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震災で亡くなった学生の遺族 慰霊碑に今年も集う

2020-01-21 01:01:39 | 阪神・淡路大震災
 阪神・淡路大震災から25年。1月17日昼の六甲台第1キャンパスの神戸大慰霊碑には、1年ぶりに顔をあわせた遺族らの姿があった。ここ数年神戸を訪ねることができなかった遺族も、今年は、25年ということで参列する人も見られた。今年は現役学生の姿がみられたことが大きな心の支えになった、という声もあった。<献花式取材班>


(写真:今年は12組の遺族と関係者が集まって慰霊碑前で記念の写真を撮った。例年の倍ほどの顔ぶれがそろった。 2020年1月17日13時11分、神戸市灘区六甲台町で)

 「お元気でした?」。「いやぁ、おひさしぶりね」。60歳代後半から80歳代の年配の女性らが笑顔で声を掛け合う。
 阪神大震災で息子や娘を失った親御さんの悲しみは深く、伏流水のように心の底に流れている。しかし、年に一度、会っておしゃべりできる献花式の場は大切な時間だ。
 なぜか、父親らは、少し離れた木の下にたたずんで、母親たちのときに明るく弾む会話を、遠くから眺めていることが多い。

 今年は、25年ということで思い切って神戸に来たという遺族もいる一方で、かつて毎年参列していた遺族で、高齢を理由に断念した家族もいた。夫を、妻を震災後に亡くして、一人で参列する遺族も。

 5年ぶりに慰霊碑に来ることができた故・工藤純さん(当時・法修士1)の母、延子さん(72)。足が不自由になり、車いすで四国中央市からかけつけた。
 慰霊碑周りはでこぼこの土なので、少し離れた舗装されたところで献花式を見守った。公式の行事が終わると、母親たちが工藤さんの車いすを囲んだ。

 去年から体調を崩し、自宅で療養を続ける故・白木健介さんの父・利周さん(77)。この日は、早朝の東遊園地で追悼行事に参加してから、テレビクルーに付き添われて六甲台に登ってきて、少し遅れて献花に加わった。持ってきた花束をプレートの前に置いた。
 
 いつも、自然発生的に遺族が一緒に集合写真を撮るが、なかなかそろって撮影するタイミングが難しい。
 ところが今年は、声を掛け合って、多くの遺族が慰霊碑前に集まった。親しい遺族同士、あるいは何年かぶりに参列した遺族も…。今年は12組15人の遺族と関係者1人が慰霊碑前に並び、多くの報道カメラマンがシャッターを切った。

亡くなった学生のご遺族のコメント

●戸梶栄子さん(70歳)=大阪府和泉市
 当時経営学部2年 故・戸梶道夫さん<大阪府立三国ヶ丘高卒/バドミントン部>の母。
▽25年ということもあってか、学生のみなさんがたくさんこられた。
▽遺族のみなさんに1年に1回会えるのが楽しみ。今まで子どものことばかり思っていたが、みんな歳をとったなぁと感じる。来年は自家用車で来るのはやめて電車で来ようと話している方もいた。(連れ合いが)亡くなった方も多い。残念ながら今回会えなかった方もいた。
▽だんだん会えない人が増える中で、神戸に行けるあいだは夫と二人で行こうと話している。

●白木利周さん(77歳)=神戸市北区
 当時経済学部Ⅱ課程3年 故・白木健介さん<兵庫県立神戸高卒/硬式テニス部>の父。
▽みんなは節目というけど、息子のことを(いつも)思っています。1.17は瞬間的に当時のことを思い出します。(体調を崩していたが)1月17日までには復活するぞと思って来た。
▽ここ(慰霊碑)に来るとほかのご遺族の方に会える。みんな仲間で一人じゃないんだなって思える。

●藤原宏美さん(79歳)=津市
 当時経営学部4年 故・藤原信宏さん<三重県立津高校卒>の父。
▽何年とか、関係ない。25年は仏教では27回忌、それぞれの数え方があるけど、1年が経つということは老いること。でも子供の年齢は止まっている。(息子が)おってくれたら相談事とかできるけど…。

●藤原美佐子さん 藤原信宏さんの母。=津市
▽25年は短かったような長かったような。私は元気なうちは来るからね。多くの方に来てもらえるとうれしいな。

●工藤延子さん(72歳)=四国中央市
 当時法学部大学院修士1年 故・工藤純さん<愛媛県立三島高卒/応援団総部吹奏楽部>の母。
▽地震の日の一日前に戻ることができたらなと思ってしまいます。1月15日に吹奏楽部の飲み会があって、16日の朝まで友達と一緒に飲んでいた。友達が帰るとき、「工藤くんが一生懸命ワープロを触っていた」って。ワープロを「人と防災未来センター」に寄贈しようとしたとき(中から)細かい砂が出てきて。神戸の匂いがした。あの子はワープロを「僕の一番のたからもの」と言っていた。
▽毎日息子のことを思っている。時間が癒してくれるとかっていうことはない。何年目だからって変わるわけじゃない。

●工藤優さん 工藤純さんの父。=四国中央市
(延子さんが席を外しているときに)「息子が生きとると思っているんやろうなあ」。

●都築和子さん(55歳)=神戸市兵庫区
 当時法学部4年 故・櫻井英二さん<愛媛県立八幡浜高卒/ユースサイクリング>の姉。主婦。
▽1月17日は毎年来ている。JR六甲道駅から歩いてくる道中、心の中で弟に話しかけるようにしているが、やっぱり悲しい。弟は六甲道の近くに住んでいたが、地震の数日前にも私の家に来ており、もしあの日、泊まっていたらとか、時期があと3ヶ月ずれていたら就職して下宿を出ているのに、など、考えても仕方がないがやっぱり悔しい。私の中ではまだ時間が止まったまま。

●上野政志さん(72歳)=兵庫県佐用町
 当時発達科学部2年 故・上野志乃さん<兵庫県立龍野高卒/マンドリン部>の父。
▽こんなに多くの人が思いを馳せてくれているのが嬉しかった。交流がなかった遺族の方ともお会いできた、いい機会だった。

●林敬子さん(71歳)=山口県下関市
 当時経済学部2年 故・林宏典さん<山口県立下関西高卒>の母。
▽毎年来ているわけではなく、これまでに2、3回しか来ていない。今年は、25年という節目だったことと、私自身が年だから、東遊園地での催しをテレビで見て絶対に行こうと決めた。その後でここへ来た。
▽25年が経ってもやはり忘れられない。息子は灘区に住んでいて、即死だった。最近は災害が多くなってきているので、ぜひ(教訓を)受け継いでいってほしい。
(宏典さんの妹・由美子さん<43歳>とともに参列)

●阪口真咲さん(46歳)=滋賀県、会社員
 当時自然科学研究科博士前期課程1年 故・今英人さん<石川県立泉丘高卒/軟式庭球同好会、スキー同好会、湧源クラブ>の妹。滋賀県。
▽ここ10年は毎年来ている。それ以前は来たくなかった。思い出したくなかったので。
▽自分に子供ができて、母親になったことで、変化があった。母とここへ来られるようになった。
▽学長あいさつでもあったように、大学として災害への活動や研究に力を入れていってほしい。

●竸恵美子さん(72歳)=名古屋市
 当時自然科学研究科博士前期課程1年 故・竸基弘さん<名古屋市立向陽高卒/ユースサイクリング>の母。
▽献花式の参加者が年々減っていってましたけど、25年という節目やあなたたち(メディア研)の活動もあって、参列された方がいっぱいいてくださって嬉しかったです。
▽それと「しあわせ運べるように」を神戸に来た時に聞いていたのですけど、今回学生さんたち(混声合唱団エルデ)が改めて歌ってくれたのに心動かされて、癒されました。
▽今年、(献花式に現役学生が参加する)礎を作ってくれたと思うので、それをしっかりしたものにして、(次の世代にも)引き継いでいってくれるようにと願っています。きっと心ある学生がお見えになるので語り継いでいく。そのことを大事にしてほしいです。


亡くなった学生と生前関係があった方たちのコメント

●末吉種子さん(94歳)
 故・森渉さん(法学部4年)が当時住んでいた下宿先の大家さん。
▽こうやって今も森さんのご家族と関わらせてもらってありがたい。年齢的にここに来るのは最後かなあと。


●長瀬新さん(50歳)=大阪府
 当時法学部大学院修士1年 故・工藤純さんの吹奏楽部の先輩。
▽だいたい5年に1回、センター試験の頃来ている。
▽震災当時は倉敷の工場にいた。社員を連れて神戸に行こうとしたが入れなかった。火事で燃えている長田を船から見たのを覚えている。
▽工藤さんはとてもいい学生で、彼を失ったのはとても悲しい。
▽すぐそばまで来ていたのに、後輩を救えなかったのは無念で仕方がない。亡くなった方のことを、今の学生には語り継いで欲しいと思う。

●清水英志さん(45歳) 神奈川県川崎市。
▽4年ぶりに来た。来たら誰か(知り合い)がいるだろうと思い来た。
▽学部の同期生、所属していた応援団総部の先輩と後輩が亡くなった。
▽「25年だから」という意識はない。ただ思い出す機会が減ってきているのは確かだと思う。

●小平裕紀子さん(46) 清水さんと応援団の同期。愛知県。
▽10年ぶりに来た。「25年」に感じるところもあった。
▽学部の同期生と、所属していた応援団総部の先輩・後輩が亡くなった。
▽自分自身のライフステージが変わってきて、親としての気持ちがわかってきた。
▽愛知にいると(阪神・淡路大震災のことは)あまりニュースにならない。愛知で伝えたいし、自分の子供にも伝えていきたい。

●国司和丸さん(1997年卒) 故・高見秀樹さんの1期後輩の第36代応援団長
▽毎年1月17日には、(高見秀樹さんの住んでいたアパートのそばの)ともだ公園に来ています。で、そのあと、東遊園地に行って。同じ日にあれば献花式に行っています。
▽25年たって、(心境に)変化があるってわけじゃないですけど、(ともだ公園に来ると)近くに感じられるというか、自分の近況を高見さんに報告するような気持で毎年ここに来ていますね。

●松田殊里(ことり)さん=関西大の学生、広島県出身
▽加藤りつこさん(故・加藤貴光さんの母)の同伴で参列。東遊園地で加藤さんと合流した。
▽中学3年生の9月。貴光さんの生きざまと律子さんのお話を聞いて、自分が変わった。盈進(えいしん)高校1年の時、ヒューマンライツクラブに見学に行ったとき、加藤さん親子の冊子があって、入るしかないと思った。そこからずっと交流がある。
▽風化させるべきでないと思っている。震災関係の行事が少なくなっている。1.17の集いも行政でなく市民が続けている現状がある。次世代につなげるための種をまこう。そのために様々な世代と協力していくべきだと思う。

●高田義弘さん(57歳)=大阪市
 人間発達環境学研究科 准教授、神戸大卒業生、野球部監督、ボート部部長。
▽先ほど発達キャンパスから、(この慰霊碑に)来ました。授業の関係で来られない時以外は来ています。
▽亡くなった高見秀樹君(応援団)はよく試合で応援してくれていたし、アルバイト先の居酒屋に飲みに行くこともあった。上野志乃さん。川村陽子さんは学科の教え子だった。篠塚君は授業を受け持ったことがあります。無口で大人しい子でした。
▽私が子供のころはおじいさんから戦争の話を聞いていた。当時は「戦争なんて20年以上前のことだからわからない」と思っていたが、震災から25年を迎えて当時と同じ状況になってしまった。特に若い人たちは震災を経験していないので、熱量に差があります。記憶が伝わって行かないのではないかと大変不安に思っています。
▽震災のことは昨日のことのように思い出します。当時は十三(の自宅)から自転車で通勤していました。たくさんの建物が倒れ、平衡感覚を失うほどでした。また被害の度合いは武庫川を境に大きく異なっていて、別世界でした。
▽当時は学生委員として大学に残って活動していて、学生の安否情報をまとめる役割を担っていました。また学校の近くで学生を見つけたら、「大学に安否報告しなさい」、「友達にもするよう言いなさい」などと声を掛けて回っていました。
▽大学は大変だった。ちょうど二次試験を控えた時期。郵便局も被災していたので、出願書類が大学に届かず、センター試験の結果を受けた出願倍率の中間開示で0倍と出した。それを受けて応募が殺到。大阪大と岡山大に会場を分けて受験が行われることになった。中間開示以降に滞っていた出願書類と新たに殺到したものが届き、職員の方は単純計算で4倍の仕事量をこなしたことになる。すべて手で受験番号を振ってやっていた。大学職員は本当に大変だったと思う。
▽当時発達科学部の実技試験を行ったとき、グラウンドは自衛隊が占めていたが、「試験で使います」と言ったところ、スペースを空けてくれ、専門の車両できれいに整地して使わせてくれた。

【阪神・淡路大震災で亡くなった神戸大生、神戸商船大生のお名前】
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/b81d5f93f24d4db312586b32da0838da



現役学生約40人が参列 若い世代が加わった今年の献花式

2020-01-20 02:56:13 | 阪神・淡路大震災
 1月17日午後、六甲台第1キャンパスと深江キャンパスで、神戸大の阪神・淡路大震災の慰霊献花式が行われた。去年は姿のなかった現役学生。しかし、今年は六甲台の慰霊碑前に少なくとも40人の学生や留学生が参列し、この10年ほどの献花式では見られなかった光景があった。その背景には、講義やツイッターでの教員からのメッセージや、学生のSNSによる呼びかけがあった。<中村成吾、中島星翔>

 静かな音楽が流れる六甲台本館前の木立の中の慰霊碑前。いつもと違い、厳かな雰囲気につつまれたキャンパスに少し戸惑い気味に訪れた軟式野球部の下井拓己さん(法4年)と藤岡真菜さん(保健4年)に、年配の女性が声をかけた。報道関係者に促され2人に近づいたのは、震災で亡くなった鈴木伸弘さん(当時・工3年)の母・綾子さん。伸弘さんも、25年前は軟式野球部員だった。


(写真:軟式野球部の藤岡さん、下井さんに声をかける故・鈴木伸弘さんの母・綾子さん。2020年1月17日13時18分)
 
 「マネージャーさんよね?メンバーはたくさんいるの?」と綾子さんが話しかける。藤岡さんが「たくさんいますよ。写真に収まらないくらいです」と返すと、綾子さんの顔がほころんだ。下井さんが「2年ぐらい前に西日本の大会に出て、頑張ったんですよ」と最近の部の活躍を報告すると、綾子さんは穏やかな笑みを浮かべた。
「卒業しても頑張ってね」と声をかけると、2人は大きく頷いた。

 綾子さんは、2人に「息子はとにかく野球が大好きで。中学、高校、大学と野球を続けて。阪神の大ファンだったのよ。あとオートバイで走り回ったりして、とにかく頑張っていたんです」。息子の伸弘さんのエピソードがとめどなくあふれだす。
 「部では頑張っていますか?合宿や遠征もあるのよね。息子の分まで頑張ってね」。
 2人は、綾子さんの一言一言に耳を傾ける。下井さんは、「僕らは4年生なので引退したんですが。でも、頑張ります」と、これからも元軟式野球部員として、また社会人として頑張ることを綾子さんに約束した。

 綾子さんは、息子と同じ軟式野球部の後輩が献花式に来てくれてたことに、「それは嬉しいです」と満足そうだった。

 今回献花式に参列したきっかけについて、下井さんは、「野球部のLINEグループで、軟式野球部の先輩も亡くなっているって情報が回ってきた」とあかす。藤岡さんは、「初めて(献花式に)来たんですけど、(式について)知っていたら(これまでも)来ていたと思います」という。
 「同じ部活の人が震災で亡くなったことは今回初めて知った」という藤岡さん。下井さんは「僕はなんとなく知っていたけど」と話す。綾子さんと言葉を交わしたことで同じ部活の先輩が亡くなった事実を実感した様子だった。

  〜〜〜〜〜


(写真:慰霊碑を少し離れて見つめる学生ら。留学生の姿も見える。去年はこうした光景は見られなかった。2020年1月17日12時45分)

様々な呼びかけが学生たちを動かした

 メディア研の取材によると、今年の献花式には現役の学生、少なくとも40人が参列した。この背景には講義やツイッターで教員が献花式の開催を伝えたことや、学生同士のSNSによる情報提供があった。

講義の中で

 授業の中での教員の呼びかけで参列したのは、農学部1年の羽根田実和さん(滋賀県出身)と経済学部1年の河田彩花さん(大阪府出身)。「日本史の授業で、1月8日に休講になった分に献花式の感想を書きなさいという課題が出たので来た」という。理学部の川上竜司さん(島根県出身、19歳)は、「阪神・淡路大震災は名前を知っているくらいだったが、同じように進学した神大生が下宿先で亡くなったという話は、悲しい。神戸に来たのも何かの縁かと思い参加したかった」。本田凪さん(農1)は、「同じ大学に在学中に亡くなった人達の存在を知ってぜひ献花に行きたいと思った」、「授業で亡くなった方の好きだったことや具体的な話を聞いて実感が湧いた」。

教授のツイッターで…

 「国際協力研究科の木村幹教授や松並潤教授から教えてもらって来た」というのは、インドネシアからの留学生のウィディ・ウランダリさんとプルダニ・ブディアルティ・ハユニン・ティヤスさん(いずれも修士2年)。インドネシアでも地震や津波災害があるため、自然災害に関心があるという2人は、「日本に来る前から阪神・淡路大震災という大きな悲劇があったことを知っていた」、「亡くなった方への敬意を表するために参列した」と口をそろえた。
 丸子敬仁さん(経営学研究科・博士後期課程2年、27歳)は、「セレモニーに参加することにも意味がある」という木村幹教授のツイートを読んでいたので、論文提出の際に立ち寄ったという。図書館の震災展示にあった長田の焼け跡の画像を見て、「こんなことがあったんや…」と言葉も出なかったという。

部活の先輩の死を聞いて…

 部活やサークルのつながりで参加した学生もいた。
 震災で亡くなった応援団長・高見秀樹さん(当時・経済3年)の後輩にあたる、応援団の宮脇健也さん(経営4年)は後輩団員たちを連れて参列した。「去年来られなくて後悔した。震災を知らない1年生にも伝えたいと思った。今まで震災に対して現実味を感じていなかったが、僕たちと同じような年代の人が亡くなったことを知り、(震災を)実感した」と話した。
 「昨日部活があって、そこでOBの方が亡くなったと聞いて来ました」という混声合唱団アポロン所属の村松真由子さん(19)は、「たくさんの神大生が亡くなっていると聞いて驚いた。神戸に下宿して初めてこの日を迎えるが、地震は避けられないのでこれからの対策が大事だと思う」と話す。


(写真:献花する1年生応援団員ら 2020年1月17日12時51分 六甲台第1キャンパス慰霊碑で)

号外やブログ記事で…

 メディア研の告知号外を受け取って来たのは、北海道出身の国際協力研究科1年・松本一也さん(23)。「テレビを見ていると神戸の人には特別なことなんだなと思う」。
 「記事を見て学生が去年一人も来ていないのに驚いた。こういう活動をしているし参加しなければと思った」というのは、震災救援隊で活動していたシステム情報研究科1年の江藤恒夫さん。「知らない人の割合が増えると忘れられる。時間がたてばたつほど、伝えていくことが必要」。
 太田有祐さんは土木や災害を研究する修士1年。「メディア研のブログで、六甲道駅が実際につぶれている写真などを見て衝撃を受け実感がわいた。もっと周りにも知ってほしい」と投げかける。

 一方、神戸出身の遠藤奈生さん(国人4年、22歳)は、「小・中・高すべて神戸市立だったので震災教育があったが、大学ではあまりみんな詳しく知っているわけではないことに気づいた。自分自身も初めて参列した。もっと大学内で意識している人が多くてもいいんじゃないかと思う」と、大学内での教育に期待する。

(写真:今年の献花式には、学生や教職員のこれまでにない長い列ができた 2020年1月17日12時46分)





震災写真パネル展が閉幕 学生・OB・市民がノートに想いつづる

2020-01-20 01:33:58 | ニュース
 阪神・淡路大震災直後の様子をとらえた写真パネル展「#知らなかった震災25年」(主催=神戸大メディア研)が1月18日に最終日を迎えた。会場となった神戸学生青年センターロビーのタイトルパネルの下におかれたノートには、学生や教職員、市民およそ30人の想いが綴られていた。〈森岡聖陽、山本慶典〉


(写真:遺族のメッセージを見つめる市民 2020年1月18日午後)


 これまでに写真パネル展は神戸大内で12月16日、17日と年をまたいだ1月9日の3日間開催され、のべ26人が来場した。今回、1月12日から18日の7日間、初めて学外で一般市民向けに開催された。

 会場には、崩れたJR六甲道の駅舎や、倒壊した深江付近の阪神高速神戸線の高架など、キャンパス近くの被害の様子を記録した写真約20枚が解説とともに展示された。

 また、メディア研がインタビューした、震災で亡くなった神戸大生9人の親やきょうだいのメッセージを抄録したパネルが随時会場に追加展示された。

期間中は写真を前にして当時の大変だった記憶を話す地域の中高年者や、初めてみる六甲の被災の様子に驚く学生など、幅広い世代が写真を通じ震災と向き合っている様子だった。
来場者に感想を自由に書いてもらうノートには、およそ30人が想いを綴っていた。

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(灘区の)篠原伯母野山に住んでました。39人もの神大生が亡くなられたんですね。私も3年震災ボランティアをしていました。荷物運びでボロボロになったワゴンを、神大ボラに寄付しましたよ。(元.灘地域助けあい ひまわりネットワーク IS)

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私は震災を経験していない世代です。身近な場所が、25年前にはこんなことになっていたのかと考えると衝撃を受けました。(神戸大 文学部4年)

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知っている学生さんが亡くなったので、いつも1.17には献花させて頂きに、六甲台の記念碑に行ってます。このような悲しみが無く、みんなが幸せでありますように。 (神戸市灘区六甲台町 TY)

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約25年前のことですか。忘れていることもたくさんあり、思い出すことができました。職場でも、震災を知る人が少なくなり、さびしく感じています。経験したことを忘れず、伝えたいと思います。(西宮の住民)

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学生がこうして遺族の方々にお話をきく活動をしているのはとてもすばらしいことだと思います。(神戸大 経済学部4年)

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いのちある限りはここ(灘区曽和町)から歩いて慰霊祭に…と誓ったが、もう今年は体調が許さない。残念。 (医師)

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あの時のことを思い出すと涙が出てきます。神大へ帰った時は(卒業生です)必ず慰霊碑に手をあわせております。

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今日朝テレビで見て来ました。私は震災の時は灘区にはいませんでしたが、今はこの灘区に愛着があり、本当に被害が大きかったことを知りました。ご遺族の方々の一言一言が本当に心に残ります。(垂水区生まれの主婦)

追伸 25年目に今の学生さんが、このような企画をされたことにも感銘を受けました。人の痛みや心に寄りそう若者たちに後世をつないでいきたいです。

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私も、今朝TVを拝見して来ました。あれから25年。風化させてはならないと、当時の写真を久し振りに見て、強く感じました。(TK)

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約40年前六甲台に通ってました。震災時は、仕事や自分の周りのことで手いっぱいでした。あらためてじっくりと当時を思い起こすことができました。
2020 1/16 経営学部30回生 TH
2020 1/16 工学部17 KK

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ありがとうございます! 
2020.1.17. 神戸大学教員 RA(当時も)

どうもありがとうございます。
1995.1.17.神戸大学在籍中の留学生2人
2020.1.17.

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語り継ぎ学ぶことの大切さをあらためて感じました。
 (堺在住 OK 当時、西宮市の学校に勤務)

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夢、希望をもって親元を離れて暮らす我が子が、自然災害とはいえ突然命を失う。親の気持ちを思うと、25年前のことは忘れてはいけないと思いました。

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私も今朝TVを見て来ました。
まだ生まれてすぐで記憶になく、身近に感じたことのない出来事でしたが、高校の母校の先輩のご両親にインタビューされてて、ぐっと親近感が湧きました。
(大阪市中央区 OT 米子東高校出身)

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地震発生時は大阪府にいました。今、神戸市で働くことになり、普段目にしている場所の当時の状況などが分かる写真を目にして、改めて被害の大きさを知ることができました。
これからも語りついでいくことの大切さを身をもって感じたので、今日、この写真展に来たことを周りの人に話してみようと思います。(堺市在住 OH)

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テレビを見て、姫路から来ました。
40年前、神大を卒業しました。
卒業後は、郷里に戻り(香川県)その後転勤になり、震災の時は静岡に住んでいました。
きょう、40年ぶりに、この六甲に来ました。阪急六甲と六甲道の中間くらいのところの「かじか荘」という、木造2階建の住宅に下宿していました。震災で、つぶれてしまったかな…と思います。帰りに、さがしながら歩こうと思います。
若い命が容赦なくうばわれてしまったことを、パネルで見、涙が出ました。
ご家族の悲しみは、25年たっても癒されることはないことを知りました。
(KN)

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昨年12月に神戸に引っ越してきました。神戸に来て震災というものが身近なこととして感じ、須磨区の震災巡りをしました。また、以前、競さんが震災で亡くなりたしか基金だったと思いますが、新聞記事で知り深く心に残っていました。
須磨区の震災巡りから長田区のモニュメント等をしらべていましたら、このパネル写真展があることを知り来ました。
競さんだけでなくたくさんの神大生の方々が亡くなり、もし震災がなかったら、優秀な人材として活躍されていたのだと思います。
その無念も感じながら、元大阪に住んでいた自分としては、震災について正しく知ること、体験はしていませんが聞いたこととして伝えることができれば…と思います。(IS)

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震災当時法学部4回生で、亡くなった森渉くんとは同級生でした。慰霊の集いも当時参加しました。
思いもよらぬ地震で命を失うことになった友人の無念を思わずにはいられません。
神大の後輩のみなさんがこうして震災について伝える企画をし、震災を知らなかった神大生の方々へ発信して下さったことを感謝します。
ぜひ次の世代の後輩の方たちにも語り継いでいただきたいと思います。(MK)

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忘れかけてた記憶、蘇りました、 天災よりも人災の被害大! (HS)

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Twiiterの情報をもとに訪ねてきました。
自分は震災当時生まれて間もなく、また地元が愛知県だったこともあり、阪神大震災についてあまり知らぬままこの歳まで生きてきました。
大学から神戸に来ましたが、神戸に来てからも震災についての実感をあまり持てずにいました。
しかし、神戸に6年住んでいると六甲・三宮の街並みも見慣れたものとなっていて、その見慣れた景色が震災で壊滅したような写真を見ることで、ようやく日常がいきなり破壊されてしまうことの怖さ、哀しさを実感できるようになりました。
自分のように震災を経験していないような世代にもこういった感情を与える機会を下さり非常に感謝しています。どうか震災の記憶が色褪せぬよう、これからも語り継いで下さい。(2020.1.17 神戸大学 農学研究科 修士2年 N)

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いろいろ思い出しながら見させていただきました。
「西尾荘」は友人が住んでいて、何回も泊まりました。
その友人は、地震の前にところに引っ越しました。
このような写真展は、記憶をつないでいくためにも
とても大切なことだと思います。 神戸学生青年センター HY

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忘れない、忘れさせない。(神戸大学OB FR)

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神戸出身で京都在住。
今日は滋賀の職場から東遊園地に行く途中に下車して寄りました。
若い人たちが語り継いでいこうとしてくれることが嬉しいです。
息子が神大をめざしてます。語り継いでいこうと思います。
遅い時間まで開けてくれてありがとう。(1.17.20:00 M)

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震災当時のマンション関係の問題点、経験したことをお伝えしたくて来ました。関心がおありなら連絡して下さい。T 2020.1.18.

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震災以降に神戸にやってきて、神大で学びました。
お世話になった先生方やいろいろな方も、震災を経験され、その後も様々な形で関わっておられます。
その体験を聞く機会や活動に関わらせてもらう機会があり、何か震災のことを知った気になっていた自分もいたのかなと思います。
自分に子どもが生まれたり、自分も歳を重ねてきたことも関係するかもしれませんが、あらためて当時の様子やご遺族の方の言葉を拝見し、自分が被災していたらどうだったかな、という想像がとてもリアルに感じられます。
風化させない、寄り添うってどういうことかなって、また自分なりに考えていきたいと思いました。ありがとうございます。(20202.1.18. 40代女性)

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1月17日 午前5:46に大学慰霊碑に手を合わさせて頂きました。皆様のお陰で大勢の現役学生の方々に関心を持って頂けて良かったと思います。夫が発達科学部の教員でした。しばらく研究室に家族3人避難していました。これからも宜しくお願い致します。
 (東灘区 TM 69歳女性)




阪神淡路大震災25年シンポ 1月22日神戸大百年記念館で

2020-01-19 09:03:01 | ニュース(告知)
 神戸大震災復興支援・災害科学推進研究室の第8回シンポジウム「阪神淡路大震災から25年~私たちは何を学び、どこへ向かうのか~」が、1月22日(水)に神戸大百年記念館六甲ホールで開催される。参加費は無料。定員300人。詳しい申し込み方法や当日のプログラムなどは下記参照。

《神戸大学 震災復興支援・災害科学推進研究室第8回シンポジウム「阪神淡路大震災か25年~私たちは何を学び、どこへ向かうのか~」》
●プログラム=
12:20開場
12:30~ プレイベント (ポスター展示の事業活動をリレー方式で発表)
13:40~開会挨拶 神戸大 武田廣学長。
13:45~来賓挨拶 国立大学協会 山本健慈専務理事。
13:50~「地震動と土木構造物~兵庫県南部地震がもたらしたもの~」神戸大都市安全研究センター 長尾毅教授。
14:10~「生活復興過程と事前の備え」神戸大都市安全研究センター 北後明彦教授。
14:30~休憩~
14:50~「メディアから見た震災と復興」神戸新聞社報道部 畑野士郎デスク。
15:10~「災害時のこころのケア」 神戸大医学研究科 曽良一郎教授。
15:30~「大震災の記憶を歴史として引き継ぐために」神戸大人文学研究科 奥村 弘教授。
15:50~「将来のレジリエントな都市に向けた取り組み」神戸大都市安全研究センター 飯塚敦教授。
16:10~閉会挨拶。
●申込み期限=1月17日(金)
●申込み窓口=
神戸大学 震災復興支援・災害科学研究推進室
〒657-8501 神戸市灘区六甲台町1-1
E-mail:stsk-jimu@office.kobe-u.ac.jp
FAX:078-803-5049
●申し込み方法=
メールの場合は、件名を「1/22防災シンポジウム参加」とし、パンフレットの参加申込書の内容を送信。
FAXの場合は、パンフレットの参加申込書に記入の上、送信。
●アクセス=阪急神戸線「六甲」駅、JR神戸線「六甲道」駅、阪神本線「御影」駅下車、神戸市営バス36系統「鶴甲団地行」に乗車、「神大文理農学部前」下車、南へ徒歩3分。
●ホームページ=https://www.kobe-u.ac.jp/NEWS/event/2020_01_22_01.html







震災25年『ラジオ深夜便』 聞き逃しサービスは1月24日(金)午前5時55分まで

2020-01-19 08:26:48 | 阪神・淡路大震災
 1月16日(木)から17日(金)にかけて放送された、NHKの『ラジオ深夜便』の「阪神・淡路大震災25年特集」の聞き逃しサービスは、1月24日(金)午前5時55分まで、同番組サイトで聞くことができる。

『ラジオ深夜便』阪神・淡路大震災25年特集
1月16日(木)23時台
 https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0324_04_35918

1月17日(木)0時台
 https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0324_04_35919

1月17日(木)1時台
 https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0324_04_35922

1月17日(木)2時台
 https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0324_04_35924

1月17日(木)3時台
 https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0324_04_35925

1月17日(木)4時台
 https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0324_04_35923

1月17日(木)5時台
 https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0324_04_35920


 深夜の神戸大などからの生中継を交え、落語家・桂吉弥さん(1995年教育学部卒)と現役の学生をスタジオゲストに迎えて生放送する。司会は、住田功一アナウンサー(1983年経営学部卒)と北郷三穂子アナウンサー。

 1月16日(木)23時05分からの『ラジオ深夜便』(NHKラジオ第一、一部FM)は、阪神大震災25年の前夜から発災時刻をはさんで、時間を拡大して放送する
23時台と0時台は、当時卒業間際だった落語家の桂吉弥さん(1995年教育学部卒業)が、落語研究会の部員の安否確認や避難誘導に奔走した体験や、ボランティア活動に打ち込んだ様子を語る。また、深夜の東灘区の居酒屋からの中継では、震災で犠牲になった神戸大の学生、竸基弘さん(当時・自然科学研究科博士前期課程1年)の同級生と遺族が語り合う様子を伝える。

 5時台は、灘区友田町からの中継で、震災で亡くなった神戸大生、高見秀樹さん(当時・経済学部3年)を偲ぶ卒業生らの様子をリポートする。
 このほか、深夜の神戸大慰霊碑からの中継や、神戸大メディア研の学生遺族インタビューの活動の紹介をまじえて、「知らない世代に、知っている世代から、震災の経験をどう語り継いでいくか」をテーマに放送する。

●番組名=関西発ラジオ深夜便 『特集 阪神・淡路大震災25年 知らない世代に、伝えたいこと』。
●メディア=NHKラジオ第一(1:05から5:00はFMでも同時放送)。
●放送エリア=全国放送、国際放送。
●放送時間=2020年1月16日(木)23:05〜17日(金)5:55。
●放送時間=聞き逃しサービス 1月24日(金)5時55分まで。
●出演=桂吉弥、神戸大メディア研の学生ほか。
●中継リポーター=松苗竜太郎アナウンサー。
●2時台「災害メモリアルアクションKOBE」リポーター=大山武人アナウンサー。
●3時台「被災地を支えるスポーツの力」リポーター=田中崇裕アナウンサー。
●司会=住田功一アナウンサー、北郷三穂子アナウンサー。
●サイト=
番組サイト:https://www4.nhk.or.jp/shinyabin/
局ブログ「住田功一アナの阪神淡路大震災25年」:https://www.nhk.or.jp/osaka-blog/announce/deyama/418293.html