ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて19年目に入りました。今でも一番の読者は私です。

コウノトリを見た おっかなびっくりe5489(3)

2025-03-11 18:58:57 | PiTaPaより遠くへ
 夜久野を越えて朝来市に入ると屋根瓦の色が黒く、艶のある色に変わります。積雪への対応なのでしょう。釉薬瓦というそうです。ほどなく和田山。

 駅に着いて驚いたのは、機関車も線路もないがらーんとした駅周辺だということ。保線用の車両以外には電車の気動車も機関車も見えません。屋根をなくしたレンガ車庫が取り残されたように残っている。旧レンガ機関庫と呼ばれる明治45年製の歴史ある車庫だそうです。私が前回和田山駅にやってきたのは餘部鉄橋の事故の直後です。これもネガの記録を見ると、餘部鉄橋転落事故が1986年12月28日。私はその6日後の1月3日に豊岡で先輩宅に泊めてもらい、4日に餘部へ行っています。とすると、和田山駅を自分の目で見るのは38年ぶりということになります。風景も変わって当然かもしれません。電化、ディーゼル化により、和田山駅でのメンテナンスが不要になったということなのでしょう。だから、留置しておく車両もたくさんの線路も必要がない。
 八鹿あたりになると水田に水を張ってあるのが目立つようになります。コウノトリの餌場なのかな。江原で京都を出てから2時間。と思っていたら、豊岡の手前で、線路沿いの水田にコウノトリを二羽発見。足が長くて白くてお尻が黒い。珍しいものを見ました。

 中学校3年の社会の時間だったと思います。先生が、生徒の口から「公正取引委員会」というキーワードを引き出したかったようなのです。「ヒントはな、豊岡におるヤツや」先生は、コウノトリから公取を連想させたかったに違いない。しかし、コウノトリが保護されていることすら、ましてそれが豊岡だということなど知ろうはずもない我々にとってはまったく無理なヒントでした。もう50年も前のことを思いだしたのでした。

 …と、車内アナウンス。その最後が印象的だったので、私はノートにメモをしました。「どうぞ、この先もお身体に気をつけてお過ごしください」車掌どの、やるもんですね。どんなお顔の車掌さんかわかりませんが、ちょっと気に入りました。

 豊岡駅で除雪車を見ました。除雪車なんて見ることはめったにないので写真を撮りました。京都丹後鉄の車両も見えました。かつての国鉄の急行色のような塗装。おっ。グリーンの帯が見えます。国鉄時代の急行気動車キロ58仕様。「みやづ」というヘッドマークをつけています。

 後で検索をかけると、宮津線100周年記念 リバイバル列車『みやづ号』だそうです。
 また思いだしました。昭和45年5月。初めて家族旅行を経験しました。旅行といっても天橋立に日帰りでした。自家用車なんて我が家になかった時代です。播但線から山陰本線、そして豊岡から宮津線に乗って、天橋立へ行きました。きっと豊岡駅ではあのホームから宮津線に乗り込んだに違いない。知恵の輪を買ってもらった。その後知恵がついたかどうかは自分ではわかりません。
 豊岡辺りまで来ると線路際に雪吊りをしている民家があります。たまたましばらく暖かい日が続いているけれど、積雪量の多い地域だとわかりますね。

 玄武洞駅あたりに来ると列車からも円山川がよく見えます。子ども頃から竹野海岸や日和山へ連れてきてもらったことがあるので、この川幅が広く、蘆が生い茂っていて、水がとっちに向いて流れているのかよくわからない円山川を恐いと感じていました。今通るとあの頃よりも水量が減っているような気がします。そして玄武洞。ブラタモリに出てきましたね。私は一度も行ったことはなく、円山川の左岸から眺めるだけでした。昔は玄武洞に行くには駅のある左岸から渡し船に乗っていくしか方法はなかったように思います。通るたびに玄武洞ってどんなところだろうと、子ども心に思っていました。今右岸を通って車で対岸に行けるようです。勝手な感想ですが神秘性が薄れたような気がします。

 ほどなく城崎温泉に到着。同じ車両の人たちは福知山で下りた人と、終点城崎温泉まで乗った人とがほとんどで、それ以外の駅では動きはなかったようです。あと二駅先が目的地ですが、インターバルのため一旦改札口を出ます。しばらく前に降ったらしい雪が道路際へ寄せられて残っています。城崎駅前を歩くのは、ビデオの記録を確認すると1998年12月28日が最後みたいです。ということは26年ぶり?ほんの数年前のような気がするのに。

 26年たって訪れてみた城崎の駅前はあんまり変わっていないような気がします。通りには今風のお店が入っているものの、三階建ての旅館もそのままみたいです。大谿川沿いの柳の景色も、整備されて奇麗になった気がしますが、昔の風景を壊してはいません。雪景色であれば、また風情が増すのでしょうね。
 次の列車の時間です。佐津までの切符を買ってホームで待つことしばらく。

 やってきたのはキハ47の二両。なんと一両目はキハ471。イチバンでした。おめでたい気分。イチバンに乗り込みました。出発するのですが、ここまでの特急電車と違いエンジン音と振動はすこぶる力強いのに速度が出ません。カーブもトンネルも多い。時折日本海が見えるようになります。子どもの頃海水浴に連れてきてもらった竹野を過ぎて、次が佐津。

 到着です。

 帰路は、城崎温泉までクルマに乗せてもらい、特急きのさき20号で京都まで帰りました。暗くなりかける頃で、景色もあまり見ていません。しかし、やはり福知山では乗客の動きが大きい。それに、特急電車が終点の手前、二条で停車するのが不思議に思えたのですが、帰りの電車で理解できました。外国からのお客さんは京都のホテルを拠点にして日帰りで城崎温泉や天橋立に出かけていくのだということ。城崎温泉から列車に乗り込む西洋系のお客さんたちは、せいぜいディパック程度の荷物しか持っていませんでした。中には手ぶらの人もいました。JAPAN RAIL PASSを持っていれば、基本的にはJR線が乗り放題です。例えば1週間なり2週間を京都を拠点に滞在すれば、日帰りで東京も広島も自由に行き来できるのです。日本に住んでいる人たちはこのバスが使えませんし、今日は広島、明日は東京なんて発想を私たちは持ちませんが、外国からのお客さんにとってはシンカンセンをツールに本州を自在に行き来するというわけですね。なるほど、ひとつ利口になりました。
 北近畿ビッグXネットワークなるものがあるということも、今回初めて知りました。大阪や京都から舞鶴、天橋立、城崎温泉に至る線路は、福知山を軸に交差する。福知山で特急の乗り換えをすることでそれぞれの客が便利に目的地に向かうことができる仕組みのようです。そのために、JRでは通常、特急の乗り換えをすると別々に特急券を買うことになり、割高になるものを、通しの乗車区間で特急料金を計算するという制度を作っているのだそうです。それで、福知山では多くの客が入れ替わるということなのですね。便利便利。でも、特急列車に乗ろうとすれば、普通列車のほぼ倍のお金が必要となるわけで。地獄の沙汰も…ですね。
 帰路の特急きのさきは往路よりも時間がかかっているような気がして、時刻表を確認してみたら、帰りのほうが16分も余分にかかっていました(2時間20分と2時間36分)。copilotに、京都から東京までのぞみでに何時間かかるか?と尋ねたら2時間15分と返ってきました。同様に広島までの時間を尋ねると1時間40分といいます。京都からは東京よりも広島よりも城崎温泉のほうが遠い!2時間半あれば関門海峡をくぐって小倉まで行けるそうです。

 帰りしなに、近鉄京都駅で改札口を入る。朝閉まっていたうどん屋さんのシャッターに張り紙がしてあるのに気づきました。読んでみたら、なんと前日で閉店していたことがわかりました。京都にはこれだけ外国からたくさんのお客さんが来るのに、Japanese UDON shopは成り立たないのでしょうかねぇ。

 2月初めのことでした。
(おしまい)



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