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あの日から25年 六甲台・深江の慰霊碑前で献花式

2020-01-17 17:36:32 | 阪神・淡路大震災
 1995年の阪神・淡路大震災発生から25年が経った。神戸大六甲台第1キャンパスと深江キャンパスにある犠牲者慰霊碑の前では、1月17日12時30分から献花式が行われた。節目の年を迎えるこの日、教職員、犠牲者の遺族や友人ら、そして現役の学生など約230人が参列。それぞれの思いを寄せていた。<震災25年取材班>

 阪神・淡路大震災で、神戸大学では学生39人(うち留学生7人)、職員2人の計41人が犠牲となり、神戸商船大学(現海事科学部)では、学生5人(うち留学生1人)、研究員1人のあわせて6人が犠牲となった。
 六甲台第1キャンパスの慰霊碑には、亡くなった41人の名前が刻まれている。数日前からすでに、ここに花を手向けに来る人々の姿があった。

 1月17日は朝9時ごろから会場の準備が始まっていた。12時半からの式典では、黙祷のあと今年は混声合唱団エルデが「しあわせ運べるように」の合唱を献歌。


(写真=混声合唱団エルデが「しあわせ運べるように」を献歌した。撮影=神戸大メディア研)
【動画】神戸大で震災犠牲者の献花式 混声合唱団エルデの献歌 https://youtu.be/oIfTyJkEi9U

 続いて、武田廣学長が、追悼の言葉を述べ、神戸大が被災大学としての自覚を持ち、これまで災害科学研究を推進し震災復興災害活動を継続的に行ってきたことについて触れたうえで、今後に向けて次世代を担う学生達に震災の記憶を伝え続けると決意を述べた。
(【関連記事】「武田学長『追悼の言葉』全文」https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/3361dac3679da230f543d3888cf64ba2


(写真=追悼の言葉を述べる武田廣・神戸大学長。撮影=神戸大メディア研)
【動画】神戸大で震災犠牲者の献花式 武田学長の追悼の言葉<前半> https://youtu.be/67mz17oR_oU
【動画】神戸大で震災犠牲者の献花式 武田学長の追悼の言葉<後半> https://youtu.be/iUDrWDmzBzQ


 参列者は、一人一人白菊を持ち、武田廣学長に続つづいて慰霊碑に花を手向けた。
 神戸大総務課のまとめでは、この日の参列者は例年より多い約230人。うち、遺族30人、学生・教職員200人。献花は13時をまわっても続いた。

(写真=献花する武田学長。撮影=長谷川雅也)

 昨年は見られなかった現役の神戸大生の姿が、今年はあった。約40人もの学生が、慰霊碑に足を運んだ。
 軟式野球部に所属していた下井拓己さん(法・4年)と藤岡真菜さん(医・保健4年)は、メディア研の告知で献花式のことを知り、初めて来場したという。
 同じ軟式野球部に所属していた息子の鈴木伸弘さん(当時22、工・3年)をなくした母・綾子さんは、「後輩の学生たちが献花式に来てくれてうれしい」と笑顔で話した。
(【関連記事】「現役学生約40人が参列 若い世代が加わった今年の献花式」https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/5e0214ef8fa59fe9ff8ff1f43e5ed51e


(写真=献花式にはこれまでにない数の参列者が訪れ、慰霊碑の周りを囲んでいた。撮影=小野花菜子)

 武田廣学長は、メディア研の取材に、「自然災害の多い日本で、国立大学として震災を忘れずに、防災に取り組むことは重要。研究機関として、教育機関として、地震などの問題にこれからも取り組んでいきたい。また、神戸大生に、自分の大学の学生が多く亡くなったということは今後も伝えていかないといけない」と答えた。さらに、震災を経験していない現役の学生に対して、「いつ、なんどき何が起こるか分からない。(地震など)何かあった時のために普段から備えてほしい」と話した。


(写真=献花式を終え、メディア研の取材に答える武田学長。2020年1月17日13時8分、六甲台慰霊碑前で。撮影=神戸大メディア研)

慰霊碑を訪れた木村幹・国際協力研究科教授の話
▽どうして今日ここに来ようと思ったのか。
「留学生に対して震災のことを教えていて、普段から震災に関心があるから」。
▽阪神・淡路大震災から25年、どのような想いか。
「学生と話していて、兵庫県育ちの人でも今日が何の日か知らない人がいることに衝撃を受けた。『そういえば今日は震災の日か…』っていうくらいの認識の人も多い。だからこそ、神戸大の献花式で(震災の事実を)伝えるのは重要。国際的にも、外国人、留学生に震災のことを伝えるという目的もある。25年たつと震災は教科書に出てくるような過去のこととして捉えられ、神戸大ですら忘れ去られる」。
▽今の大学生にどう震災を伝えればよいか。
「知らない人にどう伝えるかは知っている人の実力の部分もある。大学生は震災を忘れているという事実を見据えたうえで、『今日は追悼の日で、同じ大学の学生が亡くなったことに思いを馳せよう』と大学生に思わせることが、震災を学生に伝える際に重要だと思う」。
▽学生が学生に震災を伝えていくことについてどう思うか。
「自分自身が経験していないことを伝えるのは難しい。伝える際には学生に想像力をもってもらうことが大事。自分が当時亡くなられた方、友をなくした方と同じ立場だったらどうだろう、という風に考えてもらえば、学生に震災を自分事として捉えてもらえるのではないか」。


(写真=献花式を前にメディア研の取材に答える木村幹教授。2020年1月17日11時29分、六甲台本館前で。撮影=神戸大メディア研)

献花式に参加した応援団の宮脇健也さん(営・4年)の話
「応援団の現役代表として、部員にも声をかけて集まった。(震災で亡くなった応援団第35代の)高見団長にご挨拶のような気持ちで参加した。慰霊碑に来たのは初めて」。
「去年来られなくて後悔した。1年生にも伝えたいと思った。現役の学部生は震災を知らない。今まで自分も震災に対して現実味を感じてはなかったが、応援団で亡くなった方の同期の方も来られていて、僕たちと同じような年代の人が亡くなったことを初めて知り、実感した」。

都築和子さん(55、亡くなった神戸大生・櫻井英二さんの姉)の話
「17日は毎年来ている。私の中ではまだ時間が止まったまま。毎年JR六甲道から歩いてくる道中、心の中で弟に話しかけるようにしているが、やっぱり悲しい。弟は六甲道の近くに住んでいたが、数日前にも私の家に来ており、もしその時泊まっていたらとか、時期があと3ヶ月ずれていたら就職して下宿を出ているのに、など、考えても仕方がないがやっぱり悔しい。」

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 神戸商船大(現・神戸大海事科学部)の震災犠牲者慰霊碑がある深江キャンパスでも、1月17日12時30分から追悼の献花式が行われた。


(写真=旧・神戸商船大の門柱のレプリカ。上部と下部の色の違う石は、阪神・淡路大震災で倒壊した当時の門柱に使われていたもの。2020年1月17日11時ころ、神戸大深江キャンパスで。撮影=玉井晃平)

 1月17日11時ごろから式典の準備が始まっていた。ここは人目につきづらい奥まったところにあるためか、式典前に訪れる人の姿はなかった。例年、遺族が式典に来ることはほぼないという。

 12時半からの式典では、内田誠・海事科学研究科長をはじめ大学の教職員ら、学生自治会の代表らなど約50人が集まった。
 1分間の黙祷のあと、内田研究科長らがひとりひとり、亡くなった6人の名前が刻まれている慰霊碑に花を捧げていた。


(写真=献花後、黙祷する内田誠・海事科学研究科長。撮影=玉井晃平)

内田誠・海事科学研究科長の話
「(阪神・淡路大震災のような大きな被害は)二度とあってはならないことだ。しかし、例えば近い将来の発生が予測される東海・東南海地震やその津波など、自然災害は避けられない。ハザードマップではここ(深江キャンパス)も備えが必要だ。守るべきものには敷地内の資産や学術資料などももちろんあるが、何よりまずは人命優先だ。阪神・淡路大震災で旧・神戸商船大学の学生と研究員が6人、職員なども含めて合計12人が犠牲になった。ずっと記憶に留めていく」。

献花に訪れた桜井加津子さん(51、神戸市在住)の話
「帆船が好きで、92年に研修生として『海王丸』に乗った。その時(当時の)神戸商船大学生らと交流があった。震災の時は長野にいて被害を受けなかった。この日(1月17日)に慰霊碑を訪ねたのは初めて。25年の節目であることと、昨年、もう一度『海王丸』に乗ったことがきっかけになった。(この日)この場所にいたいと思い慰霊碑に来た。朝5時46分は東遊園地に行ってきた」。
「娘は海事科学部に在学していて今年20歳。これからも帆船や実習生を応援していきたい。震災を知らない世代の人たちも、ぜひ(震災のことを)知っていってほしい」。

<震災25年取材班=森岡聖陽、玉井晃平、長谷川雅也、小野花菜子、中島星翔、綿貫由希、渡邊志保、山本慶典、中村成吾、坂本聡、三谷光市、津田友弘>

(1月17日17時36分 アップロード、21日9時50分更新)

【訂正】今年の献花式で合唱を披露した団体は「混声合唱団アポロン」ではなく「混声合唱団エルデ」でした。お詫びして訂正いたします。(2020年1月18日10時25分 編集部)






故・高見団長を偲んで 応援団OB・OGが倒壊下宿近くで黙祷

2020-01-17 11:42:12 | 阪神・淡路大震災
 被災した故・高見秀樹応援団団長(当時・経済3)の住んでいた盛華園アパートのすぐそばにある「ともだ公園」(神戸市灘区友田町)に、応援団のOB・OGら10人が集まり、震災発生時刻の5時46分に黙祷がささげられた。


(写真:黙祷を捧げる応援団のOB・OGら。 2020年1月17日5時46分 神戸市灘区友田町で)

 神戸大応援団の第35代団長に就任したばかりの高見秀樹さんは、灘区友田町1丁目の盛華園アパート2階18号室に下宿していた。
 1995年1月17日午前5時46分の激震で、アパートは1階に2階が覆いかぶさる形で倒壊。
 当時の応援団員が高見さんを瓦礫の中から運び出したが、助からなかった。
 鳥取県から駆けつけた両親によると、左の首筋あたりに冷蔵庫か電子レンジかが当たって亡くなったとみられるという。(連載【慰霊碑の向こうに】④ 故・高見秀樹さん(当時経済学部3年) https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/eb2e066042bfb01d561385907b64f44a

 高見団長を偲ぶこの集いは、毎年ともだ公園で静かに開かれる。
 「自分たちは一番かわいがってもらった世代でした」高見さんの一つ下の後輩だった国司和丸さんは震災以来かかさず参加している。「もう25年たつんだなって感じです。ここに来ると(高見さんを)近くに感じられるというか、自分の近況を報告するような気持で毎年ここに来ています」という。

 黙祷が終わり、公園の石段の上に高見さんが好きだった日本酒が載せられ、その隣にろうそくと線香入れが用意された。
 ひとりひとり線香をあげ、手を合わせ拝む。高見さんの先輩にあたる沖吉倫子さん(第33代)と野木康代さん(第34代)は、「今年も集まったよって、ずっと一緒だったよ、って手を合わせています」と静かに語ってくれた。



震災慰霊碑前の動き ドキュメント

2020-01-17 10:13:39 | 阪神・淡路大震災
 阪神・淡路大震災から25年。1月15日から、発災の日の17日までの六甲台第1キャンパスと深江キャンパスの慰霊碑前を中心に、神戸大生の動きを追った。

1月15日(水)
10時30分
メデイア研が、六甲台本館前の慰霊碑近くで「17日に献花式」の告知号外を配布し始める。

(写真:配布の号外)

12時35分
亡くなった坂本竜一さん(当時工・3年)の知人、予備校で知り合ったという神野直子さん(岡山大出身、高校教諭)が慰霊碑に花を手向ける。「地震直後の1月17日の夜だったか、こちらから(坂本さんの)実家に電話したところ、坂本さんの妹さんから『お兄ちゃんあかんかってん』という返答をもらった。私は当時、岡山にいたので、(住んでいた下宿の西尾荘が焼けたことなど)被害の状況がなかなかわからなかった。」毎年、この日とお盆の頃に慰霊碑で手を合わせるという。


1月16日(木)
12時すぎ
この日もメデイア研が、六甲台本館前の慰霊碑近くで「17日に献花式」の告知号外を配布。



15時30分
亡くなった桝富浩二さん(当時自然科学研究科・修士1年)の知人、「混声合唱団アポロン」で桝富さんの後輩だった松本恵さん(神戸大教育学部卒、震災当時社会人1年目)が慰霊碑に花を手向ける。松本さんが桝富さんの訃報を知ったのは、震災から1週間後。当時松本さんは働いていたので訃報が届くのが遅かった。桝富さんのことはみんなにとって「辛い思い出」なのでアポロン内では話すことが少なかった。それでも、毎年この時期には花を手向けに来ているという。

17時00分
震災25年の日を前に、静かな震災慰霊碑。いくつか花束が見える。


18時00分ごろ
慰霊碑にさらに花束が1つ増える。

20時00分
「つどいの家」(灘区大和町)で神戸大学学生震災救援隊の現役学生と卒業生が「1.17をのんびり過ごす会」を始めている。今夜は鍋をつつきながら一晩中、阪神大震災について語り合う。午前5時46分には近くの大和公園で黙祷を捧げる予定。


21時05分
静かな六甲台慰霊碑。


21時35分
震災25年『ラジオ深夜便』特番を待つNHK大阪のRN-1スタジオ。
このあと23:05〜明朝5:55まで放送予定。
神戸大学の慰霊碑からの中継のほか、メディア研メンバーが出演予定。


23時05分
関西発『ラジオ深夜便』 阪神・淡路大震災25年 特集「知らない世代に、伝えたいこと」 が始まりました。
震災の記憶や教訓を若い世代にどう伝えるのかを考える特集番組。
スタジオゲストは、落語家の桂吉弥さん(1995年教育学部卒)と、神戸大メディア研の玉井晃平部員。
司会は住田功一アナ(1983年経営学部卒)と、神戸局の北郷美穂子アナ(仙台出身)。


23時18分
『ラジオ深夜便』が、東灘区阪神御影の居酒屋「現吉」から中継リポート。震災で犠牲になった学生、竸基弘さん(当時・ 自然科学研究科博士前期課程1年)の同級生と遺族が語り合う様子を伝える。


23時30分
六甲台の慰霊碑は静かです。


23時40分ごろ
『ラジオ深夜便』生放送で、桂吉弥さん(当時、神戸大教育学部5年生)は、「下宿で寝ていると、ウワーって大きな揺れが来て目が覚めた。布団から顔を出すと本棚も冷蔵庫も倒れてグチャグチャ。窓から外を見ると、電柱がポッキリ折れてて、これはヤバイと感じた」


1月17日(金)

1時30分ごろ
六甲台慰霊碑前から神戸の市街地を見下ろす。街の明かりも徐々に減ってきた。


2時08分ごろ
六甲台慰霊碑前から『ラジオ深夜便』の中継リポート始まる。「この時間冷え込みが厳しくなっています。じっとしているだけで体が震えてきます」と松苗アナ。メディア研の小野、中島両部員「慰霊碑を訪れる人に話を聞こうと、16日昼からここで取材しています」。


3時50分
70代の女性(会社役員)が慰霊碑を訪れる。「神戸出身で神戸大にも子どものころからの思い出が多く、今でもウォーキングコースとしてよく通りかかるが、慰霊碑があることはラジオ深夜便で初めて知ったので来た。灘区の琵琶町復興住民協議会の一員で、1月17日の5時46分には琵琶町公園でメンバーが集まり、慰霊祭を開いている」。


5時46分
地震発生時刻。東灘区の70歳代の女性がタクシーで訪れて、慰霊碑に手を合わせる。「夫が発達科学部の教員で、自宅マンションが被災したのでしばらく研究室に親子3人で避難していた。慰霊碑があることは、昨日、メディア研の告知号外で知った。どうしてもこの時間に来ようと思った」。


7時00分
夜が白々と明けてきた。


7時20分
故・上野志乃さん(当時・発達科学2年)の父・上野政志さん(72)が、慰霊碑に線香を供える。5時46分には志乃さんが亡くなった灘区琵琶町で手を合わせてから、大学の慰霊碑に来た。10年でも25年でも(思いは)変わらない。娘の足を触って、氷よりも冷たかったことは鮮明に覚えている。最近のニュースで「神大生が亡くなったということを忘れない」とインタビューで答えていた学生を見て嬉しかった。(学生と教職員が)41人も亡くなったというその数は大きい。でも一人一人の顔も覚えていて欲しい。


9時00分
献花式の会場設営が始まる。


11時00分
深江キャンパスの慰霊碑。神戸商船大の犠牲者6人の名が刻まれている。


11時30分
献花式1時間前の六甲台慰霊碑。

海事科学部の慰霊碑前でも式典の準備。


11時55分
国際協力研究科の木村幹教授も慰霊碑に。


12時00分
六甲台慰霊碑前には、大学の理事らが集まり始める。


メディア研の告知号外、慰霊碑周辺でこの時間も配布。


12時30分
献花式開始のアナウンスに続いて、武田学長はじめ参列者が黙祷をささげた。


【動画】「黙祷をささげる武田学長ら」https://youtu.be/SP1tqd5Erro

12時31分
武田学長が“追悼のことば”。「慰霊碑に込められた精神をそして銘板に刻まれた『友よ、神戸大学を、そして世界を見続けてほしい』という言葉に込められた思いを改めて心にとどめ、今後も教職員学生にしっかりと語り続けていきたいと考えております」。


【動画】「学長の追悼の言葉<前半>」https://youtu.be/iUDrWDmzBzQ
【動画】「学長の追悼の言葉<後半>」https://youtu.be/iUDrWDmzBzQ

深江キャンパスの慰霊碑でも、献花式が始まる。内田誠・海事科学研究科長は、「阪神・淡路大震災で旧・神戸商船大学の学生と研究員が6人、職員なども含めて合計12人が犠牲になった。ずっと記憶に留めていく」。


12時33分
混声合唱団エルデの13人が指揮者に合わせて「しあわせ運べるように」を献歌。


【動画】「混声合唱団エルデの献歌」https://www.youtube.com/watch?v=oIfTyJkEi9U

12時35分
武田学長が献花。理事、教員らの献花が続く。


12時37分
遺族の献花も始まる。慰霊碑ではなく、プレートに花を供え涙ぐむ遺族の姿も。


12時46分
慰霊碑の後方、正門階段上でも、多くの職員や学生が式典を見守る。去年までは、学生が通り過ぎるだけだった。


【動画】「慰霊碑の周辺には多くの学生や教職員が」https://youtu.be/ktvtNzzxrts

12時50分
教職員に混じって、現役学生も献花を始める。応援団員らが白菊を供え、手を合わせる。


12時59分
エルデの合唱隊も慰霊碑に花を供える。


13時00分
献花の列がまだ続いている。


13時05分
大学職員が、震災関連記事を掲載したニュースネット本紙の1月号を配布。


13時08分
献花を終えた武田学長がメディア研の長谷川記者の取材に答える。
「国立大学として震災を忘れずに、防災に取り組むことは重要。また、神戸大生に、自分の大学の学生が多く亡くなったということは今後も伝えていかないといけない」。


13時11分
慰霊碑前に遺族15人が声を掛け合って集合写真を撮影。報道各社もシャッターを切る。


13時15分
「亡くなった先輩がいると聞いて参列しました」という軟式野球部員の下井拓己さん(法4年)と藤岡真菜さん(保健4年)。報道関係者が、震災で亡くなった軟式野球部員、鈴木伸弘さん(当時・工3年)の母・綾子さんをみつけて引き合わせる。


13時35分
参列した遺族の多くは、下宿跡や東遊園地に向かうためキャンパスを降りる。学内関係者も、それぞれの部局に引き上げる。大学職員が、「お花がまだありますので献花しませんか」と残っていた学生に声をかける。メディア研の部員も、献花してを静かに手を合わせる。


14時00分すぎ
キャンパスは、元の静けさを取り戻す。








OBや市民と鍋囲む 学生震災救援隊が「1.17をのんびり過ごす会」

2020-01-17 02:01:22 | ニュース
 神戸大学学生震災救援隊の部員と救援隊にゆかりのある人々が、ゆっくり夜通し震災を振り返るイベント「1.17をのんびり過ごす会」を開いている。1月16日から1月17日を神戸市灘区大和町の「つどいの家」で過ごす。<長谷川雅也、小野花菜子、前田万亜矢>


(写真:つどいの家で鍋を囲んで、のんびりと過ごす。2020年1月16日午後7時、つどいの家で撮影)

 このイベントは被災地支援を行う神戸大学学生震災救援隊が主催で、1月16日の夕方からのんびりと楽しくご飯を食べることを目的とした会。震災の翌年から毎年この時期に開かれており、今年も多くの学生と救援隊に関わった人たちと食事を共にした。翌朝の17日の午前5時46分には「つどいの家」から徒歩4分の大和公園で黙祷を捧げる。

 この会の代表を務める近藤功貴(こんどう・こうき)(理・3)さんは「阪神淡路大震災からちょうど25年だが、特別に意識したことをするわけではなく、例年通りこの会を行っている。」とコメントした。また復興住宅で週に一度お茶会を開催している石崎貴恵(いしざき・たかえ)(済・3)さんは「私達の記憶にはない阪神淡路大震災の話を被災した方から直接聞け、(私たちが)伝えていく役目を負っていると感じました。」と語った。