようですが)。政府が定めた法律は意味が無く、警察も無力なのだそうです。(そういった理由から、ここはテロの温床と見られているらしい。)ペシャワールへ向かうバスで、隣の席になったパキスタン人(パンジャーブ地方在住)は、「ペシャワールなんて行かない方がいい。あそこは危ない。パンジャーブ地方で下車しなさい。」と言ってくるほど、パキスタン人にも恐れられているみたいです。
本来なら、このような危ない場所には近づかずに旅をしたいところなのですが、しかし、パキスタンを旅したことある旅行者から、”ペシャワールにはババジイという名の部族出身のじいさんがいて、彼が日本人専門に”部族の掟が支配する地域”をガイドツアーしてくれる。彼なら部族の支配者達にも顔がきく人だから安心だ。”と聞いていたので、これは是非ともその”ババジイツアー”に参加しなければいけないと思い、やってきたのです。
パキスタン人(パターン族)
町並みの写真を撮っていると、必ず周囲のパキスタン人が「ハロー!俺の写真を撮ってくれよ!」と言ってきて、しばらくミニ撮影会みたいになります。
安宿街に着いて、ガイドブック情報から泊まろうと思っていた安宿に行くと、”フル(満室)”と言われてしまいました。その次に目をつけていた宿も”フル”。仕方なく、適当にその辺のホテルを何件か尋ねても、”フル””フル”の繰り返し。インド・アッサムの悪夢が甦ります(20件ホテルを尋ね歩いて全てフルだったので仕方なく宿泊せずに夜行バスで移動した。しかも、その夜行バスが地獄のようにきつかった)。そこで、ガイドブックに乗っているちょっと高めのホテルにトライすることにしました。今日は5月17日。つまり明日(5月18日)が僕の誕生日なのです。せっかくなので、自分へのささやかな誕生日プレゼントとして、ちょっと高めの部屋に泊まることにしました。尋ねてみると幸いここには空き部屋があったので、最初に予定していた宿の2.5倍の値段のテレビ付きのシングルルームにチェックインしました。2.5倍といってもたったの一泊650円ですが。
この日は、ピンディーからの長距離移動とホテル探しで時間が遅くなっていたので、ババジイ探しは翌日にすることにしました。さて、そのババジイの見つけ方なのですが、ピンディーで同じ宿だった日本人旅行者がネットで調べて教えてくれていました。その情報によると、”ペシャワール新市街のサダルストリート沿いのモスクの裏のジュース屋に現れる”とのことでした。たったそれだけの情報で本当に見つかるのかどうか怪しいですが、なんかそういう人探しって地元の人達に聞き込みとかしたりしてちょっと楽しそうですよね。
ペシャワールのメインストリートを無数に走っている超派手なバス。
ラホールにもピンディーにも多少はこんなのはありましたが、ペシャワールにはこんなバスばっかりでした。そのせいもあり、僕の中のペシャワールはとても華やかなイメージです。
予定の2.5倍の料金の部屋。しかもテレビ付き。外は、暑くて空気が汚くて人と車が多すぎる、とくれば部屋でゆっくりとくつろぐしかありません。しかし、やはりここはパキスタン。例のごとく停電問題が待ち受けていました。停電すると、電気はもちろん、テレビも消え、ファン(扇風機)は止まり、蚊が現れ、部屋は温室のようになり、とてもじゃないけどくつろげる状態ではありません。そのような停電時間が1時間続き、その後電気が2時間つき、また1時間の停電、というサイクルが24時間続くのです。ペシャワールは最高気温が40度、最低気温が28度と、ラホールに比べると暑さは多少ましなのですが、僕の泊まっている部屋が残念なことに西向きなので午後の太陽光をたっぷりと吸収しており、夕方から夜にかけての部屋の中の暑さはラホール並みに感じます。こう停電が多いと何もする気が起きないので、さっさと寝ようとするのですが、停電でファンが止まると暑くて寝れません。頭や腕、足に水をかけて、体を冷やしてから寝ようとしてみましたが、ものの5分で濡れていた部分は乾いてしまい、元通りの暑さになってしまいます。そうなると、全然寝れません。そこで、最終手段として、Tシャツとパンツを着たまま全身にシャワーを浴びて服ごと濡らす作戦に挑戦してみました。ひょっとしたら風邪をひくかな、と心配でしたが。しかし、この作戦は見事に成功し、なんとか風邪を引くことなくしばしの安眠を得ることができました。(それでも完全な熟睡は無理ですが)
翌朝、ババジイを探しに新市街のサダルストリートへ向かいました。モスクらしき場所はすぐに見つかり、その裏には情報どおりジュース屋がありました。さあて、聞き込みを始めるぞ、と近づくと、なんと、ジュース屋のおっちゃん達の方から「お、日本人。ババジイか?」と声をかけてくれました。「ここで待っていたら、そのうち現れるよ」と言われました。僕のような日本人がしょっちゅう現れるみたいで、向こうも事情が分かっているみたいでした。ちょっと拍子抜けしましたが、まあ、良かったです。おとなしく待っていると、パキスタン人が次々と話しかけてきます。本当に、パキスタン人は人懐っこくて、外国人と話すのが好きみたいです。そのうちの1人が日本語ぺらぺらでした。どうも7年くらい日本に住んでいたみたいで、色々と仕事を経験した末に新宿や六本木で盗難車の横流しをしていた時に警察に捕まって、パキスタンに送り返されたみたいです。日本では、散々遊んだらしいですが(不良外国人)、今はパキスタンで大学の教師をしているんだそうです(善良国民)。ジュースおごってもらったし、良い人でした。
ババジイ出没ポイントのジュース屋
ということで、1時間ほど待っていたのですが、ババジイは現れず、明日の朝10時にはババジイが来るから、また明日来い、ということになり、とりあえず僕は引き返しました。
外をぶらぶら歩いていると、あまりにも暑いので(本日は快晴)食欲が全く無くなり、パン屋でフルーツサラダとシュークリームとミロ(日本でも売っている緑色のパッケージの飲物)を買って、公園の木陰で食べることにしました。その小さい公園には木陰もベンチも一つしかなく、そこにはパキスタン人二人組の先客がいました。僕があいさつをして隣に腰掛けると、彼らはすぐに話しかけてきました。本当に外国人にオープンな国です。彼らは20歳の大学生で、明日が試験なので、その試験勉強をしているのだそうです(よくこんな暑いところで勉強ができるなあ)。日本人が隣に座ったので、勉強が手に付かなくなってしまったみたいで、なんやかんやと次々と質問して来ました。「名前は?」「日本のどこから来たの?」「兄弟は?」「日本での仕事は?」「宗教は?」「パキスタンをどう思う?」「(僕)暑い。」「ははは!確かに暑い。じゃあ、パキスタン人のことはどう思う?」「(僕)フレンドリーだし、親切だし、好きだ」「うんうん、そうだろう。」
そんなパキスタン人の学生二人組。
あと、”日本では結婚はどうやってするの?”と聞かれて、ちょっとびっくりしました。初めは質問の意味がわからず、しばらく考えた後答えました。
「普通に誰かとどこかで出会って、その人と上手くいけば結婚するよ。」
「へー、簡単なんだね。」
「(笑)まあ、簡単かもね。パキスタンは違うの?難しい?」
「僕らの結婚は親が勝手に決めるからね。自由な恋愛はできないんだ。」
「じゃあ、今彼女いないの?」
「もちろん!!」
そういえば、インドで出会ったインド人(かなり裕福な高カーストの人)も、「インドでは結婚はほとんど親が決めるね」って言ってました。
彼らに「何歳?」と聞かれた時に、あ、そういえば今日から33歳だ、と思って、「今日から33歳。今日が誕生日なんだ。」と言うと、「ハッピーバースデー!」と言ってくれました。このことだけで、なんだか今年の誕生日は満足できました。去年の誕生日は、アルゼンチンの寒風吹きすさむ丘の上で孤独に震え、左右の目の色が違う綺麗な白猫だけに祝ってもらった(実際は祝われてない)ことを考えると、今年の誕生日は(いろいろと)ホットな誕生日になったような気がします。
しかし、誕生日ディナーとしてルームサービスでちょっと豪華にフライドライスでも食べよう(約200円)と思ったら、まさかの停電が起きました。そして、下の写真のような状態に。
一見すると、キャンドルライトでの食事は誕生日っぽい雰囲気ですが、暗いホテルの部屋で1人で汗を垂らしながらの食事は、あまり誕生日っぽい楽しさはなかったです。
翌朝、昨日のジュース屋に行ってみるとババジイはすでに来ていて「おーい。わしがババジイじゃ!」と声をかけてきました。真っ白なあごヒゲを胸の辺りまでたっぷりとふさふさと蓄えている老人でした。噂どおり足が悪いみたいで杖をついてひょこひょこと歩きます。しかし、思ったよりも元気で声には張りがあり、灼熱のペシャワールを僕を先導して歩く姿はなかなか力強かったです。
ババジイと僕は、例の派手なバスに乗ってアフガニスタンとの国境にさらに近い場所へと行きました。そこは、アフガニスタン難民が多くいる地域で、そんなアフガニスタン人によるアフガニスタン人のためのバザールがありました。
アフガンバザール
子供も大人も働いております。
ここでは、小さい子供も大人に負けずに働いており、例えば”段ボール箱を1kg分集めれば2ルピー(約4円)の収入”など、学校も行かずに健気に働いていました。
アフガンバザールの奥からは、いよいよ”部族の掟が支配する地域”です。そこには、スマグラー・バザールという密輸品市場があり、その奥にある小さな家に連れて行かれました。そこには、ただならぬ雰囲気を持った数人の屈強な男達がたむろしていて、そのうちの1人はライフルを肩に下げて鋭い視線を僕に送ってきました。ババジイは、その内の中肉中背の30代半ばに見える1人を「彼が、部族の長だ。」といって僕に紹介してくれました。握手をした時の彼の握力は、僕がこの旅でしてきたいくつもの握手の内で最も強かったです。ババジイは、「ここでは、警察も何も出来ないのじゃ。部族の掟、つまりタリバンの掟がここでは全てなのじゃ!」となぜか誇らしげに言いました。ここで、狙撃銃やマシンガンを持たせてもらい写真を撮ってもらいましたが、どちらもとても重かったです。彼らに「重いね。」と言いながらそれらを返すと、彼らは「弾が入っているからな。」といってマシンガンのマガジンには実は弾が満載されていたのを見せてくれました。うおぉ、こ、こわい。。。
そうした緊張した空気の中、タリバン(?)の男達と緑茶(アフガン人は緑茶を好む)をいただいていると、部屋の外から別な男が「おい、ちょっとこっちへ来て。」と僕を呼んできたので、ババジイを置いて1人で彼についていくと、別室へ連れて行かれました。その部屋はとても埃っぽく、いくつかの棚とベッドが置いてあるだけの簡素な部屋でした。ベッドに座らされると、彼はビニール袋に入った大量のハシシ(マリファナをチョコレート状に加工したもの)や、ペンの形をした銃や、偽札などを僕に売りつけてきました。ペン型銃にだけはちょっと興味があったけど、値段がちょっと高かったので、結局何も買わないことにしました。すると彼は、すぐに諦めたようで「オッケー。じゃあ、またな。」と言って別れの握手を求めてきました。それに答えると、彼は僕に抱きついてきて「日本人は、いいやつだ。また戻って来いよ。」などと僕の耳元に囁きながら、抱いている腕の力を強めて体の密着度を強め、彼のあごヒゲを僕の首筋にこすりつけてきました。その上、息も荒くなり「はぁはぁ」などと言っております。で、でたぁ・・・。ついに、パキスタンのホモに遭遇してしまった・・・。それも、こんな部族の掟が支配するよな場所で。うげえ・・・。さらにそのホモ野郎は、僕の背中をまさぐりながら、あわよくば尻も触ってやろう的な動きを見せ始めたので、僕はなんとか彼から体を離し、ババジイのいる部屋へ慌てて逃げ帰りました。ババジイは、そんな僕の様子を察したのか、すぐに別の場所へと僕を連れ出してくれました。その際に、「あいつはクレイジーだから気をつけろ」と言いましたが、先に言っておいて欲しかったなあ、その言葉。
大量のハシシを売ってくるホモの部族員。目が怖い。
スマグラー・バザール(密輸市場)にて、普通に爆弾を売っている商店(ババジイいわく)
ピンク色をしたたまねぎ状のものが爆弾なんだそうです。ババジイいわく。
密輸市場でぶらぶらと買い物して、次に僕らが向かった場所は銃工場でした。一見すると閑静な住宅街のような雰囲気の一角が、実は銃工場が密集している場所なのでした。そのうちの一つの高級住宅っぽい中に入り、地下室に下りていくと、その思ったよりも広い地下室の中には多数のベッドとゴザが敷いてあり、そこで10人ほどのごろごろとしているパキスタン人がいました。一見すると、全く銃工場には見えないし、銃を造っているという雰囲気も全く感じられない締まらない感じなのですが、近づいてよく見てみると、確かに2、3人のパキスタン人は手作業で銃を造っていましたし、壁には多数の銃が立てかけてありました。
銃工場。なんだか締まらない雰囲気。
完全手作業で銃を造る人。
そして、ライフルと拳銃を撃たせてもらいました。
撃った時の反動の衝撃はとても凄かったです。
次に向かったのは、トラックのペイント工場です。パキスタンでは前述のバスだけではなく、トラックも非常に派手な装飾になっていて、その装飾工場の見学です。
パキ版デコトラ
斜め上に突き出している部分は空力上問題がありそうな形状ですよね。
トラックペイント工場では、子供達が主力として働いていました。
みんな真面目に、しかも楽しそうに働いていました。
ツアーの締め括りはアフガン食堂での昼食でした。アフガン料理は、チャパティと肉や野菜の炒めたもの(または煮込んだもの)という感じで、特徴はテーブルやイスが無い中で地べたに座って食べるというスタイルです。
アフガンスタイルの食堂
ババジイ近影
「ぼうず、インターネットでワシのことをよおく宣伝しておいてくれよ!」
というわけで、約4時間に亘るババジイのツアーは終了しました。想像以上に刺激的な体験だったし、暑かったし、寝不足だしで、僕はヘトヘトに疲れてホテルに戻り、全身に水を浴びてベッドに倒れこんだのでした。
ペシャワールは、ギンギラのバスが無数に走っていたり、部族地域があったり、人がひっきりなしにかまってきたりと非常に面白い場所でしたが、同様に非常に疲れる場所でもありました。
今は、ついにパキスタンの暑いエリアを抜け出て北部山岳地帯にいます。涼しくてめちゃくちゃ過ごしやすいです。風景もとても良いです。そして、3週間ぶりにようやく熟睡できました。