(登る勇気がなくなる石段)
以下は、毎日新聞発のネットニュースである。全文を紹介しておこう。
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[チューリヒ 10日 ロイター] - スイス政府は10日、動物保護規定の見直しを発表し、ロブスターなどの甲殻類を活きたまま熱湯でゆでる調理法を禁止する規則を設けた。
3月から施行されるこれらの規則では、「ロブスターなどの活きた甲殻類は氷や氷水に漬けて輸送してはならない。水中生物は常に自然と同じ環境で保存しなければならない。甲殻類は失神させてから殺さなければならない」と定めている。
また、違法な子犬繁殖場の摘発を狙い、吠える犬を罰する装置を禁止したり、病気や負傷した犬を安楽死させる条件について細かく定めるなどした。
隣国のイタリアでも最高裁が昨年6月、ロブスターを不当に苦しめることになるとして、調理前のロブスターを氷漬けにして保存することを禁ずる判決を下している。
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德川5代将軍綱吉の「生類憐れみの令」と見紛うような規定である。スイスという国家・国民が生き物の命を尊重する姿勢であることを世界に宣言するものとして、画期的な規定である。
このような思想の行く手には、「ベジタリアン」が理想型として設定されているのかと推測したが、そうではない。「ロブスターは、失神状態で料理すればよい」というのであるから、釈然としない。「自然の状態で生かし、やさしく殺す(そして食べる)」ことに罪悪感はないのだろうか。イルカや鯨は食べてはいけないが、牛や豚はその限りでないという発想とも似ていて素直に納得しがたい
かつて、若い同級生が海岸近くの料亭で懇親会を計画した。誰が幹事だったか憶えていないのだが、料理の中に「活け作り」があった。料理が出てきたが、参加者の誰も箸を付けられなかった。生きて(半死半生で)ピクピクしている魚が無残で食べる気にならなかったのである。そのとき以来、活け作りは食べていない。煮魚を食べるときも、生きている時の姿を想像しがちである。できることなら食べないで済ませたい。「白魚の躍り食い」などもってのほかである。
わが家では20年以上、金魚を飼っている。比較的弱い魚で、代替わり(自然死による)はあるが、今も6匹が元気に泳いでいて、指を入れると、全員が近寄り、つついてくる。中には、頭をこすりつけるだけで、スキンシップを済ませたとばかりに安心の様子を見せるものもいる。こういう魚たちを見ていると、とても「釣り」などする気にはならない。最近は「刺身」からも遠離っている。
スイスも、生き物(動物)を殺し、食べることを一切認めないという規定を作るのなら、それなりに分かる。私の友人にオーストラリア人のベジタリアン家族がいる。日本で数ヶ月一緒に暮らし、また招かれてかの国を訪れ、食生活をともにする機会があったが、動物を殺傷しなくとも生きていくことはできることを理解した。道中の機内食やレストランにはベジタリアン用のメニューがあった。しかし、日本で生活するのは大変に難しいということも分かった(例えば、鰹節で出汁をとったうどんもだめである)。ベジタリアンが一般的な食生活,食文化として定着していないからであろう。
スイスでは、ベジタリアンが多数を占めて、不自由をしない程度に菜食の習慣、文化が定着しているのだろうか、そうでなければ、「生類憐れみの令」のような混乱(この法令にもプラスの事例もあったようだが)を招くことにならないか。動物の命と、それに依存する人間の生存との関係を突き詰めて考える機会を提供してくれていると考えたい。