

では、元の道、府道50号線に戻って先へ進みましょう。この道路沿いには人家はありません。姫路ナンバーのバイクが数台、追い越していきました。その先はトンネル。

トンネルの手前に、ぐるっと回り込む未舗装路。きっとトンネルができる前の道に違いないと思って進んで行くと岩場。

保津川がよく見える場所ですが、岩の上に不思議な植物。地面から立ち上がった葉っぱが一枚だけ。それがみんな太陽のほうを行儀よく向いている。おとぎ話のようでもあり、不気味な生物のようでもあり…。あとで、会社の生物好きに写真を見せると、ヒトツバという名のシダの仲間だと教えてくれました。結局この道は行き止まり。戻ってトンネルを潜りました。

トンネルを出ると落合橋という朱塗りの橋。橋を渡ったところに、小屋のようなものがあり、かつて飲み物の自販機が置かれていたようです。自販機が活躍するくらい飲み物の需要があったわけですね。保津峡と鳥居本と清滝のルートが交わるところですから。今は閉じられているということは、この辺りを歩こうとする人が今は少ないということなのでしょうか。

その小屋の右に、「芭蕉翁の句碑」と書かれた石碑がある。ところがその句碑、すっかり朽ちてしまって文字も何も見えない…肝心の句碑が朽ちてしまってはどうにもならないじゃないかと残念に思ったのですが、これか早とちり。「芭蕉翁の句碑」と書かれた石碑の一番下に矢印が書かれていて、もっと奥まで行けという意味の碑だったということに、帰って写真を確認して気づきました。植えの写真でも矢印を確認できるでしょ。あきませんね。恥ずかしいことです。写真を撮っても肝心な情報を見ていません。

この落合橋から先が高度をかせぐ道なのです。いわゆるつづら折り。駅を降りてからここまでまったく聞かなかったのに、ミンミンゼミが一匹鳴きだしました。想像してみてください。汗がにじむような坂道にミンミンゼミのBGM。国土地理院の地図で確認すると、落合橋の標高が49m、このコースのサミットになる六丁峠の標高が172m。標高差はせいぜい120mくらいです。

カーブミラーのところまでやってきました。腰を下ろす場所があればいいなと思ったのですが願いはかなわないものです。そこから見下ろすと保津川も自分が歩いてきたルートも見えます。トロッコ保津峡駅も見えます。トロッコ列車は上り下り合わせて一時間に2回しか来ないのでタイミングが合いません。が、思いだした風景があります。かつて『鉄道ジャーナル』だったか、『旅と鉄道』だったかの表紙にこの辺りから(当時の)保津峡駅に停車する夜汽車を撮った写真があった。客車列車の尾灯の赤まで見えていた(と思う)。跨線橋も見えていた(と思う)。しかし、木々が成長したせいで、この位置から駅の跨線橋は見えません。

道端の枯れ木のてっぺんにトンボが止まっています。秋です。嵯峨野観光鉄道の緑色の橋がちらっと見えて、またまた不法投棄を戒める警告、そして防犯カメラを過ぎると、六丁峠。

頭上を嵐山パークウェイが通って、その先は下り坂。気温は27℃と表示されています。案外あっさりとサミットにたどり着きました。

今度は薄暗い中を下りていきます。北山杉なのでしょう。木立の中は涼しい。ツクツクボウシが寂しげに鳴いています。麓から拡声器の声が聞こえる。学校の運動会のようです。道端の楓の葉を観察すると、葉の中に虫に食われたのか網状になっている葉が目立ちます。今年は夏が暑すぎたのかなぁ、虫の発生が多かったのかなぁ。奇麗な紅葉にならないのかも知れないと思いました。

嵯峨天皇の皇后の陵、嵯峨陵を過ぎるともう鳥居本。人里に下りてきました。保津峡駅を下りて鳥居本の平野屋さんの前まで、歩いている人には一人も会いませんでした。

この鳥居本は伝統的建造物群保存地区に指定されているそうです。名称は嵯峨鳥居本伝統的建造物群保存地区。確かに、そんな佇まいではあるのですが、歩いている人は外国人ばかり。いや外国語を話す人ばかりというべきですね。それもスペイン語かポルトガル語のようなラテン系の言葉のような気がする。通り過ぎる人たちの会話を聞いていてもなぜか英語もアジア系の言葉も聞きません。さきほど嵯峨鳥居本町並み保存館に入ってみたら、スタッフの女性は、「今日初めて日本語を聞いた」とおっしゃいました。お昼はとうに過ぎているのにですよ。この辺りで見た日本人と思われる人は、この保存館のスタッフと水道工事関係と思われるおじさんと、宕山の参詣帰りと思われる初老の男性の3人きりでした。向こうから歩いてくる若い男性は、京都駅から同じ電車に乗っていた兄ぃです。案外世間は狭いもんです。もう少し下ったところで、やはり京都駅からの電車で一緒だったカップルにもすれ違いました。

嵯峨嵐山駅から鳥居本地区までは歩いてくるには距離がありますから、人は少な目だったのですが、化野念仏寺辺りになると少しずつ密度が高くなってきます。二尊院辺りになると有名観光地という感じになって、小倉池辺りではかなりインターナショナルな雰囲気。インバウンドが多すぎてさまざまな支障があるとよく聞きますが、日本にいながら多くの外国語を生で聞けるのだと考えれば少しは気分も楽になるというもの。

二尊院辺りで道端の楓を観察してみました。こちらは緑の葉っぱに縞模様が入ったような感じでした。暑さのせいでしょうか。奇麗に紅葉しないのではないかと心配します。
私が嵯峨野というところへ初めて来たのは、1976年の夏だったと思います。なんと昭和時代です。叔父に連れてきてもらって、直指庵だの祇王寺だのに行ったような気がするのですが、当時「嵯峨野さやさや」はすでにリリースされていました。愛染蔵のCMでよく聞きました。きっと、そのころ嵯峨野がブームだったのかもしれません。その感覚が正しいかどうか、私には同じ京都でも町中とは違う寂れ感が魅力に思えました。それから40年以上たって今、私には寂れ感は感じなくなってしまいました。どうしてでしょうね。

以来、何度も嵯峨野辺りには行きましたが、だいたいコンスタントにオーバーツーリズム状態でした(昔はそんな言葉なかったけれど)。しかし、外国からのお客さんでいっぱい。JR嵯峨野線もほぼ満員状態。「あの山陰線が」と時代の変化に驚くことです。JAPAN RAIL PASSではJRしか乗れませんから、このパスを使う外国人はJRに集中するのでしょう。
どうにか嵯峨嵐山駅まで帰ってきました。ジオラマ京都JAPANに入ってみようかなと思ってたのに平日は休館でした。土日祝日のみ営業だそうです。そして隣のトロッコ嵯峨駅の待合室はほぼ満杯。つまり、こういうことでしょうか。外国の人たちはトロッコ列車に乗って保津峡の景色を楽しむことを楽しむが、模型の列車を見ることには興味がない。そりぁそうでしょう。もうひとつ。これだけの人々がトロッコ列車に乗って保津川の上流まで行くのに、保津川下りの舟は少ない。この日、私が見た保津川下りの舟は一艘だけでした。まだ事故の影響が続いているのかな。それとも、外国からのお客さんは川下りというものには興味がないのかな。
嵯峨嵐山駅から、また外国のお客さんにまぎれて京都駅まで帰ったことです。
(おしまい)
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