言い逃れの多い総理の国会発言、「募集はしておりません。募っただけです。」は有名になったが、一国の首相の国語力がこれではいけない。「弄ぶ」以前の問題である。
数日前に、梯久美子のノンフィクション、『散るぞ悲しき/硫黄島総指揮官・栗林忠通』(大宅賞受賞作)を読了する。いつもながら、ノンフィクション作家の尋常ならざる努力には頭が下がるが、特にタイトルに関わることがらに感銘を受けた。
玉砕した硫黄島の総指揮官である栗林の、大本営への訣別電報の末尾に記された辞世の句三首の最初は、次のようになっていた。
「国の為重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき」
その歌の最後の「散るぞ悲しき」が新聞発表では、「散るぞ口惜し」に改竄されているのである。梯は、栗林の「悲しき」に、「いたずらに将兵を死地に追いやった軍中枢部への、ぎりぎりの抗議ともいうべき」心情を読み取っている。
原文改竄の背後には、兵士としての心情にそぐわない心情表現として、公表したくないという、軍中枢の姿勢があり、小知恵のきく誰かが忖度して修正したものであろう。近年、「忖度」が流行したが、最近の政治状況が、先の大戦当時と似てきたという印象を持つ人があることと通じるものがある。辞世の句、本人の血を吐くような言葉を軽々しく改竄するような行為は、日本語を裏切るものであり、言葉を支える民族の心情、精神を裏切る行為でもある。