何気なく読んでいた、「沈まぬ太陽」が日本アカデミー賞を受賞した。
謙さん主演と聞き、いずれ映画でも見てみようかと。
本も読んだし映画もいつの間にか受賞したって事で、
少し123便墜落事故の事を知ってみたいと思いました。
当時の俺は小学生の低学年。
何と偶然にもあの日いたのは群馬県前橋市。
小学高学年の兄と2人だけで横浜の伯父、前橋の叔母の家へ旅行へ。
初めて親のいない新幹線での遠出に兄がいるお陰で
不安など微塵も感じなかったものだが、小さな俺を連れて歩く兄は
頼る人がいないだけにとても不安だっただろうと今さら思う。
8月12日、横浜の伯父に東京タワーなどに連れてもらい、
夕方上野駅で迎えに来た叔母に引き取ってもらった。
まさか前橋上空の近くを123便が飛んでいたなんて、あの頃はイマイチ事の重大さを
そう感じなかったのだが(たくさん亡くなって大変な事なのは理解していたが)
今改めて思い出すと身近で起きていたとは不思議な気分。
当時、叔母の家でNHK特集の戦争関係の番組を見ていた時、
ニュース速報が流れてから、その後緊急ニュースに代わった微かな記憶。
ネットで調べてみると・・・
【NHKはNHK特集『人間のこえ・日独米ソ・兵士たちの遺稿』が放映されていて
19時30分頃に放送打ち切り、緊急ニュースに切り替わった】
25年前の記憶がそう間違っていなかった事が判明。
いろいろ調べてみると、小説にも出てくる乗客遺書の現物と文面が残っており、
詳細まで見る事ができる。
亡くなった方々の、心中やいかに。
乗務員全員の写真もある。皆冷静な対応だったという。
そんな乗務員もみんな亡くなった。
衝撃だったのは、当時のボイスレコーダーが普通に聞ける事。
http://asukadoremi.hp.infoseek.co.jp/sozai/JAL123_2.swf
経路まで詳細に載っており、本物かどうかは定かではないが、
機長や副操縦士の声からは当時の緊張感、悲壮感が伝わる。
あれから25年が経ってしまいましたが、2度と起こらない為にも
あの大惨事は風化させてはいけない、そう思った小生でした。
謙さん主演と聞き、いずれ映画でも見てみようかと。
本も読んだし映画もいつの間にか受賞したって事で、
少し123便墜落事故の事を知ってみたいと思いました。
当時の俺は小学生の低学年。
何と偶然にもあの日いたのは群馬県前橋市。
小学高学年の兄と2人だけで横浜の伯父、前橋の叔母の家へ旅行へ。
初めて親のいない新幹線での遠出に兄がいるお陰で
不安など微塵も感じなかったものだが、小さな俺を連れて歩く兄は
頼る人がいないだけにとても不安だっただろうと今さら思う。
8月12日、横浜の伯父に東京タワーなどに連れてもらい、
夕方上野駅で迎えに来た叔母に引き取ってもらった。
まさか前橋上空の近くを123便が飛んでいたなんて、あの頃はイマイチ事の重大さを
そう感じなかったのだが(たくさん亡くなって大変な事なのは理解していたが)
今改めて思い出すと身近で起きていたとは不思議な気分。
当時、叔母の家でNHK特集の戦争関係の番組を見ていた時、
ニュース速報が流れてから、その後緊急ニュースに代わった微かな記憶。
ネットで調べてみると・・・
【NHKはNHK特集『人間のこえ・日独米ソ・兵士たちの遺稿』が放映されていて
19時30分頃に放送打ち切り、緊急ニュースに切り替わった】
25年前の記憶がそう間違っていなかった事が判明。
いろいろ調べてみると、小説にも出てくる乗客遺書の現物と文面が残っており、
詳細まで見る事ができる。
亡くなった方々の、心中やいかに。
乗務員全員の写真もある。皆冷静な対応だったという。
そんな乗務員もみんな亡くなった。
衝撃だったのは、当時のボイスレコーダーが普通に聞ける事。
http://asukadoremi.hp.infoseek.co.jp/sozai/JAL123_2.swf
経路まで詳細に載っており、本物かどうかは定かではないが、
機長や副操縦士の声からは当時の緊張感、悲壮感が伝わる。
あれから25年が経ってしまいましたが、2度と起こらない為にも
あの大惨事は風化させてはいけない、そう思った小生でした。