それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

お詫びの作法-公選法違反事件をめぐって-

2020-06-30 16:39:05 | 教育

 広島県から出馬の河合議員夫妻の大規模な公選法に反する行為が明らかになり、県民も世間もあきれかえっている。当の夫妻は説明責任を果たすことなく、開き直り、はぐらかし、箸にも棒にもかからない状態であるが、一方で、金銭を受け取った市長や県会議員、市議会議員多数の名前が明らかになっている。

 金銭を受け取った者の反応が多様で、不謹慎ではあるがおもしろい。三原市の市長は、ついに辞表を提出したが、前日まで、「受け取っていない。どうしてリストに私の名前があるのか分からない」と取り囲む記者連に対して明言していたのに、どうしたことか一転して授受を認め、市議会議長に辞表を提出し、本日の臨時議会において、全会一致で承認された。

  県北の市長は、あろうことか頭を丸めて現れた。市役所には抗議の電話やメールが多数寄せられているというが、当然であろう。「頭を丸める」というアナクロニズム(時代錯誤)な行為は、本人が考えるほどの効果はなかったのである。この市は毛利元就ゆかりの土地で、お説教の得意な元就ならどう諭すであろうか。

 「腹かっさばいてお詫び申すという方法もあるぞ」と言いそうな気がしてならない。

  (「封筒は受け取ったが何が入っていたのか分からなかった」とか、「いずれ返そうと思い預かっていた」等も常套句であるがリアリティがない。)


メディアの横暴:選挙への介入

2020-06-22 01:38:08 | 教育

 都知事選の最中である。

 告示前日に,立候補予定の5名によるリモート討論会が実施された。

 実際に立候補したのは,過去最高の22名である。

 テレビで選挙の報道をするのを見ると、討論会に参加の5名を重点的に扱い,「他にも17名が立候補しています」として17名のリストを示して終わるのが通例で,他の紹介方法を目にしたことがない。

 22名の立候補者を5名とその他17名に仕分けしたのは誰か。報道機関にそのような権限のあろうはずもない.今回の場合、勝手な仕分けは,17名の候補者のポスターをはぎ取る行為に等しい選挙妨害であり、選挙違反である。

 都民も立候補者も異議申し立てをしないのであろうか。


プロ野球開幕-無観客試合

2020-06-20 18:50:39 | 教育

 新型コロナのせいで,例年より3か月遅れで,プロ野球が開催されることになってた。

  広島カープは、雨天で30分遅れの試合を戦い、どうにか勝利した。試合は、無観客で行われた。観客なしの試合は違和感があるのではないかと思っていたが、以下のような感想を持つことになった。

 鳴り物入りの応援は無用だった。例年のような応援がないと試合の実感がわかないかと思ったら,さにあらずで、一向に気にならない。むしろ,真剣、神聖な勝負を見ることができて,感動した。無観客でも、無音ではない。ベンチにはチームの仲間がいて声援を送るし、アナウンスもある。特に、選手の息づかいや打球音の響きは,日頃聞き慣れないもので,極めて新鮮であり,臨場感もあった。そもそも、MLBに比して,日本のプロ野球観戦は騒音が大きすぎると考えていたので、私には,静かな試合が快適であった。

 テレビ中継は、しかし、相変わらず饒舌で,せっかくの静寂な空気が台無しであった。得に,解説者の発言は,もう少し控えるのがよい。解説者として招かれて沈黙しているわけにもいかないのはよく分かるが,ラジオ放送でないのなら,放送局側も柔軟に対応するのがよい。解説者は、見れば分かるようなことにコメントは不要。

 無観客のスタンドに、ファンの写真パネル5000枚が置かていた。これを作成するのに,どれほどの費用と時間がかかったことだろう。また、並べるのに,どれほどの人手と時間、費用がかかるのだろうと考え込んでしまった。観客ありの試合への未練であろう。球団関係者の気持ちは分からないではないが、思い切りが悪い。

  職業野球である限り、財政面での不安を除かなくてはならないので、はなはだ気の毒ではあるが、無観客試合を余儀なくされる間は,無観客という制限・限界を受け入れて,その良さを発見し,実感するようでありたい。昨シーズンのような賑やかな試合観戦ができるようになるのはいつのことか分からないが、今年のことを思い起こして、静かに試合を楽しんだこともあったが,あれも捨てたもんじゃなかったねと回想するのも悪くない。


政治家と学歴

2020-06-18 20:31:46 | 教育

 首都の知事の学歴を巡ってもめている。外国の大学を正式に卒業しているのかどうか、卒業しているのなら卒業証書を示せという要求があり、それにきちんと答えていないのだという。

 本来なら揉めるような事案ではあるまい。きちんと卒業しているのなら,書類を公開すれば良いだけのことである。

  問題は,もう一つあるようで、当該大学を「首席で」卒業したというのであるが、これも疑われている。

 選挙に際して,立候補者のプロフィールに、○○大学を卒業したと書くのは普通のことのようだが,特に有名大学、偏差値の高い大学、海外の大学の場合は付加価値があるようで、時に見栄を張って,事実と異なることを書いてしまうこともあるようだ。

 事実に反することは許されるべきことではあるまいが,根拠の薄弱なことも避けるのがよい。上記の「首席で」等は、公的な文書には馴染まない.多数の学部や学科、講座のある大学に在籍する多種多様な履修形態の全学生の中の首席を,どのようにして決めるのか。正確な比較のための努力はなされていようが、客観的に判定するすべはない。従って、外に向かって堂々と口にすべきことではない。最近は,就活に際しても自己PRなどと称して臆面もなく自慢するという悪弊が一般化しているが,好ましいことではない。

 そもそも、政治家にとって学歴や大学での成績の順位は必須のことだろうか。このところの政治家や高級官僚と言われる人々の言動、特に不祥事を見ると、学歴や学業成績とは関係がないように思えてならない。人間性や人格と学歴、成績が「正比例」の関係にないことを考えれば当然ともいえる。時に「反比例」ではないかと思うことがある。さてさて、信頼できる,有能な政治家を選ぶのは至難の業である。

           (広島県選出の代議士夫妻が公選法違反容疑で逮捕された日に)