9月の終わり。暑く長かった夏も少し落ち着き始めたかという頃、少し身体を動かしたい、歩きたいという気持ちになって、保津峡に行きました。
京都駅からJR嵯峨野線(本名は山陰本線)の電車で外国人旅行者にまぎれて保津峡駅を目指したのでした。天気は曇り。予想通りに嵯峨嵐山駅で外国からのお客さんは半分くらい降りていきました。嵯峨野、嵐山、外国から来る人にはそんなに面白いところかねぇと思います。年々、ハリボテ感が強くなるというか、取ってつけたような飲食店やお土産物屋さんが増えてくると思うのは、すでに私自身が時代から取り残されている証拠なのでしょうか。
嵯峨嵐山駅を過ぎて、トンネルをふたつ抜けたら保津峡駅。こちらには外国人も日本人もほとんどいないはずです。トンネルを抜けて駅。写真のホームが上り側(京都方面行き)ではないかと指摘されるあなた!あなたは正しい。
トンネルを出たら保津峡駅は雨でした。山間部ですからにわか雨でしょうか。電車が停まるまでの間どうするか考えて、亀岡まで乗り過ごしそう、そこで天気回復を待とうと結論を出しました。トロッコ乗り場の馬堀駅を過ぎたら次は亀岡駅。駅の隣に大きな競技場ができたものの、駅前は昭和の頃からあまり変わっていない様子。ミスタードーナツで一休み。このお店の昭和感がいいわぁ。コーヒーを飲んで、しばらく町をうろうろ。こういう町は落ち着きます。
一時間ほど亀岡で過ごし、青空が見え始めたので、保津峡まで戻った写真がこれだったのです。ホームは保津川にかかる橋の上。
下車したのは私一人。駅付近にも人気はありません。ここから保津川沿いに下って、山をひとつ越えて嵯峨野に向かいます。最初に渡った橋はなにやら変わった橋だそうです。保津峡橋。しかし下を流れる川は保津川ではなく支流の水尾川。この橋はフィーレンディール橋という作り方の橋で、日本ではあまり見られないタイプだそうです。そう言われればそんな気もします。
橋を渡ったら右へ。ここからトロッコ保津峡駅まで800m、嵯峨野の鳥居本まで3.5kmと案内が書かれていました。鳥居本までは徒歩で1時間だそうです。京都府道50号京都日吉美山線という道路。斜面を穿って作ったような細い道を下っていきます。徒歩の人はいませんが、時折バイクや自動車が走ります。
この保津峡とJR宝塚線(本名福知山線)の武庫川渓谷のイメージがよく似ていて、私は時折混乱します。こちら保津峡のほうは、京都の町中から一気に渓谷に入ってトンネルを潜りながらやがて亀岡の町に出る。一方のJR宝塚線は、大阪平野から宝塚の町を過ぎると一気に渓谷(というよりトンネルばっかり)に入り、やがて三田の町に出ます。どちらも複線電化されていますが、かつては非電化区間の渓谷を縫うように単線が走っていました。
ウィキペディアからの情報を整理してみると次のようになります。
保津峡 | 武庫川渓谷 | |
走っている路線 | 山陰線(嵯峨野線) | 福知山線(JR宝塚線) |
旧線時代 | 単線非電化 | 単線非電化 |
新線 | 複線電化 | 複線電化 |
新線への架け替え時期 | 1989年3月(電化は1990年3月) | 1986年8月 |
旧線の現在 | トロッコ列車(嵯峨野観光鉄道) | 結果的にハイキングコース |
川の上の駅 | 保津峡駅 | 武田尾駅 |
新線に架け変わったのも、国鉄民営化前後でよく似た時期。トンネルとトンネルの間、つまり川をまたぐ橋の上にプラットホームをもつ駅ができるのも、地形的に似ているのですから当然かもしれません。
道路から木々の間に、川の向こうの保津峡駅が見えます。武田尾駅によく似ています。この下を保津川下りの舟が流れていくのだと思いますが、昨年3月の事故の影響でしょうか、舟の姿は見えません。乗船地に近い馬堀駅でも多くの人がいたように思いますが、その人たちが舟に乗らないとしたらどこへ行くのでしょう。
道路は舗装路。人は誰も歩いていません。「落石注意」に「ガケの突起に注意」の案内板。いろいろ気を付けて歩かねばなりません。短いトンネルがあって、その中を歩いている時に私を追い抜いて行ったのは郵便配達のバイクでした。不法投棄を戒める看板もあって、それがあるということは処分に困ったものや不要になったものをこの辺りに捨てにくる人があるという証拠でもありますね。確かに、この斜面から放り投げてしまえば、木々に埋もれて見えなくなります。人間がうっかり落ちようものなら、見つけてももらえないだろうということでもあります。路上にまだ青い栗のイガイガが落ちています。地層が露出しているのが見えますが、それもこの辺りの地層は縦になっています。堆積したものが90度回転したのでしょう。タモリさんならどうコメントするのでしょう。
800m歩いたのでしょう。「トロッコ保津峡駅はこちら」の案内が出てきました。吊橋の向こうに駅があります。この駅は旧線時代にはJR保津峡駅だったものです。
映画、「蒲田行進曲」で、ヤスが小夏を連れて故郷に帰った駅がここだった。当時、まだ映画館は入替制ではなかったようで、私が劇場に入ったのは、このシーンの時でした。なんで保津峡で騒いでいるの?と不思議でした。映画をもう一度初めから見てわかったのは、ヤスの故郷は人吉という設定で、保津峡がロケ地に使われたのだということでした。エキストラが賑やかに、ヤスと小夏を迎えたように記憶します。この吊橋を軽トラが走ってなかったっけ?
その「人吉駅」に私は今一人で立っています。トロッコ列車の到着時間にもまだ時間があります。駅のホームに立っても、ほかには誰もいません。「旧」保津峡駅、かつては列車の交換ができるようになっていてホームはその両側にありました。しかし現在、トロッコ列車は一編成しかないので交換の必要もない。一方の線路ははがされ、その分川側のホームを広くしてあります。山側のホームは使用されていないようです。乗客のための跨線橋も出番がありません。駅に書かれた案内によれば、この駅は近畿の駅百選の認定駅だそうです。名所ということですね。人のいない名所?
1981年5月の連休の一日だったと思いますが、仲間数人と当時の国鉄保津峡駅で降りて、今日のコースを歩き嵯峨野へ出たことがあります。記憶にもあまり残っていないのですが、途中の山道で冷やし飴を売っていたということだけは覚えているのです。後にも先にも、冷やし飴を売っているシーンに出会ったのはこの時だけです。
トロッコ保津峡駅から対岸に渡るこの橋の名は鵜飼橋というらしい。43年前に歩いたはずの橋なのだろうか、それとも架け変わって新しい橋なのだろうかと思っていたら橋の横の目立たない場所に銘板がありました。1956年に京都市が架けた橋だと書かれています。ということは、かつて私もこの橋を渡ったわけですね。そして「蒲田行進曲」のロケもこの橋で行われたということになります。橋の中ほどで保津川を見下ろしてみる。上流から保津川下りの舟が一艘だけ近づいてくる。やはり舟の数は少ない。週末でこの数はないだろうと思っていたら、乗船客の最前列の2人がこちらに手を振っています。周辺には私以外誰もいない。私も大きく手を振って返しました。ええ年をして恥ずかしいような、でもちょっとうれしいような気分。下流側にはこれから上る山がどーんと腰を下ろしています。頂上付近に展望台のようなものが見えるのは嵐山パークウェイ。その少し下に、カーブミラーが見えるところはきっと、これから歩くところに違いない。
しばらくすると、嵯峨方面行きのトロッコ列車がやってきました。乗降客はありません。ディーゼル機関車が音を上げて出発すると、風景の中にいるのはまた私だけ。
(つづく)
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