
井上ひさし氏が2001年10月から月1回のペースで合計4回、彼の母校でもある上智大学で講演を行った内容を文章化した一冊。発刊が2011年3月なので、彼の没後1年で上梓される本とはどんな内容だろうと期待はしますが、内容自体は10年ほど前に語られたものです。
日本語教室とタイトルをつけるからには言葉や日本語についてのお話だろうと想像します。例によって、この話はどこへ行くのだろうと思わせながら、言葉を取り 巻く周辺事情の話題へ広がっていきます。「日本語教室」は、言葉そのものの問題よりも、言葉が周辺環境の具合でどう変わっていくかを述べた内容です。こういう話を若い頃にもっと聞いていたなら、私ももっと言葉に敏感になっていただろうと、うれしいような寂しいような気持ちにされてくれる内容です。
彼の説明には時折びっくりさせられるほど、シンプルでわかりやすいものがあります。例えば、以前に「井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室」という本を読みましたが、その中で彼は、こう言います。
いちばん大事なことは、自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということ。
今回、わかりやすいと思ったのは、母語の大切さを語るのにこう言っているところです。
母語より大きい外国語は覚えられないということです。つまり、英語をちゃんと書いたり話したりするためには、英語より大きい母語が必要なのです。
日本語を母語とする私たちが英語を習得するためには、まず日本語がしっかり習得できていなければならないというわけです。
講演はアメリカの9.11同時多発テロの直後に行われていますが、アフガニスタンを攻撃するアメリカの正義に異を唱えています。その隻眼に驚きます。
死の直前に井上氏はがんの苦痛の中で、家族にこう語ったと聞いています。
戦争や災害だと、たくさんの人が同じ死に方をしなきゃならないんだ。ひとりひとり違う死に方ができるというのはしあわせなんだよ。
昨年4月に亡くなった氏は、彼の出身地である東北に大きな震災があったことを知りません。今、彼がもし生きていたならこの国の震災をどう受け止め、どんな講演をするのでしょうか。もう聞くことができないのが残念です。
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