それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

改元騒ぎ

2019-03-29 05:08:20 | 教育

 テレビ各局は、新元号を巡って大騒ぎをしている。昨日は、さすがに気が引けたのか、キャスターが、「メディアでは大盛り上がりですが、世間一般ではそうでもないのかもしれません」という趣旨の発言をしていた。  私は、別に盛り上がってはいない。「昭和」が「平成」に替わった瞬間(官房長官による発表)の映像は記憶しているが、「へぇ、そうか」と思っただけで、うれしくもかなしくもなかった。「明治は遠くなりにけり」というような感慨はなかったのである。  カレンダーを製造している人達はやきもきしたらしいが、それは分かる。いち早く知っておかないと商売あがったりだからである。私はカレンダー業界に生きている訳ではないので、一向に困らない。大多数の人は同様であろう。  改元に伴って大規模連休が発生するという話題が持ち上がっていたが、今は、十連休の問題も一休みなのであろうか、報道されることが稀になった。(それにしても、最近は連休が多い。)  かつて、幼児の発話データの中におもしろいものを見つけたことを思い出した。  「今度、ぼくの名前を付けるときは、ぼくに相談してね。自分の名前は、自分で付けるから!」  自分の名前が気に入らない子供の悲痛な叫びである。論理的にはおかしいが、分からないでもない。  日本人としては、改元も、これほどの切実さでもって対応するのがよいのだろうかと思いつつ、どうも盛り上がらない。勝手に盛り上がるテレビ番組を見ながら、自らの立ち位置をはかりかねている。


投票率99.99%

2019-03-27 22:23:25 | 教育

 北朝鮮の最高人民会議の代議員選挙の投票率である。驚異的な数字で、わが国の国政選挙ではあり得ないことである。   興味があるのは、0.01%の意味である。こんな選挙は意味がないとして、投票を拒否した勇気ある人の存在を意味しているのかと思ったが、「国外にいた者、海上にいた者で、投票が不可能だった者の数字だという。  ちなみに、1選挙区1人の候補者しかいない選挙で、結果は選挙するまでもない、茶番である。  わが国の投票率の低さにも唖然とし、選挙として成立していないのではないかと思うことが多いが、当今の国会議員、とりわけ大臣の言動に触れると、投票に行く脚が鈍ることも分かる。ずぼらなように見えるが、投票率100%など逆立ちしても考えつかないこの国には、まだ救いがある。 


上杉鷹山

2019-03-26 22:29:42 | 教育

 テレビで、米沢藩主の上杉鷹山公を取り上げ、その名君ぶりを紹介している。J.F.ケネディも尊敬していたという稀な日本人である。  民の側に立って実行した様々な施策は、今日の借金国日本、弱者対策の欠落等を抱えるわが国の政治、政治家を評価する基準になる。  鷹山のことは、検定教科書には、ほんのわずかな記述しかない。上から目線の文科省による検定でなく、国民の手になる検定なら、もっと大切に扱われていたはずである。例えば、財政立て直しの方法は、安易な増税を考え直す手がかりになろうし、乳幼児に対する手厚い保護、高齢者への配慮など、いずれも、今日の首相、大臣、国会議員、自治体の首長に学ばせたいことばかりである。国民も、老若男女全てが、優れた藩主、政治家が存在して善政を敷いていた事実を知り、物事の判断に際して、規準にするべきではなかろうか。 統一地方選挙が近い。投票に際して、有益な規準と思えるが、この規準に適合する候補者など、まずどこにもいないことが明らかになるであろう。それでも、優れた君主や政治家や庶民が、かつて存在し、人々のために尽くしたという事実を知っておくことは、救いのない時代を生きる者にとって、わずかな希望になるかもしれない。


コミュニケーション能力

2019-03-25 22:40:48 | 教育

 先日、友人夫妻の車で、ちょっと遠出して、みかんの島に行くことがあった。この時期、温州ミカン系は、もうすっかり時期遅れで、とても食用に向かない。代わって、はるか、せとか、不知火など、昔はほとんど目を向けなかった種類の柑橘類が最盛期で、食べてみると、新鮮で、甘くて、とてもおいしい。たくさん買い込んで帰った。  帰りに、「グリーンピア」という、年金の基金を乱用して創った保養施設に寄ってみることにした。全国13カ所に建設されたという、無駄な施設は、平成17年までに全て廃止されることになったが、当該施設は、K市に譲渡されて、現在は公的施設として運用されている。  JR駅からは、遙かに離れた位置にあり、車なしには利用できない。当日は、土曜日であるのに、利用者はまばらで、とても活用されているようには見えなかった。フロント(情報センター?)に二名の女性がいたが、これは、市の職員か、派遣社員かであろう。ちょっと声を掛けてやりとりわをした同行の女性二人は、「態度が悪い」と怒りながら帰ってきた。公営施設の常であろうか。中国の国営航空会社や売店の従業員に対する不評を思い出した。  宿泊施設に隣接する大きな建物がなんだろうと、ちょっとのぞいてみたが、よく分からない。中に入って、ロビーにいる男性に、「これは何の施設ですか?」と訊ねると、「何といって……。」と要領を得ない。なにやら部屋で集会をしている。重ねて、「これは何をしているのですか?」と訊くと、「塾の研修会。」とのこと。(そういうのを「研修施設」というのだ!)男は、どうやら、塾経営の研修会の主宰者側の人間だったようだ。問題教員の代表的存在の一つが、児童、生徒とのコミュニケーションができない人間、質問に答えない、答えられない人間だという。こういう責任者を抱える学習塾とはいかなる所かと不思議な気がした。  帰りは、古い桟橋で、釣りをしている男性に話しかけた。「釣れますか?」「何が釣れるのですか?」という簡単な問いに、ちゃんとした答えができない。コミュニケーション活動の基本ができないのである。考えてみれば、こういう、言葉によるコミュニケーションの教育を、学校ではきちんとしていないのかもしれない。何しろ「知らない人と話をしてはいけません。」というような教育をする時代である。  入門期の英語教科書の、Are you a boy? Yes, I am (a boy).などの練習を、非実用的で、無駄なものと笑っていてはならないのだと分かった。団地内の、小、中、高校、大学生は、いずれも明るく挨拶をしてくれる。円滑なコミュニケーションができて、心がほっこりする。高邁、難解な知識や技能の教育も必要であろうが、一人の人間として、あるいは他者と共存すべき人間としての基礎的・基本的態度やスキルにも力を注ぐべきだと考えた一日だった。


「卵」は食べていいのか、悪いのか?

2019-03-23 02:56:27 | 教育

 アメリカの医学誌に掲載された論文によると、1週間に3個以上の卵を食べると健康を害するのだという。つい先日、健康問題を取り上げた得たテレビのクイズ番組で、従来は、1日1個以上の卵の摂取は健康に害があると言われていたが、原因となるコレステロールは、肝臓によって調整されるので、1日1個に拘る必要はないというのが正解だった。
  結果の異なる二つの考えの根拠は、いずれも科学的、医学的な研究結果である。一体、1週間に、3個以上の卵は食べてもいいのか悪いのか。 
 科学的根拠とは何か?
 そう言えば、かつて、コーヒーを飲むとガンになるなどということが報じられた。それも医学的見地からの発言であった。しかし、今や、コーヒーは、ガン発生の抑止効果があると言われている。「いや、取り過ぎは悪い。」などという言い逃れもあろうが、取り過ぎは、水だってよくない。
 科学、医学に対する信頼の失墜は、スタップ細胞で証明されたかに見えるが、今日でも絶大な力を発揮している。健康食品のCMには、医学博士なる者が出てきて効果を保証していることが多い.時に誇大広告としてお叱りを受けているが、素人には、科学的、医学的根拠というのは一定の説得力を持ち続けている。錬金術の時代と大して変わりがないのかもしれない。
 ついでに言っておくと、TVのCMにおける食品や薬品の効能について、堂々と、声高に「……効く」「効果あり」と言いつつ、小さな文字(スーパー)で、「これは個人の感想・意見であり、効能を意味するものではありません。」などというぶち壊しで矛盾する情報を同居させていることと同根の現象のようでもある。ある意見や結論が「多義的」である、一つに決められないという事実を背景に持っている。CMは、狡猾な方法で、そのいかがわしさをクリアしているし、視聴者は、そのいかがわしさを、大人の態度で許容しているのである。

 世の中の諸事象、諸問題は、究極的には、自己責任で判断するしかないのだが、その方法が見当たらない。何を信じていいのか分からないということになる。が、何を信じていいのか分からないという不安こそが、情報の受け手としての私たちを鍛える契機になっているとも考えられる。これからは、せめて、新聞に書いてあっただの、テレビで言っていたなどということを判断の根拠にしないで生きていこう。