東京五輪は、「持続可能な開発目標(SDGs)」に貢献する大会だという。少々判りにくいが、毎日新聞の解説でSDGsとは、「地球を守り、すべての人が平和で豊かな生活を実現できることを目差すという国連サミットで採択されたもの」だという。
この理念は結構であり、ついつい舞い上がりがちになるオリンピック東京大会が模範を示すものであって欲しいと思う。
ところが、五輪会場建設に際して、基礎工事に用いられる「型枠合板」として、実に31万枚に及ぶ使い捨ての木材が使用されたという。このうち21万枚は、インドネシア、マレーシアの熱帯林から輸入したものだそうである。熱帯林は、刈り尽くされて森がなくなり、その跡は農園になる。このような形で切り出された木材は、「転換材」と呼ばれる。 先日、国立競技場の完成、お披露目の報道があった。メディアは、国内産の木材を多用していることを大々的に報道していたが、東南アジア由来の使い捨て「枠材」には言及がなかった。見栄えに拘って表面を飾り、都合の悪いことはひた隠しにするという昨今のわが国の政治の動向と軌を一にしていて暗澹たる気持ちになる。
そもそも、東南アジアの木材伐採による環境破壊の問題は、今に始まったことではない。かつて、コンクリートの基礎用使い捨て「枠材」は、全く今回と同様に問題になっていた。当時はフィリピンの森林の違法伐採の問題が明らかにされたが、今回同じ問題が浮上したとなると、その間、何も手が打たれなかったということになる。
近年の地球環境の悪化、異常気象などは、森林の大規模消失と無関係ではあるまい。昨年の巨大台風の襲来、大雨による被害に、わが国の身勝手な行為が影響を与えていないことを祈るばかりである。
昨年のCOP25で、日本は、不名誉な立場に追いこまれたが、今回の問題で、さらに立場は悪くなるであろう。
国を挙げて大騒ぎしている「五輪」とはいかなる意味を持っているのか、日本で開催することの意味とは何かを冷静に考えてみよう。すでに手遅れであるが、反省だけはしておきたい。