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現役学生約40人が参列 若い世代が加わった今年の献花式

2020-01-20 02:56:13 | 阪神・淡路大震災
 1月17日午後、六甲台第1キャンパスと深江キャンパスで、神戸大の阪神・淡路大震災の慰霊献花式が行われた。去年は姿のなかった現役学生。しかし、今年は六甲台の慰霊碑前に少なくとも40人の学生や留学生が参列し、この10年ほどの献花式では見られなかった光景があった。その背景には、講義やツイッターでの教員からのメッセージや、学生のSNSによる呼びかけがあった。<中村成吾、中島星翔>

 静かな音楽が流れる六甲台本館前の木立の中の慰霊碑前。いつもと違い、厳かな雰囲気につつまれたキャンパスに少し戸惑い気味に訪れた軟式野球部の下井拓己さん(法4年)と藤岡真菜さん(保健4年)に、年配の女性が声をかけた。報道関係者に促され2人に近づいたのは、震災で亡くなった鈴木伸弘さん(当時・工3年)の母・綾子さん。伸弘さんも、25年前は軟式野球部員だった。


(写真:軟式野球部の藤岡さん、下井さんに声をかける故・鈴木伸弘さんの母・綾子さん。2020年1月17日13時18分)
 
 「マネージャーさんよね?メンバーはたくさんいるの?」と綾子さんが話しかける。藤岡さんが「たくさんいますよ。写真に収まらないくらいです」と返すと、綾子さんの顔がほころんだ。下井さんが「2年ぐらい前に西日本の大会に出て、頑張ったんですよ」と最近の部の活躍を報告すると、綾子さんは穏やかな笑みを浮かべた。
「卒業しても頑張ってね」と声をかけると、2人は大きく頷いた。

 綾子さんは、2人に「息子はとにかく野球が大好きで。中学、高校、大学と野球を続けて。阪神の大ファンだったのよ。あとオートバイで走り回ったりして、とにかく頑張っていたんです」。息子の伸弘さんのエピソードがとめどなくあふれだす。
 「部では頑張っていますか?合宿や遠征もあるのよね。息子の分まで頑張ってね」。
 2人は、綾子さんの一言一言に耳を傾ける。下井さんは、「僕らは4年生なので引退したんですが。でも、頑張ります」と、これからも元軟式野球部員として、また社会人として頑張ることを綾子さんに約束した。

 綾子さんは、息子と同じ軟式野球部の後輩が献花式に来てくれてたことに、「それは嬉しいです」と満足そうだった。

 今回献花式に参列したきっかけについて、下井さんは、「野球部のLINEグループで、軟式野球部の先輩も亡くなっているって情報が回ってきた」とあかす。藤岡さんは、「初めて(献花式に)来たんですけど、(式について)知っていたら(これまでも)来ていたと思います」という。
 「同じ部活の人が震災で亡くなったことは今回初めて知った」という藤岡さん。下井さんは「僕はなんとなく知っていたけど」と話す。綾子さんと言葉を交わしたことで同じ部活の先輩が亡くなった事実を実感した様子だった。

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(写真:慰霊碑を少し離れて見つめる学生ら。留学生の姿も見える。去年はこうした光景は見られなかった。2020年1月17日12時45分)

様々な呼びかけが学生たちを動かした

 メディア研の取材によると、今年の献花式には現役の学生、少なくとも40人が参列した。この背景には講義やツイッターで教員が献花式の開催を伝えたことや、学生同士のSNSによる情報提供があった。

講義の中で

 授業の中での教員の呼びかけで参列したのは、農学部1年の羽根田実和さん(滋賀県出身)と経済学部1年の河田彩花さん(大阪府出身)。「日本史の授業で、1月8日に休講になった分に献花式の感想を書きなさいという課題が出たので来た」という。理学部の川上竜司さん(島根県出身、19歳)は、「阪神・淡路大震災は名前を知っているくらいだったが、同じように進学した神大生が下宿先で亡くなったという話は、悲しい。神戸に来たのも何かの縁かと思い参加したかった」。本田凪さん(農1)は、「同じ大学に在学中に亡くなった人達の存在を知ってぜひ献花に行きたいと思った」、「授業で亡くなった方の好きだったことや具体的な話を聞いて実感が湧いた」。

教授のツイッターで…

 「国際協力研究科の木村幹教授や松並潤教授から教えてもらって来た」というのは、インドネシアからの留学生のウィディ・ウランダリさんとプルダニ・ブディアルティ・ハユニン・ティヤスさん(いずれも修士2年)。インドネシアでも地震や津波災害があるため、自然災害に関心があるという2人は、「日本に来る前から阪神・淡路大震災という大きな悲劇があったことを知っていた」、「亡くなった方への敬意を表するために参列した」と口をそろえた。
 丸子敬仁さん(経営学研究科・博士後期課程2年、27歳)は、「セレモニーに参加することにも意味がある」という木村幹教授のツイートを読んでいたので、論文提出の際に立ち寄ったという。図書館の震災展示にあった長田の焼け跡の画像を見て、「こんなことがあったんや…」と言葉も出なかったという。

部活の先輩の死を聞いて…

 部活やサークルのつながりで参加した学生もいた。
 震災で亡くなった応援団長・高見秀樹さん(当時・経済3年)の後輩にあたる、応援団の宮脇健也さん(経営4年)は後輩団員たちを連れて参列した。「去年来られなくて後悔した。震災を知らない1年生にも伝えたいと思った。今まで震災に対して現実味を感じていなかったが、僕たちと同じような年代の人が亡くなったことを知り、(震災を)実感した」と話した。
 「昨日部活があって、そこでOBの方が亡くなったと聞いて来ました」という混声合唱団アポロン所属の村松真由子さん(19)は、「たくさんの神大生が亡くなっていると聞いて驚いた。神戸に下宿して初めてこの日を迎えるが、地震は避けられないのでこれからの対策が大事だと思う」と話す。


(写真:献花する1年生応援団員ら 2020年1月17日12時51分 六甲台第1キャンパス慰霊碑で)

号外やブログ記事で…

 メディア研の告知号外を受け取って来たのは、北海道出身の国際協力研究科1年・松本一也さん(23)。「テレビを見ていると神戸の人には特別なことなんだなと思う」。
 「記事を見て学生が去年一人も来ていないのに驚いた。こういう活動をしているし参加しなければと思った」というのは、震災救援隊で活動していたシステム情報研究科1年の江藤恒夫さん。「知らない人の割合が増えると忘れられる。時間がたてばたつほど、伝えていくことが必要」。
 太田有祐さんは土木や災害を研究する修士1年。「メディア研のブログで、六甲道駅が実際につぶれている写真などを見て衝撃を受け実感がわいた。もっと周りにも知ってほしい」と投げかける。

 一方、神戸出身の遠藤奈生さん(国人4年、22歳)は、「小・中・高すべて神戸市立だったので震災教育があったが、大学ではあまりみんな詳しく知っているわけではないことに気づいた。自分自身も初めて参列した。もっと大学内で意識している人が多くてもいいんじゃないかと思う」と、大学内での教育に期待する。

(写真:今年の献花式には、学生や教職員のこれまでにない長い列ができた 2020年1月17日12時46分)





震災写真パネル展が閉幕 学生・OB・市民がノートに想いつづる

2020-01-20 01:33:58 | ニュース
 阪神・淡路大震災直後の様子をとらえた写真パネル展「#知らなかった震災25年」(主催=神戸大メディア研)が1月18日に最終日を迎えた。会場となった神戸学生青年センターロビーのタイトルパネルの下におかれたノートには、学生や教職員、市民およそ30人の想いが綴られていた。〈森岡聖陽、山本慶典〉


(写真:遺族のメッセージを見つめる市民 2020年1月18日午後)


 これまでに写真パネル展は神戸大内で12月16日、17日と年をまたいだ1月9日の3日間開催され、のべ26人が来場した。今回、1月12日から18日の7日間、初めて学外で一般市民向けに開催された。

 会場には、崩れたJR六甲道の駅舎や、倒壊した深江付近の阪神高速神戸線の高架など、キャンパス近くの被害の様子を記録した写真約20枚が解説とともに展示された。

 また、メディア研がインタビューした、震災で亡くなった神戸大生9人の親やきょうだいのメッセージを抄録したパネルが随時会場に追加展示された。

期間中は写真を前にして当時の大変だった記憶を話す地域の中高年者や、初めてみる六甲の被災の様子に驚く学生など、幅広い世代が写真を通じ震災と向き合っている様子だった。
来場者に感想を自由に書いてもらうノートには、およそ30人が想いを綴っていた。

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(灘区の)篠原伯母野山に住んでました。39人もの神大生が亡くなられたんですね。私も3年震災ボランティアをしていました。荷物運びでボロボロになったワゴンを、神大ボラに寄付しましたよ。(元.灘地域助けあい ひまわりネットワーク IS)

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私は震災を経験していない世代です。身近な場所が、25年前にはこんなことになっていたのかと考えると衝撃を受けました。(神戸大 文学部4年)

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知っている学生さんが亡くなったので、いつも1.17には献花させて頂きに、六甲台の記念碑に行ってます。このような悲しみが無く、みんなが幸せでありますように。 (神戸市灘区六甲台町 TY)

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約25年前のことですか。忘れていることもたくさんあり、思い出すことができました。職場でも、震災を知る人が少なくなり、さびしく感じています。経験したことを忘れず、伝えたいと思います。(西宮の住民)

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学生がこうして遺族の方々にお話をきく活動をしているのはとてもすばらしいことだと思います。(神戸大 経済学部4年)

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いのちある限りはここ(灘区曽和町)から歩いて慰霊祭に…と誓ったが、もう今年は体調が許さない。残念。 (医師)

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あの時のことを思い出すと涙が出てきます。神大へ帰った時は(卒業生です)必ず慰霊碑に手をあわせております。

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今日朝テレビで見て来ました。私は震災の時は灘区にはいませんでしたが、今はこの灘区に愛着があり、本当に被害が大きかったことを知りました。ご遺族の方々の一言一言が本当に心に残ります。(垂水区生まれの主婦)

追伸 25年目に今の学生さんが、このような企画をされたことにも感銘を受けました。人の痛みや心に寄りそう若者たちに後世をつないでいきたいです。

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私も、今朝TVを拝見して来ました。あれから25年。風化させてはならないと、当時の写真を久し振りに見て、強く感じました。(TK)

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約40年前六甲台に通ってました。震災時は、仕事や自分の周りのことで手いっぱいでした。あらためてじっくりと当時を思い起こすことができました。
2020 1/16 経営学部30回生 TH
2020 1/16 工学部17 KK

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ありがとうございます! 
2020.1.17. 神戸大学教員 RA(当時も)

どうもありがとうございます。
1995.1.17.神戸大学在籍中の留学生2人
2020.1.17.

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語り継ぎ学ぶことの大切さをあらためて感じました。
 (堺在住 OK 当時、西宮市の学校に勤務)

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夢、希望をもって親元を離れて暮らす我が子が、自然災害とはいえ突然命を失う。親の気持ちを思うと、25年前のことは忘れてはいけないと思いました。

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私も今朝TVを見て来ました。
まだ生まれてすぐで記憶になく、身近に感じたことのない出来事でしたが、高校の母校の先輩のご両親にインタビューされてて、ぐっと親近感が湧きました。
(大阪市中央区 OT 米子東高校出身)

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地震発生時は大阪府にいました。今、神戸市で働くことになり、普段目にしている場所の当時の状況などが分かる写真を目にして、改めて被害の大きさを知ることができました。
これからも語りついでいくことの大切さを身をもって感じたので、今日、この写真展に来たことを周りの人に話してみようと思います。(堺市在住 OH)

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テレビを見て、姫路から来ました。
40年前、神大を卒業しました。
卒業後は、郷里に戻り(香川県)その後転勤になり、震災の時は静岡に住んでいました。
きょう、40年ぶりに、この六甲に来ました。阪急六甲と六甲道の中間くらいのところの「かじか荘」という、木造2階建の住宅に下宿していました。震災で、つぶれてしまったかな…と思います。帰りに、さがしながら歩こうと思います。
若い命が容赦なくうばわれてしまったことを、パネルで見、涙が出ました。
ご家族の悲しみは、25年たっても癒されることはないことを知りました。
(KN)

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昨年12月に神戸に引っ越してきました。神戸に来て震災というものが身近なこととして感じ、須磨区の震災巡りをしました。また、以前、競さんが震災で亡くなりたしか基金だったと思いますが、新聞記事で知り深く心に残っていました。
須磨区の震災巡りから長田区のモニュメント等をしらべていましたら、このパネル写真展があることを知り来ました。
競さんだけでなくたくさんの神大生の方々が亡くなり、もし震災がなかったら、優秀な人材として活躍されていたのだと思います。
その無念も感じながら、元大阪に住んでいた自分としては、震災について正しく知ること、体験はしていませんが聞いたこととして伝えることができれば…と思います。(IS)

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震災当時法学部4回生で、亡くなった森渉くんとは同級生でした。慰霊の集いも当時参加しました。
思いもよらぬ地震で命を失うことになった友人の無念を思わずにはいられません。
神大の後輩のみなさんがこうして震災について伝える企画をし、震災を知らなかった神大生の方々へ発信して下さったことを感謝します。
ぜひ次の世代の後輩の方たちにも語り継いでいただきたいと思います。(MK)

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忘れかけてた記憶、蘇りました、 天災よりも人災の被害大! (HS)

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Twiiterの情報をもとに訪ねてきました。
自分は震災当時生まれて間もなく、また地元が愛知県だったこともあり、阪神大震災についてあまり知らぬままこの歳まで生きてきました。
大学から神戸に来ましたが、神戸に来てからも震災についての実感をあまり持てずにいました。
しかし、神戸に6年住んでいると六甲・三宮の街並みも見慣れたものとなっていて、その見慣れた景色が震災で壊滅したような写真を見ることで、ようやく日常がいきなり破壊されてしまうことの怖さ、哀しさを実感できるようになりました。
自分のように震災を経験していないような世代にもこういった感情を与える機会を下さり非常に感謝しています。どうか震災の記憶が色褪せぬよう、これからも語り継いで下さい。(2020.1.17 神戸大学 農学研究科 修士2年 N)

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いろいろ思い出しながら見させていただきました。
「西尾荘」は友人が住んでいて、何回も泊まりました。
その友人は、地震の前にところに引っ越しました。
このような写真展は、記憶をつないでいくためにも
とても大切なことだと思います。 神戸学生青年センター HY

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忘れない、忘れさせない。(神戸大学OB FR)

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神戸出身で京都在住。
今日は滋賀の職場から東遊園地に行く途中に下車して寄りました。
若い人たちが語り継いでいこうとしてくれることが嬉しいです。
息子が神大をめざしてます。語り継いでいこうと思います。
遅い時間まで開けてくれてありがとう。(1.17.20:00 M)

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震災当時のマンション関係の問題点、経験したことをお伝えしたくて来ました。関心がおありなら連絡して下さい。T 2020.1.18.

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震災以降に神戸にやってきて、神大で学びました。
お世話になった先生方やいろいろな方も、震災を経験され、その後も様々な形で関わっておられます。
その体験を聞く機会や活動に関わらせてもらう機会があり、何か震災のことを知った気になっていた自分もいたのかなと思います。
自分に子どもが生まれたり、自分も歳を重ねてきたことも関係するかもしれませんが、あらためて当時の様子やご遺族の方の言葉を拝見し、自分が被災していたらどうだったかな、という想像がとてもリアルに感じられます。
風化させない、寄り添うってどういうことかなって、また自分なりに考えていきたいと思いました。ありがとうございます。(20202.1.18. 40代女性)

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1月17日 午前5:46に大学慰霊碑に手を合わさせて頂きました。皆様のお陰で大勢の現役学生の方々に関心を持って頂けて良かったと思います。夫が発達科学部の教員でした。しばらく研究室に家族3人避難していました。これからも宜しくお願い致します。
 (東灘区 TM 69歳女性)