古森病院@福岡市博多区です。
前の記事の続きです。
昨今、独居高齢者の孤独死が社会問題化しています。
誰ともつながりがないために、発見が遅れ、
死後 ずいぶん時間がたってから発見されるケースも少なくありません。
当院が位置する博多区は 福岡市の中でも独居高齢者が多い地区です。
独居高齢者には、認知症の方が少なくありませんが、
先般 地域包括ケアの博多区ブロックの研究会に行ったところ
「認知症の患者さんで 地域のケアに乗れた人と乗れなかった人の違い」という
テーマで 実際の症例をもとにディスカッションが行われ、結論として
「昔からかかりつけ主治医を持っている人のほうが、地域のケアを受けやすい
(イコール孤独死になりにくい)」という話になっていました。
つまり、将来を見越して(?)早くから
かかりつけの主治医を積極的に持ちましょうという結論です。
この話は 主治医の立場から見ても
解釈が偏っていると思います。
(医師会と博多区が共同主催だった会というのが
我田引水の結論になりがちで よくないのでしょうけど)
認知症の患者さんは、一般的に他人の介入を嫌がり
医療介護ケアを受けさせるのに 難渋する方が多いのですが
認知症になる前から定期的に医療にアクセスしていた方に関しては
主治医のことは覚えているので、
「昔から信頼関係の出来ている」主治医のいうことは聞いてくれる傾向にあります。
(主治医が「困ってるのなら誰かに助けてもらったら」というと、
受け入れて各種サービスにつながりやすい)
認知症の方は昔のことはよく覚えており、最近のことから忘れていきます。
認知症でなくても 年齢を重ねるにつれ 柔軟性がなくなり
新しいことは受け入れがたくなる、覚えられない という現象はよくあることです。
昔からかかりつけの主治医のいる人は
もともと健康に関心があり、
何かにつけ、医療にアクセスしてきます。
かかりつけのいない人は、もともと筋金入りの
病院嫌いか
健康に関心の乏しい人であり(あるいは
頑強で病気にかかった事も、検診で
引っ掛かった事もないという方もおられますが)
筋金入りの病院嫌いの方や健康に関心の乏しい方は
医師に限らず
概ね 他人の介入を受けることが
嫌いな傾向にあります。
認知症になってもその性格が
変わることはありませんし、
むしろ介入嫌いに拍車がかかります。
認知症は良くも悪くも変化を
受け入れられない病ですから。
ですので、認知症になったら助けてもらうために
認知症になる前から
かかりつけの主治医を積極的に持てばいい という
話とは 論点がずれてきます。
もともとのその方の性格の問題ですので・・・。
前述の記事と似たようなケースだと思い、記事にしました。
よく「物事の全貌を把握するために 一次情報(記事になった情報の発信元)に当たりましょう。」と
言われますが まったくその通りだと思う今日この頃です。
http://komori-hp.cloud-line.com/
追記
主治医のいない独居の認知症の方が
皆 孤独死している訳ではありません。
一番多いパターンは
発熱したり、転倒して骨折したりして
病院に搬送され
医療に繋がり、その後入所というパターン、
次いで関係者がじわじわ説得し、
信頼関係構築して介入成功するパターンと
なります。
前の記事の続きです。
昨今、独居高齢者の孤独死が社会問題化しています。
誰ともつながりがないために、発見が遅れ、
死後 ずいぶん時間がたってから発見されるケースも少なくありません。
当院が位置する博多区は 福岡市の中でも独居高齢者が多い地区です。
独居高齢者には、認知症の方が少なくありませんが、
先般 地域包括ケアの博多区ブロックの研究会に行ったところ
「認知症の患者さんで 地域のケアに乗れた人と乗れなかった人の違い」という
テーマで 実際の症例をもとにディスカッションが行われ、結論として
「昔からかかりつけ主治医を持っている人のほうが、地域のケアを受けやすい
(イコール孤独死になりにくい)」という話になっていました。
つまり、将来を見越して(?)早くから
かかりつけの主治医を積極的に持ちましょうという結論です。
この話は 主治医の立場から見ても
解釈が偏っていると思います。
(医師会と博多区が共同主催だった会というのが
我田引水の結論になりがちで よくないのでしょうけど)
認知症の患者さんは、一般的に他人の介入を嫌がり
医療介護ケアを受けさせるのに 難渋する方が多いのですが
認知症になる前から定期的に医療にアクセスしていた方に関しては
主治医のことは覚えているので、
「昔から信頼関係の出来ている」主治医のいうことは聞いてくれる傾向にあります。
(主治医が「困ってるのなら誰かに助けてもらったら」というと、
受け入れて各種サービスにつながりやすい)
認知症の方は昔のことはよく覚えており、最近のことから忘れていきます。
認知症でなくても 年齢を重ねるにつれ 柔軟性がなくなり
新しいことは受け入れがたくなる、覚えられない という現象はよくあることです。
昔からかかりつけの主治医のいる人は
もともと健康に関心があり、
何かにつけ、医療にアクセスしてきます。
かかりつけのいない人は、もともと筋金入りの
病院嫌いか
健康に関心の乏しい人であり(あるいは
頑強で病気にかかった事も、検診で
引っ掛かった事もないという方もおられますが)
筋金入りの病院嫌いの方や健康に関心の乏しい方は
医師に限らず
概ね 他人の介入を受けることが
嫌いな傾向にあります。
認知症になってもその性格が
変わることはありませんし、
むしろ介入嫌いに拍車がかかります。
認知症は良くも悪くも変化を
受け入れられない病ですから。
ですので、認知症になったら助けてもらうために
認知症になる前から
かかりつけの主治医を積極的に持てばいい という
話とは 論点がずれてきます。
もともとのその方の性格の問題ですので・・・。
前述の記事と似たようなケースだと思い、記事にしました。
よく「物事の全貌を把握するために 一次情報(記事になった情報の発信元)に当たりましょう。」と
言われますが まったくその通りだと思う今日この頃です。
http://komori-hp.cloud-line.com/
追記
主治医のいない独居の認知症の方が
皆 孤独死している訳ではありません。
一番多いパターンは
発熱したり、転倒して骨折したりして
病院に搬送され
医療に繋がり、その後入所というパターン、
次いで関係者がじわじわ説得し、
信頼関係構築して介入成功するパターンと
なります。