1969年の神戸大卒業生らが、大学紛争の影響で中止になった卒業式を半世紀の節目に改めて行おうという「50年目の卒業式」が、10月27日に行われた。爽やかな秋晴れのもと、当時の8学部から172人の卒業生が集った。<玉井晃平、小野花菜子、森岡聖陽、長谷川雅也、渡邊志保>
(写真:「50年目の卒業式」に集った1969年の卒業生ら。武田・現学長を囲んで記念撮影。 2019年10月27日14時すぎ、六甲台第1キャンパスで)
1960年代末に起きた神戸大紛争は、文科省が学生寮の光熱費などの学生負担を通達し、大学がそれに応じたことに端を発した。学内では学生の多くの不満が次々に噴出し、激しい紛争に発展した。医学部以外の全学部で、学舎の占拠や封鎖が広がり神戸大は授業が一切行えない状態に陥った。
1969年8月7日、戸田義郎・学長事務取扱(当時)による封鎖解除通告が行われ、翌8日機動隊が見守る中で封鎖解除が行われた。(1968年〜1969年 神戸大の主なスト・封鎖の状況年表:https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/a0acb6fe926314730cd6aa330e78f6da)
この日参加したのは、当時の8学部(文、教育、法、経済、経営、理、医、工学部)172人の卒業生。
神戸大出光佐三記念六甲台講堂で行われた式典は、正午ちょうどからフリーアナウンサーの川畑亜紀さん(1998年・文卒)の司会で始まった。
番尚志・実行委員会共同代表はあいさつの中で今回の企画が、東京の同期会の中から声が上がり、全学部に呼びかけて実現した経緯について語った。
また、会場の卒業生と同世代の武田廣・神戸大学長は、祝辞の中でアポロ11号の月面着陸など1969年のできごとや、「あっと驚く為五郎」などの当時の流行語に触れ会場の笑いを誘った。
そして、1969年当時、学長事務取扱を務めていた戸田義郎教授(故人・当時)が卒業生に宛てたメッセージが、武田学長の代読で披露された。戸田学長事務取扱の神戸大と神戸大生に対する率直な思いと、混乱の中で学生生活を送らせてしまったことに対するお詫びの気持ちが読み上げられると、卒業生は感慨深そうに、耳を傾けていた。(メッセージ全文:http://www.lib.kobe-u.ac.jp/bunsho/shikiji/5a.01.htm )
(写真:50年前の戸田義郎学長事務取扱のメッセージを代読する武田廣・現学長 六甲台講堂で)
(写真:戸田義郎学長事務取扱と直筆コピーのメッセージ)
続いて、1979年に神戸大映画研究部が制作したドキュメンタリー・フィルムのダイジェストが上映された。1971年に正式に学長に就任し当時は名誉教授となっていた戸田義郎さんが封鎖解除に臨んだ様子を語る肉声のインタビューが会場に流れた。また、モノクロのニュース・フィルムもインサートされていて、くいいるように当時の学生のデモの姿を見つめる人もいた。
大学文書史料室室長補佐の野邑理栄子さんの記念講演では、教育学部の教室の黒板が「授業粉砕」などとペンキで書かれたり、経済学部の研究室で本が散乱している様子など、紛争当時を写した生々しい記録写真が披露された。
グリークラブや、混声合唱団アポロンによる合唱披露もあり、OBも交えたステージに、会場には感極まって涙ぐむ人の姿も見られた。
(写真:OBも交えた混声合唱団アポロンのステージ 六甲台講堂で)
式典終了後は神戸大学正門階段で学長を囲んで卒業生の集合写真が撮影され、アカデミア館ベルボックスで行われた懇親会では、卒業生達は旧交を温めた。
「こんなに恵まれた環境で学んでいたのだと再確認した。誇るべき大学だと思う」と、中村慶子さん(教育卒)。石原周一さん(法卒)は、「当時できなかった卒業式が50年を経てこうして行われたのは感慨深い」と話した。
(写真:懇親会で乾杯の音頭をとる実行委員会共同代表・番尚志さん。 アカデミア館ベルボックスで)
神戸大の歴史を知ってほしい
「50年目の卒業式」実行委員会共同代表・番尚志さん(69年営卒)の話
「式が無事に開催でき、ほっとしている。卒業から50年が経ち亡くなった方もいるが、遠方に住む人なども含め180人近くが会してくれた。1969年春を振り返ると、異常事態の中で卒業していったことへのうやむや感はとてもあった。この50年間は色々なことがあり、走り続けてきた人生だった。神戸大はとても自由な大学で、自分はとても過ごしやすかった。現役の学生には、神戸大の歴史を知ってほしい。今の神戸大があるのは、こうした大学紛争などの歴史を乗り越えてきたからで、時代を通じて障害を乗り越え大学は変化してきた。なぜ今の神戸大が存在するのか知ってほしい」。
いつの時代も学生と大学の話し合い大切
武田廣学長の話
「当時学生が問いかけたこととは、現在になっても残っている大学の問題点だった。彼らが提起した問題には未だに解決しないままのものもある。当時の学生側の主張には国家レベルの政治的なものもあり、大学との交渉だけではどうしようもなかった部分もある。しかし、学生と大学の話し合いが大切であるという点は現在にも言える教訓だ。神戸大は現在も学生との対話に取り組んでいる。学生の皆さんに対しては、『もっと声を!』と思う。あの時代はしばしば大衆団交があり収集がつかなくなりがちだったが、今の時代はいろいろな方法がある。学生ともっと対話したい」。
(写真:当時の8学部の卒業生、172人が参加した。 六甲台講堂で)
【関連記事】10月25日「『神大紛争』とは何だったのか④ フィルムに残った証言〜学長事務取扱・戸田義郎教授」https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/412d54cfe0e09e7ada0e6796c2fc853c
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了
(写真:「50年目の卒業式」に集った1969年の卒業生ら。武田・現学長を囲んで記念撮影。 2019年10月27日14時すぎ、六甲台第1キャンパスで)
1960年代末に起きた神戸大紛争は、文科省が学生寮の光熱費などの学生負担を通達し、大学がそれに応じたことに端を発した。学内では学生の多くの不満が次々に噴出し、激しい紛争に発展した。医学部以外の全学部で、学舎の占拠や封鎖が広がり神戸大は授業が一切行えない状態に陥った。
1969年8月7日、戸田義郎・学長事務取扱(当時)による封鎖解除通告が行われ、翌8日機動隊が見守る中で封鎖解除が行われた。(1968年〜1969年 神戸大の主なスト・封鎖の状況年表:https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/a0acb6fe926314730cd6aa330e78f6da)
この日参加したのは、当時の8学部(文、教育、法、経済、経営、理、医、工学部)172人の卒業生。
神戸大出光佐三記念六甲台講堂で行われた式典は、正午ちょうどからフリーアナウンサーの川畑亜紀さん(1998年・文卒)の司会で始まった。
番尚志・実行委員会共同代表はあいさつの中で今回の企画が、東京の同期会の中から声が上がり、全学部に呼びかけて実現した経緯について語った。
また、会場の卒業生と同世代の武田廣・神戸大学長は、祝辞の中でアポロ11号の月面着陸など1969年のできごとや、「あっと驚く為五郎」などの当時の流行語に触れ会場の笑いを誘った。
そして、1969年当時、学長事務取扱を務めていた戸田義郎教授(故人・当時)が卒業生に宛てたメッセージが、武田学長の代読で披露された。戸田学長事務取扱の神戸大と神戸大生に対する率直な思いと、混乱の中で学生生活を送らせてしまったことに対するお詫びの気持ちが読み上げられると、卒業生は感慨深そうに、耳を傾けていた。(メッセージ全文:http://www.lib.kobe-u.ac.jp/bunsho/shikiji/5a.01.htm )
(写真:50年前の戸田義郎学長事務取扱のメッセージを代読する武田廣・現学長 六甲台講堂で)
(写真:戸田義郎学長事務取扱と直筆コピーのメッセージ)
続いて、1979年に神戸大映画研究部が制作したドキュメンタリー・フィルムのダイジェストが上映された。1971年に正式に学長に就任し当時は名誉教授となっていた戸田義郎さんが封鎖解除に臨んだ様子を語る肉声のインタビューが会場に流れた。また、モノクロのニュース・フィルムもインサートされていて、くいいるように当時の学生のデモの姿を見つめる人もいた。
大学文書史料室室長補佐の野邑理栄子さんの記念講演では、教育学部の教室の黒板が「授業粉砕」などとペンキで書かれたり、経済学部の研究室で本が散乱している様子など、紛争当時を写した生々しい記録写真が披露された。
グリークラブや、混声合唱団アポロンによる合唱披露もあり、OBも交えたステージに、会場には感極まって涙ぐむ人の姿も見られた。
(写真:OBも交えた混声合唱団アポロンのステージ 六甲台講堂で)
式典終了後は神戸大学正門階段で学長を囲んで卒業生の集合写真が撮影され、アカデミア館ベルボックスで行われた懇親会では、卒業生達は旧交を温めた。
「こんなに恵まれた環境で学んでいたのだと再確認した。誇るべき大学だと思う」と、中村慶子さん(教育卒)。石原周一さん(法卒)は、「当時できなかった卒業式が50年を経てこうして行われたのは感慨深い」と話した。
(写真:懇親会で乾杯の音頭をとる実行委員会共同代表・番尚志さん。 アカデミア館ベルボックスで)
神戸大の歴史を知ってほしい
「50年目の卒業式」実行委員会共同代表・番尚志さん(69年営卒)の話
「式が無事に開催でき、ほっとしている。卒業から50年が経ち亡くなった方もいるが、遠方に住む人なども含め180人近くが会してくれた。1969年春を振り返ると、異常事態の中で卒業していったことへのうやむや感はとてもあった。この50年間は色々なことがあり、走り続けてきた人生だった。神戸大はとても自由な大学で、自分はとても過ごしやすかった。現役の学生には、神戸大の歴史を知ってほしい。今の神戸大があるのは、こうした大学紛争などの歴史を乗り越えてきたからで、時代を通じて障害を乗り越え大学は変化してきた。なぜ今の神戸大が存在するのか知ってほしい」。
いつの時代も学生と大学の話し合い大切
武田廣学長の話
「当時学生が問いかけたこととは、現在になっても残っている大学の問題点だった。彼らが提起した問題には未だに解決しないままのものもある。当時の学生側の主張には国家レベルの政治的なものもあり、大学との交渉だけではどうしようもなかった部分もある。しかし、学生と大学の話し合いが大切であるという点は現在にも言える教訓だ。神戸大は現在も学生との対話に取り組んでいる。学生の皆さんに対しては、『もっと声を!』と思う。あの時代はしばしば大衆団交があり収集がつかなくなりがちだったが、今の時代はいろいろな方法がある。学生ともっと対話したい」。
(写真:当時の8学部の卒業生、172人が参加した。 六甲台講堂で)
【関連記事】10月25日「『神大紛争』とは何だったのか④ フィルムに残った証言〜学長事務取扱・戸田義郎教授」https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/412d54cfe0e09e7ada0e6796c2fc853c
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https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/a0acb6fe926314730cd6aa330e78f6da
【関連記事】10月22日「50年目の『卒業式』 武田学長が当時の“祝辞”代読」https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/b93ec2f667184e7659e3f3a0efbe1913
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了