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六甲台でロケ行われる NHK土曜ドラマ『心の傷を癒すということ』

2019-10-22 18:52:06 | ニュース
 神戸大六甲台本館でドラマロケが行われた。阪神・淡路大震災直後から被災者の心のケアに奔走した神戸大OBの精神科医・安克昌(あん・かつまさ)さんをモデルにした作品で、1月スタートのNHK土曜ドラマ『心の傷を癒すということ』の重要なシーン。主演の柄本佑さんが、その恩師役の近藤正臣さんの授業を受けるシーンが、カメラに収められた。<渡邊志保、綿貫由希>


(写真1:柔らかな光が差し込む六甲台本館102教室で撮影が行われた 2019年10月20日午前、神戸市灘区六甲台町で)

 10月20日、爽やかな秋の木漏れ日が射す中、神戸大六甲台本館の1階102教室で撮影されたのは、安克昌さんをモデルにした、主人公・安和隆(柄本佑さん)の医学部生時代の授業のシーンで、1981年4月の設定だ。安さんに多大な影響を与えた医学部精神神経科の中井久夫教授をモデルにした、永野良夫教授の講義などの重要な場面の撮影が行われた。
 大教室の教壇には白髪にジャケット姿の永野良夫を演じた近藤正臣さん。階段教室の座席には、エキストラの学生役に混じって、紺のジャケットにメガネをかけた柄本佑さんの姿がある。
 撮影開始の合図がかかると、静まり返った教室に近藤正臣さんの長セリフだけが響く。
 教室前の外の廊下には、ミキサーなどの機材が並び、演出陣や技術、照明、メイクスタッフらが真剣な顔でモニターを見つめる。
 総勢80人ほどの演者やスタッフらの真剣な横顔から、このドラマにかける想いが伝わってくる。


(写真2:廊下に並ぶ機材。スタッフが真剣な顔でモニターを見つめる)

 ドラマ広報担当の齋藤明日香さんは、神戸大の歴史を感じるキャンパスが作品に合うといい、「天気が良くて自然光がとても美しく入った、安さんの母校である神戸大で撮影できて本当によかった」と話す。

 撮影中は張り詰める緊張感が走るが、カットになると打って変わって拍手が起こり、現場は和やかで柔らかい雰囲気に包まれていた。
 このシーンはドラマにするとわずか1分半。それをおよそ70分かけて撮影するという。同じシーンを角度を変えて撮影を重ねていくうちに、ーつのドラマが紡がれていく様子が、伝わってきた。


 主人公のモデルは神戸大医学部卒業生で精神科医の故・安克昌(あん・かつまさ)さん。安さんは阪神・淡路大震災直後より、全国から集まった精神科ボランティアをコーディネートし、避難所などでカウンセリングや診療活動を行った。自らも被災しながら奔走したその活動は、ドラマのタイトルにもなった安さんの著書『心の傷を癒すということ』に記録されている。
 ドラマでは安さんの人生を元に、志半ばの39歳の若さでこの世を去りながらも人々の心の傷に寄り添い続けた精神科医の物語を描く。

 NHK大阪拠点放送局の堀之内礼二郎プロデューサー(40)は「今でこそ『心のケア』や『カウンセリング』という言葉はあたりまえだが、25年前は心の病やそれを扱う精神科医に対する偏見が強くあった。そのような時代から心の傷に苦しむ人々の話を傾聴し心に寄り添う安さんの姿勢は今の世の中でも通じるし、何より今心の傷に苦しむ人々や彼らを支える人に光を与えるはずだ」と語る。


(写真3:取材に答える堀之内礼二郎プロデューサー)

 今回ドラマ制作のきっかけをつくったのは、震災取材を続けてきた京田光広プロデューサー(57)。震災当時、東京勤務だった京田さんは神戸にある実家が被災。その後、大阪局へ転勤したことをきっかけに、被災者や遺族への取材を開始。その中で今回の主人公のモデルである安克昌さんの存在を知り、その生き方に強い感銘を受けた。
 2011年に『心の傷を癒すということ』の改訂版が出版されるタイミングで、安さんのドキュメンタリーの企画を試みたが実現には至らなかった。しかし今回、ドラマ担当ディレクターの安達もじりさんの賛同を得たことや、2020年に阪神・淡路大震災25年を迎えるというタイミングもありドラマ化が実現したという。
 「特に見てほしいのは安さんの生き様。今回、安さんのご遺族にもたくさんの取材を行った。そのなかで様々な困難に立ち向かい、それを乗り越えるための生きる力を教えられた。今の若い人たちも大変なことが沢山あると思うが、安さんの人生を見て、どうか目の前の壁に立ち向かう勇気を持ってほしい」と、京田さんは若い世代へのメッセージを送る。


(写真4:制作のきっかけをつくった京田光広プロデューサー)

 主人公の恩師、医学部教授役の近藤正臣さんが収録の合間に取材に応じてくれた。
 「モデルになった中井先生は、心が健やかな人も病んでいる人もふくめ、生きている人全てが好きな柔らかい人だと思う。台詞も柔らかい喋りになっていったよ」と、優しい眼差しで記者に語ってくれた。
 「このドラマは、極めてドキュメンタリーに近いもの。今もなお安さんの著書は多くの人に読まれているけど、自分もこのドラマを通じて安さんが深め、追求していった『心の傷を癒していく』ことに触れたと思う」という、近藤さん。
 「地震や津波、先週の台風…今も心に傷を負った人がとても沢山いらっしゃる。その方々の心の傷を癒すということは、彼らの心の中を覗くということだけど、そうすると今度はこっちの心が覗かれて、どんどん傷ついてしまう。それは本当にしんどいことだけど、傷つかないようにやっていくと患者の気持ちは分からない。他の人の痛みを自分が引き受ける、それこそが『心の傷を癒す』ということだと思うね」。
 穏やかな語り口だが、このドラマにかける熱い想いを感じた。


(写真5:主人公の恩師、永野良夫教授役の近藤正臣さん)

《土曜ドラマ『心の傷を癒すということ』》
●放送日=
2020年1月18日(土)から2月8日(土)の毎週土曜日全4回。NHK総合テレビ21時から21時49分(毎週土曜日)。
●出演者=
柄本佑、尾野真千子、濱田岳、森山直太朗(NHKドラマ初出演)、趙珉和、浅香航大、上川周作/濱田マリ、平岩紙/石橋凌、キムラ緑子、近藤正臣 ほか。
●あらすじ=
ジャズピアノはプロ級の腕前、レコードと読書をこよなく愛する“はにかみ屋”の若手精神科医・安和隆(柄本佑)。 自分の居場所を探し続ける青年時代を送ってきたが、明るい妻・終子(尾野真千子)と出会い、同じ在日としての悩みを共にできたことでようやく心穏やかな日々を送る。第一子が誕生した直後、阪神・淡路大震災が起きる。精神科医としてできることは何か…模索の日々が始まる。和隆は被災者に寄り添い話を聞き続ける中で、精神科医にできることは、被災者を治療することではなく、「治癒力を回復させる手助けをすること」だと気づいていく。その後、精神科医として見た被災地の様子を一冊の本にまとめ、学芸賞を受賞。明るい兆しが見えはじめた39歳のある日、がんが発覚する。
●精神科医・安克昌(あん・かつまさ)さん プロフィール=
1960年大阪市生まれ。神戸大医学部卒。神戸大附属病院精神科勤務を経て、神戸市西市民病院精神神経科医長を務める。阪神・淡路大震災直後、全国から集まった精神科ボランティアをコーディネートし、避難所などでカウンセリングや診療活動を行う。震災1年後に臨床報告としてまとめた著書『心の傷を癒すということ~神戸…365日~』(作品社)で第18回サントリー学芸賞を受賞。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の若き研究者として治療活動に尽力したが、2000年12月、39歳でがんにより死去。共訳に『多重人格性障害 その診断と治療』(岩崎学術出版社)などがある。
●番組サイト=
https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/6000/411467.html
https://www.nhk.or.jp/drama/dodra/kokoro/







「神大紛争」とは何だったのか① 吹き荒れたストと封鎖

2019-10-22 11:30:05 | ニュース
 10月27日(日)に「50年目の卒業式」が六甲台講堂で行われる。大学紛争の影響で行われなかった1969(昭和44)年3月の卒業式を、この学年の卒業生自らが企画して開催するものだ。当時、全国に吹き荒れた「大学紛争」とは何だったのか。神戸大の「紛争」はどのような経過をたどったのか、大学に残る記録をたどった。<小野花菜子>


(写真:戸田義郎・学長事務取扱も参加した「全学大衆団交」。1969年、六甲台講堂で。 画像提供=神戸大学文書資料室。)

 1960年代後半には、ベトナム戦争や1970年の日米安保条約改定への反対運動のうねりが、全国の大学に波及し、さまざまな学生運動がキャンパスで起きた。
 1968年、学生による授業放棄、ストライキ、建物の封鎖占拠のいずれかが起きた大学は、全国の4年制大学の34%(127校)にのぼる。翌1969年、この数字は41%(153校)と、さらに増えることになった。(京大社会学研究室 小杉亮子:東京ドイツ文化センター)
 これを、「大学紛争」あるいは「学園紛争」という。

発端は住吉寮 1968年12月5日に本部封鎖

 神戸大の紛争の発端は、住吉寮だった。
 1964(昭和39)年に文部省から各国立学校長あてに届いた「2.18通達」によって、学生寮の管理運営に関する経費の負担区分の基準が設定され、寮生が負担する経費が増えることが問題視された。
 住吉寮生は「寮5項目要求」として寮費督促白紙撤回や燃料費の国庫負担などを、大学側(評議会)に求める。
 1968(昭和43)年12月5日の夜、ついに住吉寮生が本部事務局(当時は六甲台本館にあった)を封鎖。その後、ストライキと封鎖は医学部を除く全学部に波及していった。

 学内では、このほかにも、狭い学生食堂、一般教育科目の選択の自由が狭められていたことなど、学生からはいくつもの不満が噴出した。さまざまな「改善」、「改革」の要求が雪だるま式に増え、各学部の学生大会が相次いでストライキを議決。拡大していくことになった。


(写真:ロッカーや机を積み上げたバリケードで封鎖された六甲台正門。1969年撮影。 画像提供=神戸大学文書資料室。)

ストライキと封鎖が全学に波及 卒業式・入学式が中止に

 こうした中、大学側の先頭に立ったのが、戸田義郎・経営学部教授だった。1968年12月に病気で辞任した八木弘学長(法学部)に代わり、学長事務取扱に就任した(のちに学長)。
 六甲台、教養部(現在の鶴甲第1キャンパス)、文学部、工学部などの校舎が次々と、机やロッカーでバリケードが張られ封鎖された。授業が行えなくなる異常な事態が学内に広がっていく。紛争の構図は「大学側」対「学生側」といった単純な構図から迷走。ノンポリ(学生運動に参加しない)の学生もいた一方で、様々なイデオロギーをバックにしたセクトもからみ、さらに他大学からの活動家の介入、暴力(ゲバルト)も横行したため複雑な様相を見せた。
 こうしたなか混乱の中、1969年3月の卒業式は中止に追い込まれた。卒業生は、卒業証書を様々な方法で受け取ったという。そして、4月の入学式も中止となった。


(写真:戸田義郎・学長事務取扱。 1968年度卒業アルバムから。)

正常化求める声 1969年8月8日、全学の封鎖解除へ

 泥沼化する紛争に対し、正常化を求める声も広がる。
 国会で「大学の運営に関する臨時措置法」の制定に向け審議が進められるとともに、学内では一年生を中心に封鎖解除や授業開始を求める声が高まることになる。
 1969(昭和44)年7月12日、須磨区高倉山の団地造成地で、5000人の学生・教職員が参加して全学集会「全神大人結集集会」が行われた。
 この集会は大学側が解決を目指して企画したものだったが、一部学生の妨害とヘリコプターの騒音などで、約10分で打ち切られた。


(写真:高倉山造成地(須磨区)で行われた全学集会 1969年7月12日)

 夏休みの最中の8月8日、神戸大は封鎖解除に踏み切った。教職員の手によってまず経済学部・経営学部・法学部、教育学部、教養部の封鎖解除が行われた。
 最後の勧告が出された後、バリケードが次々に撤去されていった。
 同日中に文学部、理学部、工学部の封鎖も解除された。
 そして9月以降、各学部で講議が始まり、学内は平常に戻っていった。

○        ○

 1969年の封鎖解除によって、大学紛争の嵐は次第に去っていった。
 そして、1970年代のキャンパスには、「大学のレジャーランド化」と揶揄されるそんな時代がやってきたのだった。
 <続く>

《1968年〜1969年 神戸大の主なスト・封鎖の状況》
 (神戸大学教養部年表より)
12月 5日 本部事務局、学生部 封鎖。
12月19日 教養部で無期限スト突入。
12月20日 工学部学生大会 スト決議。
 1月 9日 工学部学生大会 改めてスト決議。
 1月16日 評議会団交が物別れ。神大紛争エスカレート化。
 1月18日〜19日 (東大 封鎖解除)
 2月 3日 教養部学生大会 スト続行案可決。
 2月 5日 農学部学生大会 スト決議。
 2月10日 教養部A棟 封鎖。
 2月12日 第2課程学生大会 学舎封鎖。
 2月15日 法・経済・経営学部学生大会 月末までスト決議。
 2月17日 教養部B棟 封鎖。
 2月17日 文学部学生大会 スト決議。
 2月24日 理学部学生大会 スト決議。
 3月 1日 法学部学生大会 スト決議。
 3月10日 経済学部、経営学部学舎 封鎖。
 3月10日 (神戸商船大本館 封鎖)
 4月 2日 新入生の自宅待機決定。
 4月 5日 文学部学舎 封鎖。
 4月10日 入学式中止決定。
 4月11日 新入生受け入れ集会、一部学生の妨害で荒れる。
 5月 6日 教養部C、D棟に封鎖拡大。
 5月 7日 工学部学部長室など封鎖。
 5月11日 工学部建築学科棟 封鎖。
 5月15日 法学部第2学舎 経済経営研究所 封鎖。
 5月17日 教育学部部長室など 封鎖。
 5月18日 教育学部学舎2階以上 封鎖。
 5月19日 教育学部学舎2階以上 自主解除。
 5月21日 教育学部学部長室など 封鎖解除。
 5月23日 六甲台3学部有志連合等 法学部と経済経営研究所を封鎖解除。
 5月24日 法学部と経済経営研究所 再封鎖。
 5月28日 (神戸商船大、岡山大 封鎖解除)
 6月 7日 理学部生物学科B棟研究室 封鎖。
 6月11日 理学部学舎全館 封鎖。
 6月14日 (関学 学生の手で封鎖解除)
 6月26日 工学部学舎全館 封鎖。
 7月 5日 教育学部学舎全館 封鎖。
 7月12日 高倉山造成地(須磨区)で全学集会 一部学生の妨害で大混乱。
 7月22日 経営学部学生大会 スト解除決議。
       経済学部学生大会 スト解除決議。
 8月 8日 神戸大 全学封鎖解除。
 8月18日 経済、経営学部 授業再開。
 8月19日 法学部 授業再開。
 8月29日 工学部学生大会 条件付きスト解除決議。
 9月16日 工学部 授業再開。
       教養部 全面的に授業再開。
 9月22日 (京大 封鎖解除)
11月 8日 (北大 封鎖解除)
11月10日 理学部 授業再開。
11月10日 農学部学生大会 スト中止への動き。
11月15日 文学部 授業再開。
11月16日 (阪大 封鎖解除、授業再開)
11月20日 農学部 授業再開。全学1年ぶりに正常に戻る。

▽神戸大学教養部年表(昭和43年〜46年)=附属図書館サイト
 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/bunsho/funso/kyoyo3-6.pdf

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50年目の「卒業式」 武田学長が当時の“祝辞”代読

2019-10-22 10:49:37 | ニュース
 中止に追い込まれた1969(昭和44)年3月の神戸大の卒業式。大学紛争が激化し、キャンパスはストと封鎖で荒れていた。その卒業生も、いまは70歳代。10月27日(日)に「50年目の卒業式」を六甲台講堂で開くことになった。会場では、当時の戸田義郎・学長事務取扱(学長代行にあたる、故人)が卒業生に書いた苦渋にみちたメッセージが、武田廣・現学長によって読み上げられることになっている。<玉井晃平>
 
 「50年目の卒業式」を行うのは、1965(昭和40)年入学の文・教育・法・経済・経営・理・工学部の学生と、県立から移管された医学部の1963年(昭和38年)入学の1期生たちだ。いまは72歳から75歳前後になっている。
卒業間近の1968年の12月ごろから、全国の大学で「大学紛争(学園紛争)」が激しさを増し、神戸大でも医学部を除く全学部がバリケードで封鎖される異常事態となるなかで、1969年3月の卒業式は中止に追い込まれた。

「50年目の卒業式」の計画は、同学年の有志20人が実行委員会をつくって該当する卒業生1445人に呼びかけ、1年8か月かけて準備を進めて来た。当日は約150人が参加する見込みだという。

 武田廣・現学長も会場にかけつけメッセージを述べるほか、グリークラブや混声合唱団アポロンも、学歌などの合唱で華を添えることになっている。
 なかでも注目されるのが、当時の戸田義郎・学長事務取扱(故人、のちに第6代学長)の“祝辞”。1969年3月末、卒業生に学外で手渡されたという卒業証書に、直筆のコピーで添えられていた。


(写真:戸田義郎・学長事務取扱の直筆コピーのメッセージは、2枚にわたってびっしり書き込まれている。 画像提供=神戸大学昭和44年卒業50周年記念同窓会実行委員会)

 1969年3月25日の日付が入る「学士試験合格証書を授与された諸君へ」と題されたこの“祝辞”は、「諸君が学士試験合格証書を受けられたことを心から喜び、お祝いの言葉を贈ります。この言葉は諸君にとって違和感を呼ぶものとして受取られることもあるかと思います。しかし、私は諸君が率直にこれを受けられることを切望します」と、学内の混乱を示唆する書き出しになっている。
 そして、「私は諸君におわびの言葉を述べなければならない。(中略)諸君のために全学合同学士試験合格証書授与式を持つことができず、また学部によっては単独の授与式すら開催しえなかった点であります」と、卒業式が中止に追い込まれたことに対する謝罪とともに、「(卒業式を)挙行することができた場合、その機会に私は諸君に神戸大学革新構想を語り、諸君からも自由な発言をえて、(中略)ともに大学の将来を論じて諸君とおわかれしたいという希望を持っていた」と、対話形式の卒業式を望んでいたことを明かしたうえで、「諸君との印象的な送別を持ちたかったのであります。この点は残念です」とむすんだ、苦渋に満ちたメッセージとなっている。(全文:http://www.lib.kobe-u.ac.jp/bunsho/shikiji/5a.01.htm


(写真:「昭和44年年3月25日」の日付の入った戸田・学長事務取扱のメッセージ。 画像提供=神戸大学昭和44年卒業50周年記念同窓会実行委員会)


 今回の「50年目の卒業式」では、このメッセージが、第14代となる武田廣・現学長によってあらためて読み上げられる予定だ。
 このほか、大学紛争当時の貴重な映像や、封鎖解除の様子を10年後に証言する戸田義郎・学長事務取扱の肉声も紹介されることになっている。

《神戸大学昭和44年卒業50周年記念同窓会 〜50年目の卒業式〜》
●日時=10月27日(日)12:00〜15:30
●場所=神戸大六甲台第1キャンパス。
●式次第
▽受 付=11:00〜 出光佐三記念六甲台講堂。
▽第1部=「50年目の卒業式」(12:00〜15:30)
 会場:出光佐三記念六甲台講堂。
 1)主催者代表あいさつ。
 2)物故者追悼。
 3)武田廣・現学長あいさつ。
 4)故・戸田義郎学長事務取扱(当時)祝辞代読。
 5)映像紹介
 6)寄付金贈呈。
 7) 学歌斉唱 グリークラブ。
 8)記念講演「神戸大学の今昔」
   講師:神戸大学文書資料室補佐 野邑理栄子さん。
 9)現役学生・留学生の活動報告。
 10)合唱 混声合唱団アポロン。
 終了後記念撮影

▽第2部=懇親会(14:00〜15:30)
 会場:アカデミア館 生協ベルボックス。
 自由解散。

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