


今回のワークショップのテーマとなった 「朝鮮通信使」 とは
どんなことだったのか、何が起きていたのかをまず記しておきたいと思います
日本と韓国、地図上で見てみても、実際飛行機で飛んでみても
こんなに近い国はないと感じる隣国です。
それなのに、みなさんがよくご存じの通り、とても複雑な関係です。
でも、その二カ国間にとても平和な時代がありました。

(朝鮮通信使の一行が描かれた「琵琶湖図」の一部)
それが、この 「朝鮮通信使」 の来訪があった江戸時代だったんです。
「朝鮮通信使」 は、室町時代以後、朝鮮国王が日本に派遣した外交使節団です。
江戸時代、鎖国体制下にあったといわれている日本にとって、
李王朝の朝鮮国は正式な外交関係を継続していた唯一の国家でした。

(大垣・西美濃観光ポータルサイトよりお借りしました)
この使節は、毎回約500人の行列をくみ、12回日本に訪れたそうです。
当時の移動手段は、徒歩と馬しかなく、往復するのに5ヶ月~8ヶ月も費やしました。
一行はプサン (釜山) から対馬を経て大坂に到着し,京都から江戸へ東海道を下ったそうです。

通信使によって朱子学をはじめとした中国や朝鮮の先進的な文化が
もたらされた意義は大きいと考えられています。

そして、構成員には、学者、画家などが多く含まれており、
鎖国状態で他国と交流のできなかった街道沿いの人々に文化的な大きな刺激を与えました。
しかし、1811 (文化8) 年の対馬への派遣を最後に途絶えたそうです。
その朝鮮通信使が全12回の来訪のうち、10回を滋賀にある
「朝鮮人街道」 を往復していたということで、
今回の目的地は 「滋賀県」 となりました!
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