それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

選挙報道の不毛

2017-10-30 23:48:40 | 教育

 (広島県のへそ=中心にあるダム湖)

 若いNHK女性記者が過労死し、労災認定を受けたという。記者という仕事は過酷なものであることは予想できるが、その過労死の原因が、選挙後の当落の報道に追われていたことでもあると聞いて、少々言いたいことがある。
 先日の衆院議員選挙の報道であるが、午後8時、投票の終了時間にすぐに「当確」の報道があった。開票もしないのに、なぜ「当確」が出るのかというと、出口調査の結果のようなのである。開票によらずに出口での調査の結果によるのであれば、投票・開票をあまりに軽く見てはいないか。投票した者に対して失礼ではないか。こんな無意味なことの取材と報道に追われて過労死を招いたとするなら、NHKに限らず、報道機関の姿勢そのものに問題があると言えよう。
  選挙の結果が、半日、一日遅れたからと言って、どんな問題があるのだろうか。急いで報道した結果、謝った「当確」を出してしまった放送局があったという。票差がわずかな場合には、当然ありうることである。この報道のために忙しい思いをし、たぶん疲労困憊したであろう記者の仕事はどんな意味があったというのであろうか。無意味というよりも問題ありである。

 視聴者も迅速すぎる情報提供を求めるのはやめよう。半日、一日早く分かったからといって、私たちに対して意味のあることではない。ゆっくり、誤りのない開票作業をしてもらおう。報道陣は、当落以外の意味ある情報の収集と分析に、すこしばかりゆとりを持って取り組んでもらいたいものだ。


言葉の力-その感応力

2017-10-30 22:57:59 | 教育

 

 言葉には、コミュニケーション(人間相互の意思疎通、通じ合い)という実用的な機能の他に、人間の内部・本質に働きかけて、人間の変容に作用する機能とがあるように思う。言葉によって、人間のありようが変わる、人格的に成長する、ものの見方や感じ方が広く、深くなるなどというのは、後者の機能である。
  教育は、コミュニケーション機能によって、価値ある知識や技能を提供する側面と、児童・生徒の人間的成長に働きかけることの両面を含む。昨今問題になっているのは後者である。
 担任教師によって生徒が自殺に追いこまれたのは、後者の機能が全く逆方向に働いたためであると考えられる。人間への作用は、マイナスにも働くのである。したがって、人間の成長を促すように機能する言葉を発することのできないような人間は、「教師」になるべきではない。一般に、「○○師」という名で呼ばれる職業に就く人間は、人の内面に働きかけて望ましい変容をもたらす存在でなくてはならない。言語に関しては、望ましい感応力を身につけた者でなくてはならない。こういう力を身につけているから「専門家」と呼ばれるのであり、そのために様々な専門科目の履修を求められるのであるが、現場で多くの問題が生じるのは、こうした資質の育成のための教育(カリキュラムや教育方法)が形骸化しているからであろう。つまり、安易な教員養成が行われているのであろう。このところ教員不足である。こういう時代は、教員の質が低下する。

 こんな時に、感応力のある歌を提供する歌手が目についた。かねてより気になっていた人物であったが、今日は、NHKの番組のスペシャル・ゲストとして登場し、歌を披露してくれたのを見て、改めて、その影響力に感心した。
 歌手・半崎美子は、19歳で北海道から上京し、以後17年間パン屋の二階に住み込んで音楽に取り組んだという遅咲き歌手であるが、ショッピング・センターを活躍の場として、今や大人気である。学校にも講師として招かれ、直接生徒に働きかけることもあるという。生徒への影響力は、教師の及ばないものがあると想像できる。
 苦労の中で活動しているにもかかわらず、暗さは全くない。健気である。自作の歌は、聴く人が涙を流すという評判のもので、歌声にも癒やされる。この人が、なぜ、注目されることが少なかったのか疑問である。
 世の中には、苦境を他人の所為にして、その怨念を活動エネルギーにするという面倒臭い人も少なくないが、半崎さんは、潔く、小気味よく、前向きで、その分、他人への影響力が大きい。ネットで検索すれば歌曲を聴くこともできるので、ぜひ聴いてみて欲しい。


政治家の言葉

2017-10-27 23:02:22 | 教育

  (近くの私大の大学祭に打ち上げられた花火:自宅の窓から)

 希望の党代表の「排除」発言については、このブログで、すでに指摘しているが、同女史が、党の代表辞任を迫られて答える言葉の中に、「創業者としての責任」なる言葉があった。どうも、女史が、政党の立ち上げを、セレクト・ショップの開店と同じように考えているのではなかろうかと気になって仕方がない。 
 録音はしていないが、選挙敗北の責任について、「私にも」と言っていたようだ。この場合の「も」は重大な意味を持つ。「……とは思う」の「とは」も同様に潔くない。
 言葉は、単なる技術や知識の表れではない。人間の本質がにじみ出たものであり、それを発する人間そのものである。意識していようといまいとにじみ出てくるものは正直である。
 自民党の麻生大臣は、失言で有名な人であるが、「失言」という言葉も信じがたい。この場合も、人間の本質の表出とおもわれるからである。選挙での大勝について、「今回の勝利は、北朝鮮のおかげで……」と口にして、野党から「おかげ」とは、あの北朝鮮を評価する言葉であって、不謹慎だというのである。麻生氏は、「皮肉なことだが」とでも付ければよかったのに、そういう周到な言葉の使用は、彼の話法には存在しない。その不用意さも含めて、彼の本質を表している。野党の芸のない批判も、彼らの本質を表現しているのである。(時の権力が、民衆の支持を回復するために、外国との関係の危機的状況、例えば戦争を利用することは知られているので、麻生氏の言葉には真実が込められているとも言えることは付言しておこう。)

  言葉は、こわい。「言葉の上のこと」などと言ってはならない。


プロ野球ドラフト会議を観て

2017-10-26 21:48:55 | 教育

 わが家の庭に実ったりんご(土岐&アルプス乙女)

 今日は、プロ野球のドラフト会議があった。7球団が同じ選手を指名するなど、予想通りであったが、喜びを隠しきれない選手や関係者がある一方で、指名から外れた気の毒な選手もいて、特に後者については、かなりの期間取材をして、カメラとレポーターが待ち受けているのに残念な結果が出て、見ているのもつらいような事例もあった。しかし、ながら、この会議は、プロを目指す野球選手にとってはおめでたい行事であることには違いない。選に漏れた人たちは、長い人生を見直す契機を与えられたのであるから、今後も意思を貫くのか、新しい生き方を切り開くのか、しばらくはゆっくりして、その後に先達のアドバイスを受けながら、前向きに取り組んで生きて欲しいと願うばかりである.テレビでは元ヤクルトの古田捕手・監督が、「ぼくも指名がなくて……」と過去のつらい思いあを披瀝していたが、これも幾ばくかの励みになる言葉であったろう。
  これからしばらくは、球団との交渉過程が報道され、これまで縁のなかったような額の契約金や年俸が話題になろう。選に漏れた人は、自分には関係のない他国の話だとでも思ってやり過ごして欲しい。
 ドラフト会議の一方で、このところ、戦力外通告を受ける選手が話題になる。一般にスポーツ選手の活躍期間は短い。引退後の長い人生を考えると短期間の収入の多さは、人生を狂わせることもあろう。しかし、突然やってくる戦力外通告は、いかにも非人間的である。結婚後まもない選手、幼子を抱えて大黒柱のはずの選手が、一夜にして無収入になる。しばしばテレビでドキュメントを放映するが、気の毒で見ていられない。何とかならないのかと思いつつ、歯がゆい思いをしている。 そこで提案であるが、選手全員が、契約金、年俸の一定割合を、選手の「失業手当基金」として、拠出し、積み立てておくことである。プロ野球の選手には、びっくりするような高額の契約金や年俸を手にする者もあるが、彼らとて、いつ負傷し、病気になり、現場から離れることになるか分からない。「明日はわが身基金」として、拠出してはどうだろう。
 最近は、大学などでも、「任期制」採用の教員が増え、落ち着いて研究と教育ができない状況があり、収入が途絶えることもある。ローンも組みにくいと聞く。成果主義・能力主義などと言えば聞こえはよいが、すべてが同じ、しかも高次の能力を有することをを前提とするような制度は人間的でも、生物学的でもない。グループを作ると構成員の中には、必ず一定の割合の怠け者、貢献できない者が生じるのだという。できる者、できない者を抱え込みながら生きていくのが望ましい集団だと言えるのかもしれない。豊かな者は、そうでない者のために、今、恵まれた境遇にあるものは、そうでない者や、そうでなくなるかもしれない自分のために行動し、準備をしておこう。自己責任とばかりは言えない、弱者切り捨て社会、職場にならないことを願っている。


選挙終了と現状

2017-10-25 13:43:08 | 教育

 予想通りの結果になったが、選挙が終了した。
 野党の一本化を阻害した「希望の党」は、その阻害の要因が分かっているのだろうか。思想も理想もない代表にかき回されたが、これはかき回す方だけでなく、かき回されたと言う方にも大きな責任がある。どうも、国政を舐めてかかっている。
 民進党が、新代表の意向で、「希望の党」になだれ込もうとし、小池女史から「排除」の意向を示された。この時点で、早々に、旧民進の議員は、前原氏以外は、全員引き上げるべきであった。立憲民主の躍進(とはいえあまりに小規模政党)は、多少の潔さと多くの哀れさが、国民の同情を誘った結果であろう。日本人は、「判官贔屓」なのである。
 それにしても、小選挙区での投票は不自由である。ここ何回も、結局、無効票を投じるしかなかった。わざわざ投票所に出かけて、無効票を投じるという情けなさをどう処理すればよいのか不明である。食べたい物を置いていないレストランで料理の注文はできない。
 投票率が半数そこそこというのも、これで国民の意思を問うことになっているのかという素朴な疑問がある。半分の席しか埋まらない興行は、まずは失敗であろう。1票の格差の問題とともに、投票率の問題も検討して欲しい。国会は議員の1/3の出席で開会可能というが、これは、憲法を改正してでも厳格化して欲しい。(それにしても、こんなに多くの議員が必要なのだろうか。例えば半数以下であって、誰が困るのだろう。)
 ただ、中国や北朝鮮その他の独裁国家と違って、一応は民主的な選挙の結果は、全面的に受け入れなくてはならない。民主主義のしっぺ返しともいうべきものである。致し方ない。不徳義な議員が当選したからと言って文句を言ってはいけない.民主主義に反するのである。アメリカのような混乱を招来するのである。議論、反論、運動は、投票前に、投票に反映するように行おう。

 さて、トランプ大統領がアジア訪問をするという。来日に際しては、プロゴルファーの松山を帰国させて、一緒にゴルフをするのだという。その設定にエネルギーを費やしているのがわが国の総理大臣である。こういうエネルギーの使い方は、少しも真っ当な意味で、政治的ではない。北朝鮮・拉致問題をトランプ大統領に訴え、彼が演説の中で、拉致問題に触れてくれたことを誇らしげに報告する総理大臣とは、一体、何者であるのか。私たちは、高速道を運転するときだけでなく、生活全般において、自分の身は自分で守るしかないということを改めて自覚させられた。

 トランプ大統領の滞在日数が、自国よりも日本の方が長いというので、不平不満を漏らしているのが韓国だそうである。こういう嫉妬が行動原理になっている国もあることを理解しよう。時にこういう人間も周りにはいる。国民、民族の特性というわけではないのかもしれないが、付き合いにくい国や人がいることはよくよく知っておこう。

 超高齢化社会への道を、加速しながら進んでいるわが国には、政治的にも、経済的にも明るい未来が開けているとは思えない。