それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

フェンシングと英語能力

2019-04-29 10:49:50 | 教育

 

 日本フェンシング協会は、2021年世界選手権から、代表選手選考に際して、英語力のテストを行うと発表した。太田会長は、選手のセカンド・キャリアをも考えた結果だと言うが、ちょっと待ったと言いたくなる。/ 日本代表チームには外国人コーチがいて、会話は基本的に英語であること、大会では相手選手、審判等とのやりとりもできるようにしたいということのようだが、日本チームに所属するコーチの方が、日本語能力を身につける努力をすべきであろう。それが無理な場合は、通訳をつければよいのであって、指導を受ける選手に英語力を求めるのは間違っている。大会会場におけるコミュニケーションには共通理解の手段として英語(外国語)が必要というが、フェンシングの試合に必要なのはスポーツマン・シップと剣技(わざ)であって、これこそが共通語である。ぺちゃくちゃ言葉で話し合いをしなくては成立しない行為ではない。/ 英語力云々が出てくる背景に見えるのは、欧米(英米)に対する卑屈な姿勢か、わずかに英語ができると思い込んでいる者の薄っぺらな慢心である。こういう人間の、日本文化に関する理解度をテストしてみたい。/ 「英語を話せなくて困ることはあっても、話せて困ることはない」と断言する太田会長だが、一見、気の利いた風のこの言葉は、例えば、「お金があって困ることはない」に置き換えれば、選手選考の基準に、「○千万円の資産を有すること」としてもよいと言う理屈と同じで、論理的でない。ほとんどのものは、「あって困ることはない」のである。選考条件は、そんなどうでもよいことでなく、「必須のこと」に限定すべきである。/ しかし、ある種の競技では、選考の公平性に疑問があり、物議を醸している例がある。それは、「英語力」の代わりに、「素直さ」「出身地」「派閥」など、スポーツマン・シップや技と関係のない、つまりは必然性のない、必須とは言えない要素が、あるときは巧妙に、またあるときは泥臭く、混入している場合である。


中国敦煌での「ため息」

2019-04-24 15:45:49 | 教育

 中国の観光ブームで、多数の外国人が敦煌の世界遺産を訪問すると言うが、その外国人の「吐息」が原因で石窟の壁の剥落、変色が進み困っていたが、日本の技術協力で、クローンを作成し、実物を保護しようということになっているらしい。(朝日新聞デジタル)    敦煌に行った外国人観光客がなぜ吐息、ため息をつくのか?さすがに中国は変わった国だと驚いたが、実は、「吐息」や「ため息」ではなく、通常の「呼気」のようだ。明らかに誤った語選択の結果である。

 そういえば、かつて、アメリカの牛(牧畜の)のあくびが地球温暖化の原因だというニュースがあったのを思い出した。これも「呼気」に含まれる二酸化炭素の作用である。しかし、「吐息」よりは「あくび」の方がましか。いや五十歩百歩か。


小学校教員の重荷

2019-04-19 04:46:31 | 教育

 文科大臣は、このほど中央教育審議会に対して、小学校から高等学校までの指導体制の改革について検討するように諮問したが、その中に、小学校教員の教科担任制の導入の可否が含まれている。

 私は、かねてより、小学校教員が、すべての教科を指導することに関して疑問を持っている。学級担任制には、いろいろ理由もあろうが、全教科を担当して、一定レベル以上の質を保証することは、ほぼ不可能である。いわば、「こころ優しいスーパーマン(スーパー・ウーマン)」でなくてはできない無理なことを、すべての教員に求めているのであり、この困難を克服し、世界に誇れる初等教育の質を維持しているのは、ひとえに日本の小学校教員の涙ぐましい努力のたまものである。

  小学校では、中・高校のように教科ごとに教員が替わるのでなく、一人の教員が同じ児童を見守るために学級担任制をとっているのであろうが、一つには、人間の能力の点で、オールマイティの人間を期待するこの制度は破綻するであろうし、一人の教員に固定することは単純な性善説を前提にするものであり、すべての児童にとって、すべての教員が理想的な存在あるとは言えないのは、当然のことである。昨今のいじめ問題、児童の自殺や虐待などは、多くの教員の目が、一人の児童に向けられることで回避できたかもしれないし、相性の悪い教員と児童の関係も回避ないしは改善できるかもしれない。

 ついでに、小学校では、低学年、中学年、高学年の担当教員を置くべきである。小学校は、6カ年という中、高の二倍の教育期間である上に、成長の度合いが早く、それぞれの発達段階の特性も際立っている。高学年から低学年へと担当替えになった有能なベテラン教員が困惑、挫折した事例を、少なからず知っている。それぞれの発達段階に特化した教員を配置するのがよい。

  これらの改革、改善案が、教員の労働条件の改善とセットになっていると考えるむきもあるようだが、それは全く別問題である。下手をすると、一層過酷になる可能性もある。教員養成大学・学部の入学試験受験者が激減する現象は、将来の教員の資質の低下を意味している。過大な任務と期待を寄せられては困惑するばかりの現場になりかねない。過労死を招きかねないブラックな労働環境は、教員にも児童にも弊害をもたらす。これからの教育はアクティブ・ラーニングであるという。日本語で表現できないような教育の実現は、また、教員に過大な任務を強いるはずである。児童、生徒の主体性を重視する時には、必ず基礎・基本の欠落という現象を伴う。いずれ、疲れ果てた教員が、この問題の解決を迫られることになる。教員なんてやってられないということにならねばよいがと願うばかりである。


庶民の金銭感覚

2019-04-16 22:20:31 | 教育

 近くに中規模のドラッグストアがある。品物が豊富なので、便利に利用している。    日によって、レジの前に長蛇の列ができることがある。どうしたのかと店員さんに尋ねてみると、二通りの答えが返ってきた。一つは、「ポイントが2倍になる日」であり、もう一つは、「買い物の総額の5パーセント引きの日」とのことであった。カードのポイントが2倍になるなど大したこととも思えないが、真剣な顔で並ぶ人々の行列を見ると、大したことでもあるようだ。

 新しい年度の初めである4月は、諸物価の値上がりの時でもある。デフレ脱却は、回り回って庶民全体を豊かにするなどと、ファンタジーの如き話を作り出す政治家に、この行列を見せ、かつ並ばせてみたい。

 スーパーのスィーツの棚の前で、高齢男性が、思案投げ首の体で、高額とも言えない商品を見つめている。糖尿病を気にしているのなら納得がいくが、財布の中身を気にしているのなら、気の毒である。消費税率が上がれば、悩みはさらに深くなるであろう。スーパーやコンビニで買い物をして、家に持って帰る場合とイート・インなどという店内で食する場合では税率が異なるとか、国がポイント還元するなど、煩雑かつ幼稚な操作は、真面目な庶民の怒りを買う所業である。

 大借金国の政治、経済に責任と権限を持つ者は、庶民の心を忘れてはならない。

 折しも統一選挙の後半期である。投票率の低下と、無投票当選の選挙区の増加は、政治、政治家に対する庶民の「ノー」の意思表明ではなかろうか。

  東大の入学式では、辛口の祝辞が話題になっているが、その内容は、庶民にとっては、ごく当たり前のことであった。それよりも、東大生へのインタビューで、官僚になりたいという者が2割程度しかいないことに興味がある。初々しい学生は、まだ庶民の側に居る。

 


すっきり

2019-04-15 22:01:12 | 教育

 例の五輪担当大臣が、選挙の応援に駆けつけて、演説をする中で、「復興よりも大事なのは○○議員を当選させること」と言って、大顰蹙を買った。一時、国会で、失言を責められた際に、「私は、理解力は抜群です」と自己弁護ないしは自慢をしてみせたが、やはり、とんでもない欠陥品であった。さすがの総理もかばいきれず辞表を受け取り、後任大臣が決まった。/この件を受けて、地元だか被災地だかの選挙民に対するテレビ取材があったが、そのうちの一人の中高年女性の言葉に、妙に説得力があった。/ 「この人は、私よりもバカ。」 / 自慢はさもしい行為だが、自分を卑下することは恥ずかしいことではない。そして、その自分よりも「バカ」だと言う。このように自他を評価できる人は、決して「バカ」ではない。コメンテーターのどんな意見よりもすっきりした。あなたが大臣をしなさいよ、と言いたくなった。