それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

研究論文入門

2017-05-14 00:10:53 | 教育
(ワープロソフトで作成した文章を転載したところページの体裁が崩れました。ご容赦のほど。)

1 記録・報告の性格と意義
 事実を、事実として記録すること、あるいはそれを他者に向けて書くことは、ジャンルとしては、「記録・報告」という。
一般に、実践現場(小学校、中学校等)に身を置く人の書く原稿は、この「記録・  報告」という性格を持ちやすい。それは無理もない。常日頃の教育実践(教材研究や  授業)からは多量の教育事実の蓄積が生まれる。この事実の積み重ねが、ついつい記  録の方向に走らせるのである。
授業記録A、B、C ……と、事実を連ねていくと、それなりに、ひとまとまりの  文章ができあがる。それは、苦労を重ねた実践事実であることは間違いないから、   達成感もある。ついつい研究論文そのものであるかのような錯覚を抱かせる理由も、  そこにあるあ。
   無論、実践記録は、記録として大きな意味がある。自己の教育実践、あるいは仲間  の授業や教材研究の特質と問題を明らかにする素材として、このような記録には無限  の可能性がある。しかし、それは、研究の対象や素材としての有効性、重要性であっ  て、事実そのものがそのまま研究、研究論文になっているということではない。

2 論文の性格
   論文とは、特定の問題、テーマを設定し、その解明、立証を目的として書かれた   ものである。
  料理を例にとってみよう。子どものためにおいしいカレーライスを作ることを想   定してみよう。
・ 課題、テーマの設定:「子どもにとって」、「おいしい」、「カレーライス」のそれ   ぞれを課題、テーマとして設定することが可能である。
-子どもにとって良好である、子どもに適しているとはどのようなことをいうの     か?
-「おいしい」とはどのようなことを意味するのか?また「おいしい」と「体に     よい」との関係は?
-「カレーライス」という料理の特徴と子どもの生活の中における位置づけは?  カレーライスの種類と特徴は?
   最後の観点は、限りなく記録・報告に近くはなるが、記録そのものではない。

冷蔵庫を開ければ、カレーライスを作る材料がそろっている状況を想定してみよ   う。肉も、野菜も揃っている。これは「事実」のレベルである。さて、この材料を
さて、今日のわが子においしいと思ってもらい、体にもよいカレーライスを創るにはどうしたらよいのかという段階になると、材料を前にして熟考と選択をする必要が生じる。
-肉は、挽肉、バラ肉、角切りのどれを使用するか? 
-牛肉、豚肉、鶏肉等、いずれにするか?
-野菜は何を使うか?子どもの嫌いな野菜は何か?特に必要な野菜
-辛さの程度はどうするのか?
他にも考えることは多いであろうが、少なくとも、ここに掲げた程度のことは考慮しておく必要があろう。

  料理とは、実は、課題(問題)解決の実践であり、選択の実行という複雑な行為な   のであり、その結果なのである。

もう一つ、最近の事例を取り上げてみよう。
「小学校におけるファンタジー教材の指導」をタイトルにする原稿に出会った。
 複数の作品の実践事例が取り上げられているが、その複数の事例の意図、関連が分かりにくい。つまり、実践記録の色合い濃いのである。
 これを、例えば、下記のような観点・課題を設定してみるとテーマが明確になる。
-「小学校におけるファンタジー教材の特性と課題」
-「ファンタジー教材と児童の発達段階の関係」(ファンタジー教材は、小学校高  学年段階にならないと無理だという論文あり。)
-前記のテーマに対して、「低学年段階におけるファンタジー教材の可能性」
-「ファンタジー教材を理解するための能力とは?」

これらの課題に答えるためには、事実の記録だけでは済まないことが明らかにな   るであろう。

3 記録の論文の関係
  冷蔵庫には、多種多様な材料が保存されていることが料理をする上で有利であること は言うまでもない。
しかしまた、多種多様な材料が、おいしい料理に直結するわけではない。
明瞭、シャープな問題・課題意識、テーマ意識を持ちつつ、材料を吟味して活用する ことがおいしい料理の創造を可能にする。
言ってみれば、こんなに簡単なことが、実現困難ということは、なぜであろう。
  私自身、大学院から、小、中学校での教育実践の経験をせずに(非常勤講師尾つぃて の実践経験は除く)大学に勤めることになった。
大学院生の頃、アメリカから大阪に、サマーセミナーの実習生としてやって来た現職 の先生たちと2週間ばかり一緒に小学校を回って授業を観察し、事後の分析に付き合っ たが、その折に、アメリカの先生たちが口を揃えて言ったのは、「大学に勤める前に、 学校現場の経験をしておく方がいいよ。」と言うことであった。
  「大学で教壇に立ってしばらくは、現場の経験がないことが気になった。学校現場に 足を運び、研究会に参加し、そのうちに現場経験のないことがさして問題とは感じられ なくなったが、現場の先生方が、記録・報告型に傾斜するのに対して、現場経験の乏し いものが観念的論文型に走る傾向があるという危険性は確かにある.いずれの場合も、 自分に取って見えにくい部分を見る努力を重ねることを通して、理論・実践の統合され た論文に行き着くのであろうと思っている。