かつて、プラスティック製ストローの替わりに、金属製のものを使用してはどうかという提案があり、本ブログに、その危険性に触れる内容の書き込みをした記憶がある。環境保全のための新聞への投書だったと思う。悪意のないものであったが、たぶん高価な製品になり、老人や子どもには極めて危険な存在になるであろうことが念頭にない提案であった。
つい先日、今度は木製のストローを製作しているとの報道があり、またしても善意ではあっても迷惑な提案だと思い、書き込みをしている次第である。製品の構造は、おそらく鉛筆の芯の部分を大きく空洞にし、軸の厚みを極限まで薄くしたものであろうと推測される。
ストローは、幼児、老人には便利な存在であるし、多くの若者にとっても移動しながら使用することの多い物である。固い木製のストローを咥えていて、転んだり、ぶつかったりすると、使用している本人はもとより、周囲にも迷惑をかけることが予想される危険な存在であるばかりか、繰り返し使用するには、衛生面でも問題があり、推薦できるものではあるまい。今、世界中で話題になっているSDGsに照らしても適切な提案とは言えない。
世の中に、なぜこんな回りくどい提案、安易な思いつきの提案が出現し、メディアが取り上げるのであろうか。
安全性、衛生面、製造技術、経費、環境への影響等の観点から、ストローの原型である「麦わら」に回帰してはどうだろうか。長い麦わら(機械でカットする前の)の入手が難しいというなら、せめて紙製のストローにしてはどうだろうか。使い捨てのストローは、さして頑丈である必要はない。昔の人の工夫や知恵の中には、捨てがたい物があり、将来のためには、時々後ろを振り返ってみることも必要なようだ。
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