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神戸大学メディア研ウェブログ

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六甲祭で震災25年写真パネル展 ③失われた学生45人、教職員2人の命

2019-11-09 16:46:05 | 阪神・淡路大震災
 1995年1月17日午前5時46分に発生した地震で、下宿街は大きな被害を受けた。神戸大は学生39人、教職員2人。神戸商船大は学生・研究員6人が亡くなった。阪神・淡路大震災25年の写真パネル展「あの日、何があったのか」は、11月9日(土)、10日(日)、神戸大の学園祭「六甲祭」で(主催=神戸大メディア研)。六甲台本館2階206教室で。両日とも、10:00〜17:00。

倒壊・焼失した下宿街


↑焼け落ちた灘区六甲町2丁目の西尾荘。倒壊したあと火災にみまわれ、脱出できなかった3人の神戸大生が亡くなった。1995年3月18日撮影<写真=神戸大メディア研/ニュースネット>


→1階が崩壊し、2階がその上に覆いかぶさる形で倒壊した東灘区住吉宮町の下宿アパート。住んでいた学生は香川県の実家に成人式で帰省していて難を逃れた。1995年2月10日撮影<写真=神戸大メディア研/ニュースネット>

失われた多くの命


↑震災の2か月後に六甲台講堂で行われた神戸大犠牲者合同慰霊祭。壇上には学生39人、教職員2人の遺影が並んだ。1995年3月17日撮影<白石辰史さん撮影・提供>


↑六甲台本館前の神戸大慰霊碑では、毎年1月17日に学長も参列して震災慰霊献花式が行われる。2019年1月17日撮影<写真=神戸大メディア研>







阪神・淡路大震災25年 六甲祭で写真パネル展とトーク

2019-11-09 11:14:40 | 阪神・淡路大震災
 11月10日(日)午後、神戸大の第40回「六甲祭」で、神戸大メディア研は阪神・淡路大震災25年の写真パネル展とトークセッション「あの日、何があったのか」を開催する。会場は六甲台本館2階の206教室。トークセッションには、いずれも神戸大OB・OGの弁護士・津久井進さん、ニュースネット委員会初代編集長・里田明美さん、NHKアナウンサー住田功一さんを招く。


(写真:トークセッションのゲスト・津久井進弁護士=右=とコーディネイターの住田功一アナウンサー。いずれも神戸大OBだ。)


神戸大では学生39人、神戸商船大では6人が犠牲に

 1995年1月17日午前5時46分すぎに発生した阪神・淡路大震災。灘区、東灘区でも多くの住宅が倒壊し、火災も発生。神戸大では39人の学生と2人の教職員、神戸商船大でも学生5人と研究員1人が亡くなった。
 あれからまもなく25年。キャンパスの学生のほとんどが震災後に生まれた世代。
 JR六甲道駅や阪神高速道路が被災したことを知る学生はほとんどいない。
 ましてやゼミやサークルの先輩が無念の死を遂げたことも、ほとんど伝わっていない。

崩落したJR六甲道駅、焼けた下宿… 記録写真のパネル展

 神戸大メディア研は、六甲祭の屋内企画で、「阪神・淡路大震災25年〜あの日、何があったのか」をテーマに写真パネル展とトークセッションを開催する。

 会場では、崩落したJR六甲道駅、深江で倒壊した阪神高速道路神戸線の高架、焼け落ちた下宿アパートなどの記録写真とともに、亡くなった神戸大の学生の遺族からのメッセージをパネル展示する。

立ち上がるボランティア、学内の震災報道 トークセッションで証言

 また、10日(日)の13時からは、日弁連の災害復興支援委員会委員長を務める弁護士の津久井進さん(1993年・法卒)、15時からは中国新聞地域ビジネス局の里田明美さん(1996年・自然科学研究科修了)を招いてトークセッションを行う。
 津久井さんは震災発生時、司法修習生だった。東京から実家のある神戸に駆けつけて、神戸大学の学生震災救援隊に加わりボランティアとして活動を始めた。神戸大周辺はどのような状況だったのか、そこでボランティア活動はどのように芽生えたのか。神戸大でボランティア団体はどのようにして立ち上げられたのか。ボランティ元年と言われた阪神・淡路大震災について、神戸大の視点から語ってもらう。
 里田さんは当時、自然科学研究科の修士1年。放送委員会の報道部門にいたが、ニュースネット委員会を独立させて初代の編集長についた。学内紙『NEWS NET』を創刊し、震災報道を開始し、震災1年の特集号には学生、教員、生協職員44人への追悼手記を掲載した。今回は、地震発生直後の学内、下宿街の様子を語る。
 コーディネイターを務める住田さん(1983年・営卒)は、当時『おはよう日本』のアナウンサーだった。たまたま休暇で実家のある神戸に帰省していて、灘区内で被災。実家からの電話リポートが、同局の神戸からの第一報となった。元気なはずの大学生が数多く犠牲になったことに大きなショックを受けたという。「おふたりのお話から、神戸大は震災にどう向き合ったのかを浮き彫りにしたい」という。

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 神戸大メディア研は、来年1月17日の阪神・淡路大震災25年にむけて、「あの日、何があったのか」をテーマに、ブログやツイッターで記事。多くの学生や教職員に、<震災体験>を発信していきます。


《阪神・淡路大震災25年「あの日、何があったのか」》
●日時=2019年11月10日(日)
 13時 日弁連の災害復興支援委員会委員長 弁護士・津久井進さん(1993年・法卒)
 15時 中国新聞地域ビジネス局 里田明美さん(1996年・自然科学研究科修了)
●場所=神戸大六甲台第1キャンパス 六甲台本館2階206教室(神戸市灘区六甲台町)
●主催=
 神戸大メディア研
●後援=
 神戸大学学生震災救援隊
 神戸大学ニュースネット委員会
 神戸大学東北ボランティアバスプロジェクト
 神戸大学持続可能災害支援プロジェクト Konti
 灘地域活動センター(N.A.C.)





六甲祭で震災25年写真パネル展 ②困難に直面した神戸大

2019-11-09 05:00:38 | 阪神・淡路大震災
 1995年1月17日午前5時46分に発生した「阪神・淡路大震災」。直後から、下宿が倒壊したり、ライフラインが止まって下宿に住めなくなった学生らが大学にやってきた。さらに、体育館や会議室に市民らも避難してきた。混乱の中で、本部には対策本部が設けられ、各学部では学生の安否確認が進められた。阪神・淡路大震災25年の写真パネル展「あの日、何があったのか」では、困難い立ち向かった大学内の貴重な写真を、大きなサイズで公開する。11月9日(土)、10日(日)、神戸大の学園祭「六甲祭」で(主催=神戸大メディア研)。六甲台本館2階206教室で。両日とも、10:00〜17:00。


↑市民の避難所になった国際文化学部 武道場。1995年1月27日撮影
<写真=神戸大メディア研/ニュースネット>


↑本部庶務部の災害対策本部 1995年1月27日撮影
<写真=神戸大メディア研/ニュースネット>


↑発達科学部グラウンドや六甲台グラウンドは、救援の自衛隊が駐留する拠点になった。写真は発達科学部グラウンド。1995年1月27日撮影<
<写真=神戸大メディア研/ニュースネット>


↑学内の掲示板の速報には「神大生、20人以上が死亡」の見出し。 六甲台本館東の渡り廊下で 。1995年1月27日撮影
<写真=神戸大メディア研/ニュースネット>

↓災害対策本部の鈴木正裕学長。1995年1月27日撮影
<写真=神戸大メディア研/ニュースネット>






六甲祭で震災25年写真パネル展 ①激震に襲われた六甲

2019-11-09 04:07:07 | 阪神・淡路大震災
 11月9日(土)、10日(日)、神戸大の学園祭「六甲祭」で、神戸大メディア研は阪神・淡路大震災25年の写真パネル展「あの日、何があったのか」を開く。1995年1月17日早朝、激震に見舞われた六甲の街、倒壊し焼けた下宿街、崩れ落ちた阪神高速。私たちの街が、大学が、あの日、どうなったのか。貴重な学内の記録写真も展示される。六甲台本館2階206教室で。両日とも、10:00〜17:00。

1995年1月17日、朝

 神戸大の六甲台地区(現在の六甲台第1、第2、鶴甲第1、第2各キャンパス)の建物には大きな被害はなかった。しかし、研究室や図書館の書架が倒れたり、研究機器が落下するなどの影響があった。


灘区鶴甲から見た神戸大キャンパス 1995年1月17日午前7時過ぎ。市街地からはすでに火災の黒煙が上がっている。
柴藤哲也さん撮影 <写真=神戸大メディア研/ニュースネット>


国際・教養系図書室(現 総合・国際文化学図書館)の2階開架閲覧室。1995年1月17日 神戸大学附属図書館撮影
<写真提供=神戸大学附属図書館 震災文庫>

激震に襲われた六甲周辺


灘区稗原町1丁目 花木酒販前から南を望む 1995年1月19日撮影
 <写真提供=神戸市>


灘区友田町5丁目のグランド六甲。1995年2月4日撮影
<写真提供=神戸市>


灘区森後町の六甲本通。右側のビルは2階が崩壊。左に傾いている。
1995年1月17日撮影 <写真提供=神戸市>