FACE OFF

毎日がスタート

小説、映画から

2010年03月18日 01時05分30秒 | 私生活
何気なく読んでいた、「沈まぬ太陽」が日本アカデミー賞を受賞した。
謙さん主演と聞き、いずれ映画でも見てみようかと。

本も読んだし映画もいつの間にか受賞したって事で、
少し123便墜落事故の事を知ってみたいと思いました。

当時の俺は小学生の低学年。
何と偶然にもあの日いたのは群馬県前橋市。
小学高学年の兄と2人だけで横浜の伯父、前橋の叔母の家へ旅行へ。
初めて親のいない新幹線での遠出に兄がいるお陰で
不安など微塵も感じなかったものだが、小さな俺を連れて歩く兄は
頼る人がいないだけにとても不安だっただろうと今さら思う。
8月12日、横浜の伯父に東京タワーなどに連れてもらい、
夕方上野駅で迎えに来た叔母に引き取ってもらった。

まさか前橋上空の近くを123便が飛んでいたなんて、あの頃はイマイチ事の重大さを
そう感じなかったのだが(たくさん亡くなって大変な事なのは理解していたが)
今改めて思い出すと身近で起きていたとは不思議な気分。
当時、叔母の家でNHK特集の戦争関係の番組を見ていた時、
ニュース速報が流れてから、その後緊急ニュースに代わった微かな記憶。
ネットで調べてみると・・・

【NHKはNHK特集『人間のこえ・日独米ソ・兵士たちの遺稿』が放映されていて
19時30分頃に放送打ち切り、緊急ニュースに切り替わった】

25年前の記憶がそう間違っていなかった事が判明。

いろいろ調べてみると、小説にも出てくる乗客遺書の現物と文面が残っており、
詳細まで見る事ができる。
亡くなった方々の、心中やいかに。

乗務員全員の写真もある。皆冷静な対応だったという。
そんな乗務員もみんな亡くなった。

衝撃だったのは、当時のボイスレコーダーが普通に聞ける事。
http://asukadoremi.hp.infoseek.co.jp/sozai/JAL123_2.swf

経路まで詳細に載っており、本物かどうかは定かではないが、
機長や副操縦士の声からは当時の緊張感、悲壮感が伝わる。

あれから25年が経ってしまいましたが、2度と起こらない為にも
あの大惨事は風化させてはいけない、そう思った小生でした。
コメント
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