年賀状の処理がやっと終わった。
毎年、少しずつ減少してはいるが、それでも130枚以上は出している。
教え子たちの状況が、年に一度届く。それを見て、安心したり、心配したりするのである。安心の部類は放っておいても大丈夫だが、心配の方は、ケアが必要であり、まだ、教員を続けているということを実感することがある。若い人は住所がくるくる変わるので、年賀状で、毎年、確認しておく必要もある。
ところで、「高齢になったので、今年で年賀状は終わりにしたい」という賀状が、時々送られてくるようになった。賀状を出すのも出さないのも、義務感から行っていることではないので、「どうぞ御勝手に。」というしかないのだが、わざわざそう断られると、少々引っかかるものがある。年賀状一枚に、どれほどの時間とエネルギーを要するというのだろうかと疑問に思うのである。賀状お断りの後に、「今後ともご交誼賜りますように」などの添え書きがあると、いったいどう付き合えばよいのか分からなくなる。
そもそも、年賀状など、受け取ってもそのままにしておけば、翌年には、まずもらうことも出すこともなくなるものである。これもある種の意思表示だからである。失礼と言えば失礼だが、わざわざ「今年限りですよ」というのもかなり失礼だから、どっちもどっちであろうし、世の中の付き合いは、知らぬ間に疎遠になっているというのがふつうではなかろうか。
年賀状は、日本郵便にとっては儲からない業務だという。コミュニケーションの手段は、SNSに移行する時代にあっては、はがきは古くさい存在かもしれない。しかし、ネットで受け取る年賀とはがきでは印象が異なる。昔は、年賀状はがきを買い足しに郵便局に走り、売り切れと言われてがっかりしたこともあったが、今はそうでもないらしい。もうしばらく年賀状に付き合ってみようと古くさい頭で考えている。