ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて19年目に入りました。今でも一番の読者は私です。

伊勢若松から 加佐登まで

2025-01-18 15:07:30 | PiTaPaで歩く
(昨年末の話題です。記事になるまで時間がかかってしまいました
 いつも近鉄名古屋線の伊勢若松を通る時、何かしら違和感を感じていました。最近、その違和感の正体が分かったような気がしました。 ふつう、本線なり主流の線路から支線が枝分かれしていく場合、その駅はそれなりに大きな街を伴っているものです。 拠点になる町や 駅があってそこから田舎へ進んで行く。駅から列車が離れるに従って、徐々に都会度が下がっていき、田んぼの風景になったりしていく。ところが伊勢若松駅は鈴鹿線の分岐駅なのに駅周辺に商店街や人が集まる場所がありません。民家ばかり。そして伊勢若松駅から枝分かれしていく鈴鹿線は駅を出るとすぐ田んぼの中。これが私が感じる違和感の正体ではないか。ではその鈴鹿線はどんな線なのか、その先に何があるのか。乗ってみようと思いました。
 鈴鹿市というのは 市民の方や関係する皆さんには申し訳ありませんが、よそのエリアに住まいする者には、姿がよく見えない自治体なのではないかと思っています。人口も多い、大きな自治体であるはずなのに、近鉄名古屋線沿線には「鈴鹿」と名の付く駅がありません。鈴鹿サーキットという言葉を子どもの頃から知ってはいますが私は残念ながら行ったことがありません。例えば、四日市市なら近鉄の駅前のにぎやかさは車内からでも感じられますし海辺の方には高い煙突が立っています。四日市というところは大きな町なんだと思います。駅前って通過する人からすれば顔なんですね。ところが鈴鹿市は町の中心地がどこにあるのか不勉強な私にはよくわかりません。鈴鹿線に乗って私の鈍い頭でようやく分かったのは、近鉄名古屋線から西の方に見えるポツンと立っている高いビルが市役所だったということ。農業の町で工業の町で水産業の町。産業面ではとてもバランスの 良い市だと思うのですが、市の中心がどこかよくわからない。市庁舎のある鈴鹿駅あたりがきっと中心地なのでしょう。いや、名古屋線の白子駅もあるぞ。ということは、ここが市の玄関というところはなくて、分散型の市なのかもしれません。

 10分ほどで終点の平田町に到着。もともと1面2線の 島式ホームだったようですが今は線路が一本で、行き止まりになっています。駅前にはロータリーがあってここから三重交通バスが出ているようです。ここもそんなに大きな町の雰囲気をしていませんが、面白いのは町の雰囲気の割にはビジネス系のホテルが多いこと。工場関係の出張で宿泊する方が多いのかもしれません。なにしろ、ホンダの工場があるところですからね。

 駅から西へ歩きました。片側二車線のまっすぐな道路。中央通りと呼ぶらしい。工業都市なんでしょうね。道路の南側にはまずグラウンド。そして旭化成の工場がどんと構えています。こちらの工場では サランラップを作っているらしい。道路の北側はホテルだったり飲食店だったり病院だったりするのですが、そのすぐ後ろには民家がちらちら見えます。焼肉屋さんのような店舗があるのですが、「ぼつ焼き」なるものを食べさせるらしい。「ぼつ焼き」ってどんなものだろう?道路沿いに水道の蛇口がいくつも並んでいる。災害時に水道を供給する施設を旭化成が作っているようです。私のような者にはとても珍しい風景です。

 旭化成を過ぎると次は巨大な商業施設。イオンのようです。相当でかい。イオンタウンの中にガソリンスタンドもある、エディオンもある。イオンタウンに入り込んだら、初心者は迷子になってしまいました。巨大な駐車場を西へ西へと歩いていくと、えっ?またイオンがあるのです。

 こちらはイオンモール。同じイオンながらイオンタウンとイオンモールが隣同士で巨大な売り場を抱えている。この二つの商業施設を養えるだけの購買力が鈴鹿市もしくはその周辺にある、それだけの人口を抱えているということですね。驚きました。鈴鹿市の正体がよく見えないなどと失礼なことを申しましたが、大きな人口を抱える市だと認識しました。しかしこれだけ大きいと施設内の移動だけでも大変です。クルマを降りて施設に入るにも一苦労するかもしれません。ここで昼ご飯を食べて、さらに西に歩いていきます。少しずつ道路沿いの民家が増えだして、汲川原橋南詰まで来ました。平田町の駅から西へ延びる中央通りもここまで、ここから鈴鹿川を渡ります。

 汲川原橋には立派な歩道が作られています。時折スポーツ自転車で車道を走っている人は見えますが、歩行者は私一人。貸切状態の歩道を歩いて川を渡ります。鈴鹿川は川幅が広く、砂利というより赤土のような色をしています。川を渡ってしばらく歩いたら国道1号線、これも片側2車線の立派な道路。んっ?、この1号線は夏にクルマで走ったはず。その時は再び徒歩でやってくるとも思うはずもなく、目の前の1号線に心覚えがあるばすもありません。私は、この国道を越えて、JR関西線の駅まで歩くつもりです。ところが交差点に横断歩道がない。1号線を越えるためには、逆コの字のように横断歩道を3度歩かねばならないのです。立派な歩道こそ作られてはあるものの、あまり歩行者のことが考えられていないように思いました。

 1号線を越えたあたりで西のほうを眺めると、遠くに飛行機のオブジェがある。あっ、夏にクルマで走ったとき、右手にこの飛行機を見た記憶があります。確かに私はこの1号線を走っていました。JRの駅はあっちのほうと適当に見当をつけて歩きます。田んぼの間の道を向こうから自動車が走ってくる。

 ということは、向こうに行けるのだろう思い歩きます。1号線とほぼ平行に歩いているわけですが、国道1号線のある所にはたいがい旧東海道があるものです。事前の調べはしなかったのですが、どうやら東海道五十三次の45番目の宿、庄野宿がここらしい。田んぼの中の道から二本ほどスライドして、民家の間の道を歩く。なんとなく元街道という雰囲気がします。

 庄野宿資料館も見てみたい気はしますが、加佐登駅で電車を逃すと、次は一時間後になってしまいます。また次に来てみようと思いながら、旧東海道を江戸方面に歩きます。清酒庄野と書かれている建物があって、かつて造り酒屋だったのでしょう。入居者募集と書かれています。

 宿の端っこまできたのでしょうか。信号の向こうに橋の欄干?トラス?ではなく、電柱を作っている工場があったのでした。この工場の横を抜けると踏切があって、線路を越えて北側に回り込めば加佐登駅。

 踏切からは加佐登駅の長いホームが見えます。今は使われていませんが、かつては長大編成の客車列車が走っていたことでしょう。
 加佐登駅はもちろん無人駅ですが、かつての窓口と思われるところ、券売機がおかれていたと思われるところに板が打ち付けられて、とても冷たい雰囲気になっているのは残念に思いました。防犯上、仕方ないことなんでしょうが。不思議だったのは駅の待合室に柱時計がないこと。時刻表は掲示してあるものの、自分で時計を持っていない人は、どれだけ待てば電車がくるのかわかりません。私は自分の腕時計を確認してあと15分ほどで名古屋行きの快速電車がやってくることはわかりました。改札口よりも手前にあるICカード読み取り機でピタパをかざして、ホームに入る。跨線橋を渡って島式のホームに下りるのですが、ホームでは時刻表が掲示されていません。あと何分で電車がくるのかわかりません。

 あげく、2両編成の快速電車は、2両目(亀山方)は扉が開かない。きっとどこかに、そんな注意書きが書かれているのでしょうが、加佐登駅初心者にそんな理屈が理解できようもなく、開かない扉の前でしばし?の私でした。

(つづく)




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