ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

「縄文ノート191 カラス信仰のルーツはメソポタミアかアフリカか?」の紹介

2024-04-27 19:48:43 | 日本文明

 はてなブログに「縄文ノート191 カラス信仰のルーツはメソポタミアかアフリカか?」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 縄文文化・文明についてその独自性を強調する「日本列島起源説」に対し、「シベリア起源説」「中国大陸起源説」「南方起源説」「チベット~雲南照葉樹林帯起源説」などが見られますが、私は「人類アフリカ単一起源説」の延長上に「宗教・文化・文明アフリカ単一起源説」を考えてきました。

 今回は、4月3日のBS101のダークサイドミステリー「世界の怪鳥聖鳥伝説を追え!ヤタガラスから翼竜生存説まで」の録画をやっと見ましたので、これまで書いてきたものを紹介しながらカラス信仰のルーツを考えてみました。

 有名な旧約聖書の「『ノアの方舟』神話では、洪水がおさまりかけたときノアはワタリガラスを偵察に放つのですが、自由な気質のワタリガラスはかえってこず、次にハトを放つとオリーブの小枝を加えてきた」からメソポタミア文明のカラス神話を私は理解していたのですが、それが誤りであることを初めて知りました。

 なんと、紀元前1300〜1200年頃にまとめられた古代メソポタミアのギルガメッシュ叙事詩では、カラスを放つとハトは帰ってきたのにカラスは帰ってこず、陸地を見つけたカラスが戻らないのはエサを食べているからと考えてカラスの後を追ったというのです。

 私は日本のカラス信仰は南インドの日本の「ホンガ ホンガ」「ホンガラ ホンガラ」と囃すカラスに赤飯などを与える行事はその特異な「囃子言葉」から南インドのドラヴィダ族の「ポンガ」がルーツと考えてきましたが、この番組でさらに遡ればエジプト・メソポタミア文明の神山天神信仰のルーツである中部・東アフリカに遡る可能性がでてきましたが、日本語で検索した範囲ではアフリカにカラス信仰は見つけることができませんでした。

 またこの番組は、4月6日(土)よりNHKでアニメ・シリーズが放映される阿部智里作の「八咫烏シリーズ(やたがらすシリーズ)」の「アニメ 烏(からす)は主(あるじ)を選ばない」の宣伝番組なので、スサノオ・大国主一族の「三足烏(さんそくう)」と天皇家の「八咫烏(やたがらす)」について考えてみました。

 熊野のスサノオ一族の配下であったヤタガラスは、スサノオ一族を裏切り、スサノオの御子の大年(大物主)一族が支配する大和(おおわ:元は大倭)侵略を目指す薩摩半島の阿多を拠点とした山人(やまと)族傭兵隊のワカミケヌ(若御毛沼)の手先となり道案内を行っており、まさに「烏(からす)は主(あるじ)を選ばない」裏切者であったのです。

 「勝てば官軍」で、侵略軍の手先となった裏切者の八咫烏(やたがらす)を信奉したい軍国主義者がまだまだ多いようですが、記紀に書かれたスサノオ・大国主一族による米鉄交易と鉄先鋤と妻問夫招婚による平和な百余国の「豊葦原水穂国」の建国を認めるならば、厳島神社(安芸国一宮)、住吉大社、熊野大社(本宮・速玉・那智)などスサノオ系の神使の「三足烏(さんそくう)」こそシンボルとすべきでしょう。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、「三足烏(さんそくう)」と「八咫烏(やたがらす)」の歴史について、カラス信仰のルーツから考えてみませんか? 雛元昌弘

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート   http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/


「縄文ノート1 サピエンス納豆からの『宗教・文化・文明アフリカ単一起源説』」の紹介

2024-04-16 17:21:50 | 人類史

 はてなブログに「縄文ノート190 サピエンス納豆からの『宗教・文化・文明アフリカ単一起源説』」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 DNA分析の進化により、人類の「アフリカ単一起源説」が定説となり、「多地域進化説」は成立しなくなりました。

 私は同じように、人類の基本的な宗教・文化・文明などもまた西アフリカから人類大移動とともに世界に拡散したという「宗教・文化・文明アフリカ単一起源説」を考えてきました。そのきっかけは、次女が青年海外協力隊員として赴任していたニジェールのニジェール川流域がヒョウタン原産地で米を栽培しており、若狭の鳥浜貝塚遺跡でヒョウタンと北アフリカ原産のウリ、インド原産のリョクトウ、南・東南アジアのシソ・エゴマが発見されていることを知ってからでした。

 そこから、Y染色体DNA、「主語-目的語-動詞(SOV)」言語、熱帯雨林での糖質・DHA食(イモマメ穀類・魚介食)と母子おしゃべり(言語発達)からのサルからヒトへの進化、マザーイネ(米・麦・トウモロコシ・雑穀の祖先)の発生地、米食、モチモチ・ネバネバ食(いももちなど)、魂魄分離(魂と肉体の分離)の神山天神信仰(ピラミッドを含む)、黒曜石文化、円形住宅やウッド・ストーンサークル、母系制社会などのルーツを探究し、アフリカから人類拡散とともに世界に広まったと考えるに至りました。

 

 なんと、さらに衝撃的であったのは納豆食文化もまた同じ西アフリカの可能性が高いことを高野秀行氏の『幻のアフリカ納豆を追え!―そして現れた「サピエンス納豆」』(2020年8月:新潮社)で教えられました。氏の素晴らしい労作『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』(2016年4月)はたまたま与野図書館の食の企画展で目に入り1か月前に読んでいたのですが、さらにアフリカにまで取材を広げていたのです。

 「餅団子(研究者の人たちは『練り粥』と呼ぶ)を主食とする地域は納豆をソースの調味料として使うが、米食地域ではもっとバリエーションに富んでいる」「セネガルでは・・・『米+魚+納豆』という日本人にひじょうに馴染みのあるセットになっているのだ」「西アフリカでは粘り気のある野菜を多用する・・・オクラ・ハイビスカス(ローゼル)の葉、モロヘイヤなど、煮込めばみんなネバネバである」というのであり、「縄文ノート142 もち食のルーツは西アフリカ」を書き、モチモチ・ネバネバ食が大好きな私としては大いに納得しました。

 Y染色体D型人はこの地のE型人と分かれる前に、同じモチモチ・ネバネバ食文化を持っていた可能性が高いのです。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、八百万神の霊(ひ)信仰の神名火山(神那霊山)崇拝や母系制社会の妻問夫招婚による「百余国」の統合など、縄文文化・文明論に遡って世界史の中に位置づけ、世界遺産登録を目指すべきではないでしょうか?

 若い世代のみなさんの研究と世界遺産登録運動に期待したいと思います。 雛元昌弘


151 鉄刀・鉄剣からみた建国史―アフリカ・インド鉄と新羅鉄・阿曽鉄、草薙大刀・草薙剣・蛇行剣

2024-03-28 18:24:50 | スサノオ・大国主建国論

 先日、スサノオ・イナダヒメらを祀る「 日本初之宮 (にほんはつのみや)」須我神社のある島根県雲南市大東町出身の起業家・細貝和則氏と歓談する機会があり、TBS「ワールドビジネスサテライト」のトレたま(トレンドたまご)の年間大賞を受賞したライティングシート(画鋲やテープを使用せず静電気で貼りつける持ち運び容易なホワイトボード代わりのシート)などの発明・事業展開・Uターン起業化の話を聞きました。

 私からは「トレたま」で放送されたものの売れなかった世界初の折り畳み式の小型ヨット・ランブラーの事業化の失敗談や、八百万神信仰のスサノオ・大国主建国、出雲大社復元案、たたら製鉄、アフリカ起源製鉄説などを話し、盛り上がりました。

 氏の出身地の大東町がかつては日本のモリブデンの主産地であったという重要な話を聞きましたのでモリブデン鋼製鉄の可能性、ヤマタノオロチの草薙大刀(くさなぎのおおたち)と天皇家の「三種の神器」の草薙剣(くさなぎのつるぎ)の関係、オロチ王を切ったスサノオの十拳剣(とつかのつるぎ)と石上神宮の約120㎝の大刀・約85㎝の剣の関係、アフリカの製鉄女神とたたら製鉄の女神・金屋子神の関係、吉備の温羅の妻・阿曽姫ゆかりの阿曽地区製鉄と阿蘇リモナイト鉄の関係、八岐大蛇と蛇行剣、インド・東南アジアの7つ頭のナーガ蛇神・八大竜王の関係などについて考えてみました。

 なお、これまで新羅とスサノオ~大国主一族の米鉄交易については『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)に書いていますが、はてなブログ「ヒナフキンの縄文ノート」には次のような小文を書いています。

 縄文ノート53 赤目砂鉄と高師小僧とスサ 201106

 縄文ノート119 諏訪への鉄の道 220122

 縄文ノート121 古代製鉄から「水利水田稲作」の解明へ 220205

 縄文ノート122 『製鉄アフリカ起源説』と『海の鉄の道』 220210

 縄文ノート125 播磨・吉備・阿蘇からの製鉄・稲作・古墳の起源論 220226

 縄文ノート127 蛇行剣と阿曽地名からの鉄の伝播ルート考 220318

 縄文ノート136 「銕(てつ)」字からみた「夷=倭」の製鉄起源 220427

 

1 「縄文ノート122 『製鉄アフリカ起源説』と『海の鉄の道』」(220210)の抜粋

 シリアのダマスカスで作られていた鋭利な刃物で有名なダマスカス鋼は、古代南インドで紀元前6世紀に開発されたるつぼ鋼のウーツ鋼の別称とされ、その木目状の模様は鋼材に不純物として特にバナジウムが必要であったとされています。そしてウーツ鋼とダマスカス刀剣の生産が近代まで持続しなかった原因をインドでバナジウムを含む鉄鉱石が枯渇したことによると推測しています。

 しかしながら、バナジウム産地が南アフリカにあることからみて、バナジウムが混じったラテライトを使った「南アフリカ鉄」がシリアやイラン、インドに輸出され、イギリスの植民地化により南アフリカの製鉄業が潰滅したことによりダマスカス鋼が消滅したと見るべきでしょう。

 スサノオが酒を飲ませて暗殺したオロチ王の「都牟刈大刀(つむがりのおおたち)」「草薙大刀(くさなぎのおおたち)」は別名を「蛇の麁正(おろちのあらまさ)」と書かれ、天皇家では「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)」として皇位継承の「三種の神器」の1つとしていますが、私は赤目砂鉄の荒真砂(あらまさ)を製鉄して鍛えた硬い鉄刀で、「天叢雲剣」の名前は日本刀の乱れた「刀紋」か、地肌が「八雲肌」のような大刀であったと考えてきました。―『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照 

 それは鍛造によってできる模様と書きましたが、バナジウムを含む砂(愛媛県大洲市の神南山神南石など)が紛れ込んだのか、あるいは鉄の融点を下げるために投入したカルシウム材の貝殻にバナジウムが含まれていてできたのか、ことによると南インドのウーツ鋼を使った大刀であった可能性も考えられます。いずれにしても、オロチ王→スサノオ→天皇家→ヤマトタケル(播磨の印南の大国主系の王女)と伝わり、王権の武力の象徴とされたことを見るとたいへん珍しい、よく切れる美しい大刀であったことは確実です。

 

2 「縄文ノート127 蛇行剣と阿曽地名からの鉄の伝播ルート考」(220318)の抜粋 

 播磨国風土記の「鉄生ふ」の記載のある讃容郡(さようぐん:現佐用市)の仲川里には、前から気になっていた次のような奇妙な記述があります。

 近江天皇(天智天皇)の世に、丸部具(わにべのそなふ)が河内国兔寸(うき)村の人が持っていた剣を買った後、家の者すべて滅亡した。その後、苫編(とまみ)部の犬猪(いぬい)がその跡地を耕し、この剣をえた。柄は朽ち失われていたが、刃は錆びず、光、明らけき鏡のようであった。犬猪は怪しんで、家に帰って鍛人(かねち)を招いて、その刃を焼かしめた。その時、この剣が屈申(くっしん)すること蛇のようであった。

 錆びない鉄といえばインドの「デリーの鉄柱」や「ダマスカス鋼(インドのウーツ鋼の別称)」が有名であり、ウィキペディアは「インドで産出される鉄鉱石にはリン(P)が比較的多く含まれ、鉄を精製する際にミミセンナ(リンを含む植物)を加えており、表面がリン酸化合物でコーティングされた」という錆に強い鋼生産説を掲載しています。

 「たたら炉の周囲の柱に死骸を下げると大量に鉄が取れるようになった」という金屋子神伝承からみると、製鉄の過程でリンを加えた可能性があり、「屈申蛇如」からみると炭素の少ない鋼であり、インドの筒形炉で褐鉄鉱(リモナイト)からつくるウーツ鋼(ダマスカス鋼)のような剣であった可能性があります。―「縄文ノート122 『製鉄アフリカ起源説』と『海の鉄の道』」参照

 このウーツ鋼の木目状模様はバナジウムによるとされており、バナジウム産地が南アフリカにあることからみて「南アフリカ鉄」がシリアやイラン、インドに輸出されたと考えられ、日本ではバナジウムはエビやカニなどに含まれ、前述のリンもエビ・カニ類に多く含まれることからみて、ヤマタノオロチ王の八雲肌の「天叢雲大刀」の製鉄にはエビ・カニ類が加えられた可能性もあります。

 

3 モリブデン鋼の可能性

 島根県雲南市大東町出身の細貝和則氏によると、町内には大東鉱山をはじめ4つのモリブデン鉱山があり、日本の主産地であったそうです。

 私はクロモリ鋼(クロムモリブデン鋼)の知識がありましたから、オロチ王の「都牟刈之大刀(つむがりのおおたち):草那芸之大刀(くさなぎのおおたち)」にはモリブデンが入っていたのではと大興奮し、帰ってからすぐに調べました。

 モリブデン鋼は錆びにくく包丁や医療用メスに使われ、ウィキペディアによれば「天叢雲剣が当時の他の剣よりも硬かったのは一因に、モリブデンが含まれているためとの説がある。ひとりのドイツ人が細いのによく切れて頑丈な日本刀に着目し、分析の結果、刀の成分にモリブデンが含まれていることを見つけた。さらに日本神話に登場する『天叢雲剣』に目をつけ、斐伊川上流には何か手がかりがあるのではないかと考え調査したところ、大東町でモリブデン鉱床を発見したとの説もある」と書かれており、とっくに先人たちは気づいていたのでした。

 これまでバナジウムが混じっていて「八雲肌」ができた可能性は考えていましたが、モリブデンはノーマークでした。

 モリブデンはこの大東町の砂鉄に交じっていた可能性がありますが、大豆やえんどうなど豆類にモリブデンは含まれ骨などに蓄積されるため、「たたら炉の周囲の柱に死骸を下げると大量に鉄が取れるようになった」という伝承からみると、ことによると死体の骨を加えてモリブデンとリンを含有させた可能性も考えられます。

 古代製鉄は中国・新羅ルートのたたら製鉄とアフリカ・インドルートの阿蘇黄土(阿蘇リモナイト:褐鉄鉱)製鉄の2タイプがあったという仮説を私は考えていますが、新羅に御子の五十猛(いたける:委武)と渡ったスサノオが新羅との米鉄交易を開始したのに対し、大国主が「大穴持」「大穴牟遅(おおあなむぢ)」「八千矛」の別名を持ち、出雲国風土記が大国主を「五百(いほ)つ鉏々(すきすき)猶所取り取らして天下所(あめのした)造らしし大穴持」と書き、その国名を「豊葦原(とよあしはら)の千秋長五百秋(ちあきのながいほあき)の水穂国(みずほのくに)」としていることなどからみて、大国主は国内製鉄を軌道に乗せ、鉄先鋤を各国に与えて沖積平野の葦原の開拓を促し、水利水田稲作を全国に普及させた「天下経営王」(日本書紀)であり「造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)」(出雲国風土記)であったのです。

 紀元1~2世紀のモリブデン鋼の鉄刀、スサノオ~大国主時代の製鉄遺跡、阿蘇鉄遺跡などはまだ未発見・未解明ですが、いずれ明らかになると私は期待しています。

 

4 製鉄女神・金屋子神信仰のルーツ

 縄文ノート122 『製鉄アフリカ起源説』と『海の鉄の道』において、木村愛二氏の『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』の影響を受けた私は、「製鉄ヒッタイト起源説」に対し、「製鉄アフリカ起源説」として図のようなまとめを行っています。

 エジプトのピラミッドなどの巨石文明は鉄器なしに不可能であり、エジプトがヒッタイトとの戦争に敗けることがなかったのも彼らが鉄製武器を持っていたからに外なりません。木村氏はスーダンの私はニジェール川支流のブルキナファソの世界文化遺産「ブルファナキャソ古代製鉄遺跡群」(4000~3000年前)こそが製鉄の起源地の可能性が高いと考えています。

 そして『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』(第4章 鉄鍛冶師のカースト)から私は次のような引用を行っています。

「アフリカ人は、鍛冶師をカーストの最上位に置いていた。彼らの神話はすべて、神から直接に金属を与えられたということを語っている」

「アフリカの農耕民の社会では、技術者の最上位のカーストは、鉄鍛冶師とされている。ところが、シュレ=カナールの研究によると、ほとんどどこでも、このカーストの女性は陶工、または土器製作者である。・・・

 ところで、明らかに鉄器よりも、土器の方が先に発明されている。ということは、土器をつくっていた女たちが、鉄の製法を発見し、男たちに力仕事、つまり加工作業を手伝わせたとも考えられる。その鍵になるものは、ラテライト、または「古鉄土」のもうひとつの特殊性である。つまり、「古鉄土」は粘土状でも存在する。そして、土器の原料と同じ形で、地表にあった。この条件が決定的なものではなかろうか。・・・

 そして、もちろん、アフリカ人は早くから土器をつくっていた。紀元前6000年のケニア高原の遺跡について、コルヌヴァンは、「とりわけ豊富な土器」という表現さえ使っている。

 では、どういうことをしているうちに、鉄の製法が発見されただろうか。偶然だろうか。わたしは、これも必然的な結果として考えている。・・・

 古鉄土性の粘土が多い地方では、土器製作過程で海綿鉄の塊まりが得られるという可能性は、充分に考えられる。・・・

 長い間、土器をつくっていた女たちは、その上に、実験的訓練を経ていたし、出来上りのよさ、色彩を競いあったにちがいない。女たちの研究心は旺盛であった。奇妙な黒い鉄の塊まりの利用方法に気づくのも、人一倍早かったにちがいない。

 さらに、発見された最初の鉄塊で、何がつくられたか、ということも考えなくてはならない。歴史学者は、刀剣類に重点を置く傾向がある。しかし、石器と同様に、金属器も最初は生産用用具、とくに農耕用具として開発されたと考えるのが、本筋であろう。」

 これまでうかつなことに気付かなかったのですが、播磨から吉備・伯耆を経て出雲にたたら製鉄技術を伝えたとされる金屋子神について、今回、HP「和鋼博物館」をみると、なんと金屋子神もまた女神だったのです。

 製鉄現場に女性が入ることができなかったのは血の「ケガレ」忌避からではなく、製鉄神が女性であり、お山信仰の女人禁制と同じく女神が嫉妬することを避けたからと考えます。

 木村愛二氏によるとアフリカの技術者の最上位カーストの鉄鍛冶師はほとんどどこでも女性であり、陶工や土器製作者もまた女性であったというのですが、日本各地の製鉄神の金屋子神や水銀・朱砂(辰砂)神の丹生都比売もまた女性神であることと符合しています。

 女・子ども中心の採集・漁労活動による糖質・DHA食により人類が誕生した歴史からみて人類はもともと母系制社会であり、その延長に土器や鉄器の発明・利用が女性により行われた歴史をこの製鉄の歴史と製鉄女神信仰は示しています。

 宮崎駿監督のアニメ「もののけ姫」はたたら場を支配している棟梁のエボシ御前を女性としていますが、「さすが宮崎さん」です。

 なお、播磨国風土記には大国主の御子の丹津日子(につひこ)が書かれ、風土記逸文の明石郡(赤石は赤鉄鉱)には爾保都(にほつ)比売(丹生都(にゅうつ)比売)が登場し、神戸市北区(古くは明石郡)の丹生山には丹生神社がありますが、その名前からみて丹生都比売は大国主の御子の可能性が高いと考えます。

 和歌山県伊都郡かつらぎ町にある丹生都比売神社は紀伊国一宮で、主祭神として丹生都比売の他に大食津比売、市杵島比売を祀っていますが、記紀によれば大食津比売(おおげつひめ:大宜都比売)はイヤナギ・イヤナミの御子でスサノオの姉、宗像3女神の市杵島比売はスサノオの御子であり、播磨国風土記では奥津島比売(宗像3女神の長姉を襲名していた後継者)は大国主の妻となり阿遅鉏高日子根(あぢすきたかひこね)を播磨の託賀郡(多可郡:西脇市など)で産んだとしていることからみても丹生都比売・大食津比売・市杵島比売はスサノオ・大国主一族であり、丹生都比売は大国主の御子であった可能性が高いと考えます。

 

5 「大刀か剣」か?」「鉄刀か銅剣か?」:史聖・太安万侶が書き残した謎解き

 古事記によれば天降りに際してアマテルはニニギに「八尺勾玉(やさかのまがたま)、鏡、草那芸剣(くさなぎのつるぎ)」を持たせ、鏡については「我御魂として奉れ」と命じたとしています。そして、この「勾玉、鏡、剣」は「三種の神器(みくさのかむたから)」として皇位継承の正当性を示すものとされてきました。

 太安万侶はここでも表(天皇家)の歴史と裏(スサノオ・大国主一族)の歴史を巧妙に伝え残しています。

 スサノオがヤマタノオロチ王(古事記:八俣遠呂智、日本書紀:八岐大蛇)に酒を飲ませて暗殺した時にオロチ王の尾から出てきた大刀を太安万侶は「都牟刈大刀(つむがりのおおたち)」「草薙大刀(くさなぎのおおたち)」と書き、後のニニギの天降りでアマテルが与えたのは「草那芸剣」とし、さらに後に伊勢神宮で叔母の倭比売がヤマトタケルに与えたのは「草薙剣」として書き分けています。

 太安万侶は片刃の「大刀(おおたち)」と両刃の「剣(つるぎ)」の違いもわからない無能な人物としてきたのがこれまでの歴史家ですが、私は「史聖・太安万侶」は「オロチ王→スサノオ一族」の王位継承の神器・都牟刈大刀と、天皇家の神器・草薙剣を書き分け、スサノオ・大国主建国と天皇家建国の両方の歴史を巧妙に後世に伝え残した偉大な歴史家と考えています。

 この古事記に対して、日本書紀はオロチ(大蛇)王の「草薙大刀」を「草薙剣」と言い換え、「ヤマタノオロチ→スサノオ→アマテル(天照)→ニニギ→ワカミケヌ(神武)」と武力を象徴する剣が継承され、大和朝廷の正統性を示してきましたが、虚偽という他ありません。

 そもそも古事記はアマテルとスサノオは「筑紫日向(ちくしのひな)」で生まれた姉弟とする一方、スサノオは「母の国根の堅州国」(出雲)に行きたいと「八拳須(やつかひげ)」が生えた大人になっても泣いたとしており、スサノオは出雲で生まれた大兄(長兄)でアマテルは筑紫で生まれた異母妹としているのです。そして古事記はスサノオ~大国主の7代の系譜を書き、次に大国主の国づくりと筑紫の大国主・鳥耳夫婦の10代の系譜を書き、その次にニニギを登場させているのです。―詳しくは『『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(梓書院)、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

 この古事記の記述はスサノオの義妹のアマテルと、スサノオ7代目の大国主に国譲りさせたアマテル2(筑紫妻の鳥耳)、ニニギを天下りさせた祖母のアマテル3は、襲名した世代が異なる別人であることを示しています。

 天武天皇第2皇子の52代嵯峨天皇(三筆の一人、最澄・空海を優遇、源氏の祖)は「素戔嗚尊(すさのおのみこと)は即ち皇国の本主なり」として正一位(しょういちい)の神階と日本総社の称号を尾張の津島神社(対馬からスサノオの神霊を招へい)に贈り、66代一条天皇は「天王社」の号を贈っています。天皇家はスサノオ・大国主一族の建国を公認しているのであり、ここから記紀は解釈されなければならないのです。

 古事記神話は歴史書・ドキュメンタリーとしてみると矛盾や空想的な記述が目につきますが、空想的表現で真実を伝えるファンタジー、相反した矛盾した内容で読者に真実を探究させるミステリーとして分析すると、表の天皇家の建国史の裏のスサノオ・大国主建国史の真実を同時に巧妙に書いていることが浮かび上がります。

 その分析は頭の硬い歴史家に任せるのではなく、若いファンタジー・ミステリー好きの皆さんこそ取り組んでいただきたいと思います。

 

6 「オロチ(大蛇)の大刀」と「スサノオの剣」の行方

 ヤマタノオロチ(八岐大蛇)王の都牟刈大刀(つむがりのおおたち)、別名・草薙大刀(くさなぎのおおたち)について、古事記は「天照大御神に白し上げた」とし、日本書紀の一書は「昔素戔嗚尊の許にあり」としていますが、スサノオは高天原(筑紫日向:ちくしのひな)から出雲に追放されていることからみて後者が真実を伝えていると考えます。

 私は2008年3月に赤磐市の石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)を訪ね、この神社から天理市の石上神宮に第16代仁徳天皇の時に移されたスサノオの十拳剣は、明治に禁足地(神社建設以前の崇拝地)から発掘された全長約120cmの片刃の鉄刀と説明を受け、それをコピーした木刀を社務所で見せてもらいました。

 しかしながら、この大刀はスサノオの十拳剣(約8㎝×10=約80㎝)とは長さも形(剣)も異なります。

 この発掘時には約60cmと約85㎝の両刃の鉄剣も発掘されており、スサノオの十拳剣は約85㎝の両刃の鉄剣であり、この約120cmの片刃の鉄刀こそがオロチ王の大刀の可能性が高いと私は考えます。 

 ちなみに、『出雲国風土記』で「所造天下大神之御財 積置給處也(大国主命の宝が置かれた場所)」とされる大原郡条神原郷にある出雲最古期の方墳で「景初三年」(239年:卑弥呼が魏に使者を送った年)銘の三角縁神獣鏡などが出土した神原神社古墳の刀と剣はおおよそ70㎝(柄の細い部分が欠けている可能性)と80㎝(三角縁神獣鏡の径20㎝よりの比例計算)であり、「十拳刀・十拳剣」が当時の標準であったことが伺われます。現在の木刀の中刀が91㎝、大刀が101.5㎝と決められていることと較べてみても、小柄であった当時の人にとって石上神宮で発見された約120㎝の大刀は格段に大きく、これこそがオロチ王の特異な都牟刈大刀・草薙大刀に相応しいといえます。

 一方、熊野の高倉下(たかくらじ)がイワレヒコ(後に神武天皇)に差し出した横刀(おうとう:太刀の古語)は日本書紀では「韴靈(ふつのみたま)」とされ、宮中に祀られて10代崇神天皇の時に石上神宮に移され禁足地に埋められたとされていますが、これは約60cmの鉄剣ではないかと私は考えています。

 石上神宮は主祭神を約85㎝の布都御魂剣とし、約120cmの鉄刀と約60cmの鉄剣を配神として祀っていますが、スサノオの十拳剣(とつかのつるぎ)は吉備神部の本宮である石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)にもともと置かれて第16代仁徳天皇の時に石上神宮に移されたのですから、主祭神の約85㎝の布都御魂剣の方こそが名称と大きさ、主祭神であることからみてスサノオの十拳剣(とつかのつるぎ)とみるべきです。

 石上布都魂神社とその分社である石上神宮はともに物部氏の神社であり、スサノオの神剣を祭神にしている以上、物部氏はスサノオの御子一族であり、「物部」姓は「大物主大神(スサノオ)」と「大物主(美和を拠点とする大年一族)」と同じ「物(神)」族であることを示しています。

 なお、オロチ王を暗殺したスサノオの「十拳剣(とつかのつるぎ)」は別名を「韓鋤剣(からすきのつるぎ)」ということからみて、スサノオが辰韓(新羅)に行って入手した「韓の鋤」の鉄を鍛えなおした剣であり、オロチ王の大刀に当たって欠けたというのですから銑鉄製であり、これに対してオロチ王の大刀は強度があり腐食に強くモリブデン鋼の可能性も考えれられます。また、熱田神宮に保管されている「三種の神器」の十拳剣は銅剣であり、スサノオの剣ではありません。

 以上の推理仮説は、鉄の専門家による石上布都魂神社の3刀剣と、神原神社古墳の刀剣など同時代の刀剣の蛍光Ⅹ線分析(非破壊分析)などにより証明されることを期待しています。

 

7 天皇家の「鉄隠し」と「鉄を忘れたカナリア」たち

 へそ曲がりの私は小学生の時、「石器→縄文式土器→弥生式土器→古墳」という鉄器時代がない時代区分、米を入れるために「弥生式土器」ができたという説、「大和(おおわ、だいわ)」と書いて「やまと」と読むという教師の説明に疑問を抱き、以後、歴史教科書や教師は信用できないと思いました。

 ビスマルクの「鉄は国家なり」を知ったのは中学生の時だったと思いますが、古代においてもこの言葉は重要なキーワードであったはずです。製鉄は農耕・漁労狩猟・調理・土木・建築・武器などの生産・生活・軍事革命を促す最高のハイテク産業ですが、なぜか記紀には鉄の生産・流通について記載されず、歴史家・考古学者もまた「鉄は錆びて無くなる」という理由をあげた「鉄を忘れたカナリア」のようです。

 すでにみたように、天皇家の皇位継承には「三種の神器」が欠かせないのですが、武力のシンボルであるヤマタノオロチの武器は古事記では「大刀」、日本書紀では「剣」と書かれ、しかも熱田神宮にそれとして伝わっているのは銅剣なのです。

 なぜ、「石器→土器→鉄器」の時代区分が日本で行われないのかについては何度か書いてきましたが、この時代区分にすると記紀神話や播磨国風土記に書かれたスサノオ・大国主一族による鉄先鋤による沖積平野の葦原を開拓しての水利水田稲作の「葦原中国(あしはらのなかつくに)」の建国を認めることになるからであり、薩摩半島南西端の笠沙・阿多の「山幸彦(猟師:山人)」を先祖とする天皇家の建国史を歴史学者や考古学者は認めたくないからです。

 また、西欧中心史観の「肉食・狩猟・闘争・戦争進歩史観」が大好きな学者にとっては、土器鍋による食革命には興味はなく、古代国家形成の基盤となる農耕・土木の鉄先鋤や建築のための斧やノミ、錐、包丁などの鉄器による生産・生活技術革命には関心が薄いのです。

 今、考古学の分野では縄文土器に付いていた豆や穀類、昆虫などの圧痕をシリコンで転写する熊本大小畑弘己教授らの研究が注目され、柱痕からは竪穴式住居や高床式建物の復元が行われていますが、鉄器はなくなっても製鉄に伴い全国各地で見つかっている「金糞=鉄滓」の成分分析により製鉄史を解明することは可能なはずです(残り物には福がある)。石上布都魂神社でも近くの川には金糞がみられるとのことでした。

 ヤマタノオロチの都牟刈大刀が草薙剣として天皇家の皇位継承の神器とされていることからみても、ヤマタノオロチ王はスサノオ・大国主一族の建国に先立つ偉大な製鉄王であった可能性があり、鉄の歴史とともにオロチ王の解明が求められます。

 なお、三種の神器で最初に登場する勾玉と次に登場する鏡は女性の装飾品と化粧道具であり、しかも「ヒスイ(翡翠)」は中国語に起源のない和語の「霊吸い」の可能性があります。

 魏皇帝からの百枚の鏡は卑弥呼だけでなく北部九州の30国の各女王への贈物として与えられたものであり、古事記では「我御魂」としてアマテルがニニギに与えたとしていることからみて、いずれも祖先霊信仰を担う女性の重要な神器であり、この国が母系制社会であった歴史を示しています。

 勾玉は大国主が越の沼河比売(ぬなかわひめ:奴奈川姫)に妻問いして糸魚川(奴奈)川)のヒスイ入手して出雲の玉造で製造し、八百万神の霊(ひ)信仰の神器として180人の御子人(みこと:命)ら一族に与え、広まったと考えます。

 

8 ヤマタノオロチ(八岐大蛇)王の本拠地は「越国」か「吉備」か?

 ヤマタノオロチの都牟刈大刀が草薙剣として天皇家の皇位継承の神器とされていることからみて、天皇家はこの国の支配の正当性を「オロチ王→スサノオ一族→天皇家」の権力継承として位置付けていることが明らかです。

 ところが記紀に登場するこのオロチ王は出雲国風土記に登場しないという大きな謎があり、オロチを切ったスサノオの十握剣(とつかのつるぎ)が岡山県赤磐市石上にある吉備国一宮であった石上布都魂(いそのかみふつみたま)神社に祀られ、しかも近くの「血洗いの滝」で十握剣に付いたオロチ王の血を洗ったという伝承が残っているのです。

 古事記にはオロチ王は「高志(こし)の八俣の大蛇(おろち)」とされていることからみて、オロチ王の本拠地は「越国(こしのくに)」(現在の福井・石川・富山・新潟・山形県)にあったので出雲国風土記に書かれなかったとする説がみられますが、越にはオロチ王伝承も製鉄遺跡の裏付けもありません。 

 そこで中国山地を越し(高志)た石上布都魂神社のある吉備の赤坂郡がオロチ王の本拠地であり、オロチ王の大刀の別名が「蛇の麁正(おろちのあらまさ)」で石上布都魂神社は古くは赤坂郡であったことからみて、オロチ王はこの地の「赤目(あこめ)砂鉄の荒真砂(あらまさ)」の製鉄王であったのではなかったか、と私は考えてきました。―『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

 この地にはかつては備前国分寺があり、備前地方最大、岡山県第3位の大きさの両宮山古墳があり、この赤坂や赤穂、明石(赤石)地名はすべて赤目砂鉄の製鉄が行われていた場所ではないか、と私は考えています。

 赤鉄鉱(Fe2O3)は吉備と播磨、近江が産地であり、赤目砂鉄を原料とした製鉄や鉄朱(ベンガラ:Fe2O3)生産地であり、万葉集の「真金(まがね)吹く 丹生(にう)の真朱(まそほ)の 色に出て 言わなくのみぞ 我が恋ふらくは」の「真金吹く」が吉備や丹生にかかる枕詞であることや、播磨国風土記の製鉄記載や金屋子神社伝承からみて、吉備と播磨はスサノオ・大国主一族の製鉄拠点であり、さらにその前にはオロチ王の製鉄拠点であった可能性があります。

 なおスサノオ(須佐之男、素戔嗚)はその漢字からみて神戸川中流の出雲市佐田町の須佐(飯石郡須佐郷)にちなんだ名前とする説がありますが、私は新羅に渡って製鉄法を習いオロチの本拠地の吉備の赤坂(現赤磐市)で製鉄を開始した「朱砂王」ではないかと考えています。

 ただ今回、雲南市大東町がモリブデンの主産地であったことを知り、新たな仮説として、オロチ王の都牟刈之大刀(つむがりのおおたち)はモリブデン鋼の可能性があり、その製鉄拠点は大東町あたりであった可能性もあり、このハイテク鋼の製造拠点を守るために出雲国風土記はオロチ王の存在を隠した可能性もでてきました。大国主の墓所を隠したのと同じ理由です。

 この新たな仮説については、スサノオ朱砂王説とともに地元の皆さんの調査・研究を期待したいとことです。

 

9 製鉄起源地の解明へ

 金属関係の単語は「呉音漢語・漢音漢語」ではない独自の「倭音倭語」であり、中国・朝鮮ルートの製鉄技術伝播説にはそもそも疑問があります。―「縄文ノート136 『銕(てつ)』字からみた『夷=倭』の製鉄起源」参照

 また、宗教・農業・食関係の単語はドラヴィダ語(タミル語)にほぼ対応しているのですが、金属語はドラヴィダ語にも対応していません。

 一方、「桃太郎の鬼退治」の元になった温羅王の妻の「阿曽媛」は、備中の製鉄拠点で現時点では最古の製鉄遺跡の千引カナクロ谷製鉄遺跡のある血吸川の阿曽地区の姫であり、近くの5世紀前半の全国第4位の巨大前方後方墳の造山(つくりやま)古墳の石棺が阿蘇凝灰岩であるという繋がりや、各地の「阿曽」地名が古代製鉄拠点であることからみて、阿蘇リモナイトを使った製鉄起源も検討する必要があります。―縄文ノート「120 吉備津神社と諏訪大社本宮の「七十五神事」「127 蛇行剣と阿曽地名からの鉄の伝播ルート考」参照

 さらに、前述の播磨国風土記の「鉄生ふ」の記載のある讃容郡(さようぐん:現佐用市)の仲川里の「刃は錆びず、光、明らけき鏡のようであった」「剣が屈申(くっしん)すること蛇のようであった」という蛇行剣の分布は南九州からの製鉄起源を考えさせます。―縄文ノート「120 吉備津神社と諏訪大社本宮の『七十五神事』」「127 蛇行剣と阿曽地名からの鉄の伝播ルート考」参照

 この蛇行剣はヤマタノオロチ王が古事記で「蛇(おろち)」、日本書紀で「八岐大蛇」と書かれていること繋がりがあり、オロチ王の一族のシンボルである可能性もあります。 

 

 蛇神はエジプトの大蛇アぺプ、女神・ウアジェト(古代エジプトの主権、王権、神性の象徴として蛇型記章を頭部に付ける)があり、さらにインドの半人半蛇のナーガが有名で東南アジアのインド文化圏では頭が7つある姿が多く、ナーガラージャ (インド神話における蛇神の諸王)は仏教では八大竜王(古代インドの天龍八部衆に所属する竜族の八王)として仏法を守護するとされています。 

 ヤマタノオロチが「頭尾各有八岐(頭尾それ八俣あり)」とされているのは、この東南アジアの頭7つのナーガ(蛇神)やインドの八大竜王の伝承を受け継いでいる可能性があります。

 また蛇行剣はインドネシアのクリス剣(鳥居龍蔵氏説)をルーツとする説もあり、インドのるつぼ鋼の木目模様のウーツ鋼(バナジウム鋼)とオロチ王の八雲肌の「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」の類似性も気になります。

 ヤマタノオロチ(八岐大蛇)王と7頭の蛇神ナーガ・八大竜王の類似性、オロチ王の八雲肌の天叢雲剣と蛇行剣と阿曽鉄、木目模様のウーツ鋼(バナジウム鋼)の関係など、単なる偶然とは思えません。

 鉄や金糞などに含まれる鉄以外の微量元素の分析や金糞と一緒に埋められた木片などの炭素年代測定法により、主な鉄生産地と製造年を突き止める総合的なプロジェクトを期待したいところです。新羅鉄か倭鉄か、新羅系か阿曽系かなど、特に1・2世紀のスサノオ・大国主建国の出雲・吉備・筑紫、3世紀の邪馬壹国、4・5世紀の天皇家の大和など、主な鉄産地の解明です。そして「ヤマタノオロチ→スサノオ→天皇家」へと伝わる記紀と神器が示す建国史の解明を期待したいと思います。

 なお、私は紀元1・2世紀に百余国を7~80年にわたり統一した「委奴国王(いなのくに、ひなのくに)王」はスサノオ・大国主7代であり、筑紫王朝は大国主が「筑紫日向(ちくしのひな)」の女王・鳥耳からの10代であり、その後継王が女王・卑弥呼であることを証明しています。―『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照


「縄文ノート189 ハラリ氏の新たな嘘話『サピエンス全史』を批判する(加筆修正版)」の紹介

2024-03-19 15:12:03 | 人類進化

 はてなブログに「縄文ノート189 ハラリ氏の新たな嘘話『サピエンス全史』を批判する(加筆修正版)」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 「188 ハラリ氏の嘘話『サピエンス全史』批判」は口頭での報告用レジュメでわかりにくいので、読者向けに文章や図表を整理して加筆・修正しました。

 実は「楽天ブログ:NoWar2022」に載せるつもりでしたが、アップしようとすると即座に「本文にわいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています」ということで掲載できませんでした。

 どうやら、「ユダヤ教シオニスト」批判をAIが「ユダヤ人差別」と判断したのではないかと思われます。そこで「はてなブログ:ヒナフキンの縄文ノート」に掲載しましたが、「ヘイトスピーチ禁止」をAIが判定する危うさを痛感しました。 雛元昌弘


「縄文ノート188 ハラリ氏の新たな嘘話『サピエンス全史』批判」の紹介

2024-03-15 18:05:02 | 日本文明

 はてなブログに「縄文ノート188 ハラリ氏の嘘話『サピエンス全史』批判」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 3月13日、縄文社会研究会・東京の顧問・尾島俊雄早大名誉教授の研究室でユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』などの翻訳者柴田裕之氏を招いての学習会があり、私は縄文ノート130~139の「『サピエンス全史』批判」1~5(220331~0523)のレジュメ(要約)と、182「人類進化を支えた食べもの」、186「『海人族縄文文明』の世界遺産登録へ」(231204)を報告しました。

 他民族に征服されることのなかったわが国は、新旧石器時代(日本では旧石器・縄文時代)の文化・文明が現代まで継承されており、しかも世界に類のない緻密な縄文時代研究と博物館・復元施設、市民体験活動などがあり、一神教以前の全世界の石器時代の歴史解明を先導するべき役割を担うべきと考えます。

 ユダヤ・キリスト・イスラム教などの終末思想・優勢思想に基づく一神教をハラリ氏は「嘘話」とした点は高く評価しますが、ユダヤ教の征服・殺戮・奴隷化を奨励する神の代わりに、「人類は誕生した時から征服者であり殺戮者として進化してきた」という新たな嘘話を創作し、ユダヤ・シオニストの思想を世界に広めようとしています。

 今、この侵略的な白人・男性中心の「肉食・狩猟・闘争・戦争進歩史観」を批判するハト派進化説が次々と生まれてきていますが、ハラリ氏はそれらを無視し、タカ派進化説論者の旗手としてあがめられてきていますが、その先には終末の未来しかないことをウクライナ・パレスチナ戦争や地球環境悪化による異常気象・食料危機などは示しています。

 今こそアフリカで誕生しアフリカ・アジア・南北アメリカで進化した数万年の人類史を辿り、たかだか2千数百年の西欧中心文明の先を展望してみませんか?

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、一神教以前の全ての生類の死者を神として祀る母系制社会の「八百万神」信仰は全人類の共通の宗教であったのであり、この出雲大社を中心として現代に続く「八百万神」信仰の世界遺産登録を目指すべきと考えています。様々の領域、地域の若い世代のみなさんの取り組みを期待したいところです。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/


「縄文ノート187 『まさひろドーイ』からの焼畑・縄文語・阿多天皇家考」の紹介

2024-03-05 06:19:51 | 琉球

 はてなブログに「縄文ノート187 『まさひろドーイ』からの焼畑・縄文語・阿多天皇家考」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 今回は琉球泡盛の「まさひろ」を飲みながら、社員一同の瓶踊りの『まさひろドーイ』から焼畑農耕と縄文語のルーツについて考えてみました。

 『まさひろドーイ』の歌詞の「海人(うみんちゅ)ん 畑人(はるんちゅ)ん 踊(うどう)てぃ飲(ぬ)でぃ遊(あし)ば」でびっくりしたのは、「畑」を「はる」と読むことであり、壱岐の原の辻遺跡(はるのつじいせき)や福岡県糸島市の平原遺跡(ひらばるいせき)など、九州で「原」を「はる、ばる」と読む地名が多いことからみると、「はる(原)」=「はる(畑:火+田)」=焼畑であり、沖縄と九州がかつては焼畑の同一文化圏であった可能性を示しています。―縄文ノート「28 ドラヴィダ系海人・山人族による稲作起源論」「42 日本語起源論抜粋」「93 『かたつむり名』琉球起源説―柳田國男の『方言周圏論』批判」参照

 また、「踊(うどう)」「飲(ぬ)」「遊(あし)」と「踊(おどう)」「飲(の)」「遊(あそ)」は、元の倭音の「あいういぇうぉ」5母音が琉球弁で「あいういう」5母音に、本土弁では「あいうえお」5母音になったことを示しています。―はてなブログ・ヒナフキンの縄文ノート「97 『3母音』か『5母音』か?―古日本語考」「153 倭語(縄文語)論の整理と課題」、gooブログ・スサノオ・大国主ノート「倭語論17 『いあ、いぇ、いぉ』『うあ、うぇ、うぉ』『おあ』倭語母音論」参照

 薩摩半島南西端の南さつま市の栫ノ原遺跡(「かこいのはら」は元は「かこいのはる」であった可能性)は、古代には笠沙天皇家(阿多天皇家)3代の本拠地であった「阿多」に属します。

 記紀によれば、2代目の火照命(ホデリ=漁師=海幸彦=隼人)の弟の火遠理(ほをり=猟師=山幸彦=山人(やまと))は龍宮(琉球)に行って豊玉毘売(とよたまひめ)を妻とし、さらにその子の鵜葺草葺不合(うがやふきあえず)は豊玉毘売の妹の玉依毘売(たまよりひめ)に育てられて妻としています。

 その子の若御毛沼(わかみけぬ:後の神武天皇)の母と祖母は海人族・畑人族の琉球人(うちなんちゅう)、父は山人(やまと:やまとんちゅう)であり、栫ノ原遺跡をみても縄文・弥生文化は連続しているのです。

 スサノオ・大国主一族とこの天皇家の歴史をみても「弥生人(中国人・朝鮮人)征服史観」は成立せず、「縄文人自立・内発的発展史観」の探究を若い世代のみなさんに期待したいと思います。 

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、対馬・壱岐をルーツとするスサノオ・大国主一族の建国が、琉球から北海道まで貝輪やヒスイ、黒曜石などの交易を行っていた縄文海人族の海洋交易民の歴史の受け継いでいることをさらに追究したいと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/


「縄文ノート186 『海人族縄文文明』の世界遺産登録へ」の紹介

2024-03-02 15:56:56 | 日本文明

 はてなブログに「縄文ノート186 『海人族縄文文明』の世界遺産登録へ」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 能登半島地震の観光支援として、「『海人族縄文文明』の世界遺産登録」の提案をまとめてみました。

 また、来年の2025年には「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマとした大阪万博が開かれますが、この機会に再び岡本太郎氏の「縄文に帰れ」「本土が沖縄に復帰するのだ」を考えてみるのはどうでしょうか? 私は2025大坂維新万博よりも、縄文文明の世界遺産登録の方が、はるかに文化的・経済的効果は高く、人類史に与える影響は大きいと考えています。

 ちなみに、西アフリカ原産のヒョウタンなどが発見された鳥浜貝塚遺跡、ウッドサークルなどがある能登町の真脇遺跡、火焔型土器の馬高・笹山遺跡などは私の縄文遺跡ランキングでは5位以内に入るいずれも貴重な遺跡であり、全世界の人たちに是非とも見て欲しい遺跡です。

 スサノオ・大国主建国は縄文海人族の海洋交易文明の延長上にあるとともに、母系制社会の妻問夫招婚による平和な「百余国」の統合であり、霊(ひ:祖先霊)信仰の神名火山(神那霊山)崇拝や神籬(霊洩木)崇拝、巨木建築などはアフリカをルーツとした1万数千年の縄文文化・文明を受け継いだものであり、本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても縄文時代に遡った検討が重要と考えています。

そして全世界に普遍的に存在した母系制社会の霊(ひ)・霊継(ひつぎ)信仰の「八百万神神道」の世界遺産登録を是非とも進め、宗教戦争のない世界平和に貢献すべきと考えています。

「弥生人(中国人・朝鮮人)征服史観」ではない、「縄文人自立・内発的発展史観」によるスサノオ・大国主建国論の研究を若い世代のみなさんに期待したいと思います。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/


「縄文ノート185 『184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成』補足」の紹介

2024-02-07 12:18:45 | 人類進化

 はてなブログに「185 『184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成』補足」の紹介」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 「縄文ノート184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成」(240124)では、2004年に書いた「動物進化を追体験する子どもの遊び」をさらに発展させ、0歳児の孫に教えられて「人類進化を追体験している乳幼児の成長」論をまとめました。

 「二足歩行→手機能向上(狩猟具作成・獲物運搬)・言葉誕生(狩猟の共同作業)→頭脳肥大(肉食)」というまことしやかな「オス主導の二足歩行進化説」「狩猟・肉食進化説」が日本の西欧拝外主義にも蔓延していますが、乳幼児の発達を見ていると順序は違います。

 「知能発達条件の確保(おっぱいの糖質・DHA増大)→知能発達(観察・理解・記憶)→真似による手機能向上(道具使用)・会話→這い這い移動(4つ足哺乳類型)→二足歩行(サル型)」の順であり、サルからヒト進化の決定的な鍵は「母親のイモ・マメ・穀類(火使用)・魚介食によるおっぱいの糖質・DHA増大」と「イモ・マメ・穀類食がもたらした自由時間増大による母子・子育てグループ・子ども同士の楽しいおしゃべり」にあると考えます。

 カナン侵略・支配を神の命令として正当化するために作られたユダヤ教を原点とする欧州中心史観の「危機進化説」(気候変動による熱帯雨林の食料不足→サバンナでの死肉漁り・狩猟→二足歩行・言語)に対し、果実やイモ・マメ・穀類・魚介類・昆虫・小動物など食材の豊富な熱帯雨林における「快適快楽進化」(美味しいもの・楽しいこと・新しいこと・探検などの追求)」の人類誕生史こそ未来への指針とすべきと考えます。たかだか2~3千年の「狩猟・闘争・戦争進歩史観」の延長上に希望を求めるべきではないのです。

 今回、9カ月目の孫の「観察・認知・記憶・模倣」による「ソフトソード(やわらかチャンバラ、ソフトチャンバラ)」使用と、「乳児の高いエネルギー消費は頭脳発達に使われている」という『日経サイエンス』の「カロリー計算でみる人類進化」により、184号を補足しました。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、アフリカ熱帯雨林での人類誕生史からの縄文時代の母系制社会を引き継ぎ、大国主は百余国で夜這いを行い180人の御子をもうけて霊継(ひつぎ)を行い、米鉄交易とあわせて「委奴国(ふぃなのくに)」=「豊葦原水穂国」を建国したのであり、その歴史から母子主導の「美食進化(糖質DHA食進化説)」「快適・快楽進化」「共同進化」の人類史を世界にアピールし、「霊(ひ)・霊継(ひつぎ)信仰」の世界遺産登録を目指したいと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ          http://blog.livedoor.jp/hohito/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論       http://hinakoku.blog100.fc2.com/


「邪馬台国ノート54 『神武東征』は『若御毛沼(わかみけぬ)東進』」の紹介

2024-02-02 17:47:34 | 邪馬台国

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 笠沙天皇家3代の始祖ニニギの「天下り」なるものは、筑紫日向(ちくしのひな:旧甘木市の蜷城(ひなしろ))の高台・高天原の卑弥呼(霊御子=大霊留女=アマテル)の死後の後継者争いで女王派(壹与派)に敗れた男王派のニニギが女王派の国々を避け、険しい九州山地を薩摩半島南西端までの逃避行であることはすでに明らかにしました。

 続く笠沙天皇家4代目の若御毛沼(ワカミケヌ)3兄弟の皇国史観のいうところの「神武東征」については、8世紀の創作とする反皇国史観や、邪馬壹国(邪馬台国)以前の「紀元前660年説」「紀元前40年説」「紀元前70~29年説」「紀元6年説」「2世紀中(150、168、187年)説」、安本美典氏の「紀元271年頃説」と私の同じ方法での「277年説」がありますが、日本書紀に書かれたワカミケヌらが「浪速の渡」を「遡流而上」って生駒山麓の白肩津まで進んだという記載は、「紀元前1050~50年の河内湾時代」「紀元前50~紀元150年の河内汽水湖時代ではなく、「紀元150~385年の河内湖時代」であることが明らかであり、安本・雛元説が正しいことが裏付けられます。

 なお高木修三氏(芥川賞受賞作家)「2世紀中説神武即位」説は「紀元150~385年の河内湖時代」には合致しますが、神武即位後に卑弥呼の邪馬壹国が畿内にあったか、という根本矛盾をはらんでいます。

 もしそうなら記紀の天皇紀には「146~189年頃の倭国乱、相攻伐歴年」「30国の女王・卑弥呼の共立」「魏との国交・鉄交易」「狗奴国との争い」「男王と女王・壹与の後継者争い」の大事件が記載されていなければなりませんが、何1つ記紀には記載されておらず、畿内にそのような伝承も争乱を裏付ける物証(鉄器や城柵など)もありません。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、スサノオ・大国主一族による「美和→大和(おおわ)」開拓と国づくりの後に、笠沙・阿多の山人(やまと:山幸彦=猟師)族の若御毛沼(ワカミケヌ)らの傭兵隊が大和(おおわ)盆地に入り、10代かけて御間城入彦(みまきいりひこ:後の崇神天皇)の時に美和王朝の権力を奪ったという天王スサノオ・大国主一族と天皇家の関係を解明する参考にしていただければと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

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「邪馬台国ノート53 『7里程』『2日程』条件から邪馬台国論争に決着を!」の紹介

2024-01-30 14:15:46 | 邪馬台国

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 魏書東夷伝倭人条には、「自郡至女王国万二千余里」「東南陸行五百里到伊都国」「東南至奴国百里」「東行至不彌国百里」「参問倭地・・・周旋可五千余里」「女王国東渡海千余里 復有国」「侏儒国在其南・・・去女王四千余里」の7つの「陸行里程」と「南至投馬国水行二十日」「南至邪馬壹国 女王之所都 水行十日陸行一月」の2つの「水行日程」があります。その全てを合理的に見たす場所が邪馬壹国の位置になります。

 末盧国からの正使の陸行・里程の続きにある邪馬壹国と、副使の末盧国からの投馬国、邪馬壹国の水行・日程ルートは並行しているのであり、「陸行+水行」を連続した行程として読むべきではない、というのが私のオリジナルな主張です。

 邪馬台国論争がいまだに決着がついていない根本原因は、考古学者たちは発掘成果にハクを付け、住民は町おこし・村おこしのために魏書東夷伝倭人条と記紀の都合のいい部分だけをつまみ食いすることにあると考えます。

 私は小学校まで吉備の岡山市で過ごし、父の岡山県北の山村では熊野神社でスサノオのヤマタノオロチ退治の備中神楽を幼児の頃に見た記憶があり出雲とも関わりがあり、中学校からは播磨の姫路市に移り、大学・院時代には京都・奈良・大坂に住み、また京大の歴史学者たちは伝統的に畿内説のようですが、だからといって邪馬台国論において吉備説・出雲説・播磨説・畿内説などに我田引水したいとは思いません。

 卑弥呼の女王国を世界の母系制社会の歴史の中に位置づけるという大きな観点から、郷土意識や学閥などにとらわれず邪馬台国論争に決着をつけて卑弥呼の墓を突き止め、女王国の歴史を世界に情報発信することを若い世代の皆さんには期待したいと思います。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、スサノオ・大国主7代の男王の「委奴国」と女王・卑弥呼の邪馬壹国の関係を解明する参考にしていただければと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

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「邪馬台国ノート52 『旧百余国』から『邪馬台論』は始めるべき」の紹介

2024-01-28 18:20:58 | 邪馬台国

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 邪馬台国論争は未だに「所在地論争」として決着がついておらず、卑弥呼の王都も墓も未発見ですが、いずれ九州説・畿内説の論争に関わっている歴史学者・考古学者の一方は頑迷な「古代史偽造者」の烙印を押されることになることを免れません。

 それ以上の大きな問題は、魏書東夷伝倭人条が冒頭で「倭人在帶方東南大海之中・・・舊百餘國・・・今使譯所通三十國」(倭人は帯方東南、大海の中に在り・・・旧百余国・・・今、使訳通ずる所は三十国」)と書いている以上、後漢が認めた「旧百余国王」を解明しようとしていないことです。私はこの「百余国王」は博多の志賀島で発見された金印に彫られた「委奴国王」であり、記紀に書かれたスサノオ以外にありえず、この国の建国者を示していると考えています。

 『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(梓書院),『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)をはじめ、何度も書いてきた繰り返しになりますが、本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、スサノオ・大国主一族と邪馬壹国の卑弥呼との関係について参考にしていただければと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

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「縄文ノート184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成」の紹介

2024-01-24 11:50:22 | 人類進化

 はてなブログに「縄文ノート縄文ノート184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 現役時代に木登り遊びのボランティア活動をやっていたとき、なぜ子どもが木登りが好きなのか、穴掘りが好きなのかなどについて、私は「動物進化を追体験する子どもの遊び」という仮説から考察したことがあったのですが、サルからヒトへの人類進化についても同じように子どもの誕生から成長の過程を辿って推定するという方法論を考えています。

 「気候変動で熱帯雨林の食料が乏しくなり、サバンナに出て草食動物の死肉をあさり、狩りをするようになって人類は進化した」というようなオス主導の「危機進化説」「苦難進化説」「肉食・狩猟・闘争・戦争進化説」が欧州人、旧約聖書教の人たちは好きであり、マルクス主義者も「窮乏化論」「階級闘争史観」ですが、メス・子主導で美味しいこと、楽しいことを追及したことで人類が進化したという「美食進化説(糖質DHA食進化説)」「快適・快楽進化説」「共同進化説」こそ検証すべきと考えます。

 霊長類学や文化人類学、民族学からの人類起源説は、栄養学や乳幼児・児童の発達・成長と合わせて総合的に分析されるべきであり、欧州中心史観の「肉食・狩猟・戦争進化説」「男主導進化説」を見直すとともに、人類誕生史からの「三つ子の魂百まで」の乳幼児期子育ての重要性が再確認されなければと考えます。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、縄文時代の母系制社会を引き継ぎ、大国主は百余国で夜這いを行い180人の御子をもうけて霊継(ひつぎ)を行い、米鉄交易とあわせて「委奴国(ふぃなのくに)」=「豊葦原水穂国」を建国したのであり、その歴史から母子主導の「美食進化(糖質DHA食進化説)」「快適・快楽進化」「共同進化」の人類史を世界にアピールし、世界遺産登録を目指して欲しいと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

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「縄文ノート183 八ヶ岳高原の女神・石棒・巨木拝殿・黒曜石・土器鍋食・散村文明」の紹介

2024-01-11 11:55:16 | 日本文明

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 農業・交易で豊かであったカナンを征服するために、貧しい遊牧民のユダヤ人の男たちは神を創作し、「神がくれた土地」としてカナンを侵略し、男は殺し、女子どもは奴隷化し、土地・家と財産を奪い、母系制社会を滅ぼすことを正当化しました。

 この「神」は後にローマ帝国の西欧・東欧の侵略・支配や、西欧諸国のアフリカ・アジア・アメリカ侵略・植民地化を正当化する帝国主義イデオロギーに引き継がれ、今もアメリカのイラク・アフガニスタン侵略やロシアのウクライナ侵略、イスラエルのパレスチナ侵略へと続いています。

 歴史の分野では、西欧人はこの宗教のもとに男中心の「肉食・狩猟・戦争進歩史観」を創作し、「未開・文明」という時代区分を考え、「文明人」による「未開人」の殺害・奴隷化・差別迫害の植民地支配を正当化してきたのです。

 日本中央部縄文遺跡群の世界遺産登録ではこのような「未開・文明史観」を正し、戦争のなかった縄文1万数千年の歴史から、霊継(ひつぎ:命のリレー)をなによりも大事にする母系制社会の女神信仰、神山天神信仰の共同祭祀を世界にアピールすべきと考えます。

 この霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教は、全ての「死者の霊(ひ)」を神として祀るスサノオ・大国主一族建国の八百万神信仰に引き継がれ、仏教伝来後には「神=仏」として命を大事にし、死者の霊が子孫に祀られる宗教として現代に続いています。

 同じ民族、国民の殺人は認めないにも関わらず、他民族・他国民は殺すことは神の命令として認めるというユダヤ教・キリスト教旧約聖書派による戦争を終わらせるためにも、アフリカの類人猿をルーツとする全人類の歴史を縄文史から変えていく必要があるのではないでしょうか?

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、縄文時代の母系制社会の神山天神信仰、巨木拝殿などの伝統を受け継ぎ、大国主は百余国で夜這いを行い180人の御子をもうけて霊継(ひつぎ)を行い、米鉄交易とあわせて「委奴国(ふぃなのくに)」=「豊葦原水穂国」を建国したのであり、全ての死者の霊(ひ)を八百万神として祀り、霊継(ひつぎ:命のリレー)を何よりも大事にした、侵略戦争によらないスサノオ・大国主一族の建国史を世界史の中に位置付け、世界遺産登録を目指して欲しいと考えます。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

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スサノオ・大国主ノート150 FB邪馬台国探究会「20 「邪馬台国畿内説」は成立するか?」の紹介

2023-12-23 20:40:22 | スサノオ・大国主建国論

231222 雛元昌弘

 フェイスブックの邪馬台国探究会で、「『卑弥呼王都=高天原』は甘木(天城)高台―地名・人名分析からの邪馬台国論」を連載してきましたが、「20 『邪馬台国畿内説』は成立するか?」をアップしました。

 内容は美和における「スサノオ・大国主建国論」でもありますので、参考にしていただければと思います。

 

<構成> 20 「邪馬台国畿内説」は成立するか?

⑴ 畿内説は「里程引き算足し算条件」を満たさない

⑵ 畿内説には「東を南とした90度方位誤記」の証明がない

⑶ 「水行十日」の起点は「不彌国」ではなく「末盧国」の呼子港である

⑷ 魏使は「ガキの使いやあらへんで!」

⑸ 「水行―陸行―水行」の途中下船・乗り継ぎはありえない

⑹ 漢・魏皇帝由来の「皇帝3物証」は畿内からは何も発見されていない

⑺ 鉄器時代は北九州・出雲が中心である

⑻ 卑弥呼をアマテル(天照)とする畿内説の「自爆」「敵塩」

⑼ 箸墓は大物主・モモソヒメ夫婦の墓であり、卑弥呼・アマテルの墓ではない

⑽ 間城(まき)・纏向(間城向)は大国主の拠点であった

 ① 纏向の大型建物は「日御子=アマテラス」の太陽信仰神殿か、大国主一族の穴師山崇拝の拝殿か?

 ② 奈良盆地の開拓・建国者はスサノオ・大国主一族

 ③ 大国主・大物主連合の成立

 ④ 「間城」「纏向(間城向)」は大国主一族の拠点

 ⑤ 銅鐸・銅槍(通説は銅剣)・銅矛祭祀から八百万神の神名火山(神那霊山)信仰へ

 ⑥ 「仮面」と「桃の種」は大国主由来の宗教を示す

 ⑦ 穴師山は穴師=鉱山師の大国主一族の拠点

 ⑧ 播磨の養久山古墳群の「円墳・方墳・前方後円墳」から前方後円墳は生まれた

 ⑨ 「邪馬台国畿内説」「卑弥呼・アマテル・モモソヒメ三位一体説」は新皇国史観(天皇中心・大和中心史観)の空想


149 NHK「出雲大社 八雲たつ神々の里」から古出雲大社復元と世界遺産登録を考える

2023-12-16 16:56:29 | 出雲

 11月20日のNHKBSプレミアムの『出雲大社 八雲たつ神々の里』を録画をやっとみることができました。画像に登場する人々の服装が古いのと登場する森浩一同志社大教授が若いので画面の隅を見ると撮影は1985年となっていました。

 私はこれまで、古出雲大社は神籬(霊洩木)を心御柱として建物で覆ったものであり、八百万神の霊(ひ)を天に送り、迎える「天神信仰神殿」であり、「直階段」ではなく心御柱を廻りながら登る「廻り階段」で、その元々の場所は現在地より南東約200mの、八雲山から琴引山を結ぶ聖線(レイライン)上にあり、大風を避けるために三方を山に囲まれた現在地に鎌倉時代までには移されたとみてきました。

 この出雲大社本殿は縄文時代の神那霊山(神名火山)信仰と巨木神殿を受け継いだものであり、死ねば誰もが神として祀られる「八百万神信仰の世界遺産登録」に向けて、世界最高の古出雲大社神殿の復元を提案しています。

<これまでの関係資料>

⑴ はてなブログ「ヒナフキンの縄文ノート」

 33 「神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観」考 200801→1226

 50 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ 190408→200830

 104 日本最古の祭祀施設―阿久立石・石列と中ツ原楼観拝殿 211025

 105 世界最古の阿久尻遺跡の方形巨木柱列群 211030

 106 阿久尻遺跡の方形柱列建築の復元へ 211107

⑵ gooブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」

 141 出雲大社の故地を推理する 221027

 140 縄文建築から出雲大社へ:玉井哲雄著『日本建築の歴史』批判 221024

 143  纏向遺跡は大国主一族の祭祀拠点 221116

 145 岡野眞氏論文と「引橋長一町」「出雲大社故地」 230110

 146 古代出雲大社復元に取り組んだ馬庭稔君逝く 230323

 147 「八百万神信仰」の世界遺産登録へ  181218→230326

 

1 出雲大社本殿は「直階段」か、心御柱(神籬=霊洩木)を中心とした「廻り階段」か?

 このような私の主張に対し、NHK『出雲大社 八雲たつ神々の里』は48mあったとされる古出雲大社の復元イメージを外直階段ではなく内階段とし、構造的・機能的にみて本来の合理的な建築として再現像を描いています。

 出雲大社の「金輪御造営差図」や「3本組た3本組土中柱」が発見される以前のものと考えられ、9本柱ではなく柱の数を多くしていますが、柱と柱を繋ぐ貫(ぬき)を設けているのは構造的にみて合理的です。

 出雲国造の千家(せんげ)家に代々伝えられてきた「金輪御造営差図」(以下、金輪造営図と略)には神殿の前に「引橋長一町」と書かれた長方形の図が描かれていますが、日本書紀は「大国主が往来して海に遊ぶ具の為に、高橋・浮橋および天鳥船を造り供す」と書いていることからみて、この「引橋」は出雲大社本殿から大国主が神門水海(かんどのみずうみ)にでるため「高橋(桟橋)」と「浮橋(浮き桟橋)」だったのです。

 

 

 2 古出雲大社本殿は現在地にあったか?

 『出雲大社 八雲たつ神々の里』では現在の本殿の位置で古出雲大社の復元イメージを作成していますが、私は前から古出雲大社の場所はここではないと考えていました。

 現役時代に市町村などの総合計画や都市計画、地域計画で公共施設の配置や建築基本計画の仕事もしてきたことから建物の立地場所と方向には拘りがあり、出雲大社本殿が背後の神名火山(神那霊山)である八雲山を向いて建てられていないことを見て、古出雲大社の立地場所がどこか考え続けていました。

 纏向(間城向)の箸墓や最近発掘された大型建物、崇神天皇陵(崇神=御間城入彦と皇后の御間城姫の墓)が穴師山を向き、「箸墓―ホケノ山古墳―穴師坐兵主神社(祭神兵主大神=大国主)―穴師山」がほぼ聖線(レイライン)上にあることからみても、出雲族は神名火山(神那霊山)に向けて施設配置を行っていたのです。―「スサノオ・大国主ノート143  纏向遺跡は大国主一族の祭祀拠点」221116参照

 黒田龍二神戸大准教授は正面柱が奇数で屋根を支える棟持柱などから、この纏向の大型建物と出雲大社本殿との類似性を指摘していますが、古事記は、少彦名の死後、御諸山(美和山)に大物主(大物主大神=スサノオ)を祀ることを条件に大国主と大物主(大年)が国を「共に相作」ったとしており、大国主一族はこの地でスサノオを祀る霊継(ひつぎ)祭祀を全国から一族を集めて行うために三輪の間城の北の纏向(間城向)の地に祭祀拠点を置いたのです。

 日本書紀の「日(ひる)は人作り、夜は神作る」は、昼は山人(やまと)族(天皇家:モモソヒメ系)、夜は海人(あま)族(天族=出雲族=大物主・大国主系)によって作られた箸墓は大物主(大年の子孫で襲名)とモモソヒメの夫婦墓なのです。―「スサノオ・大国主ノート143  纏向遺跡は大国主一族の祭祀拠点」221116参照

 そこで八雲山から現在の社殿とほぼ同じ方角で南に伸ばすと神門川(かんどがわ)源流域に琴引山があり、出雲国風土記によれば、「琴引山・・・古老の伝えに云へらく、此の山の峰に窟あり。裏に所造天下大神の御琴あり・・・又、石神あり・・・故、琴引山と云ふ」と書かれ、大国主が琴を弾いて神意を聞いていたとされ、神在月に八百万の神々は「琴引山」を目印に集まり、神戸川を下って日本海へ出て稲佐の浜より上陸したとされています。

 「事代主」を「言代主」とも書くことから考えると、「琴引山=事引山=言引山」であり、琴引山は大国主一族の神名火山(神那霊山)として古くから信仰され、出雲大社はこの琴引山に向けて建てられた可能性が高いと考えます。

 この八雲山―琴引山聖線(レイライン)上で神事に「真名井」などのある近くに古出雲大社はあり、風を受けての倒壊を防ぐために、3方を山に囲まれた現社地に移されたと考えます。―「スサノオ・大国主ノート141 出雲大社の故地を推理する」221027参照

 その後、縄文社会研究会・東京の事務局長の山岸修氏より岡野眞氏(香川大学教授)の論文をいただいたのですが、氏の「8世紀頃の出雲大社の立地環境図」は旧社地の前が「湿地性低地帯」となっており、「大国主が往来して海に遊ぶ具の為に、高橋・浮橋および天鳥船を造り供す」(日本書紀)には、「引橋長一町」(一町=109m)の高橋(桟橋:木デッキ)と浮橋(浮き桟橋)が必要であったことが裏付けられました。

 

3 出雲大社本殿は「高床式建物」の延長か、「縄文巨木建築」の伝統か?

 森浩一同志社大教授が「弥生時代」(私は「弥生時代はなかった」説ですが)の高床式建築の延長上に出雲大社本殿を位置付けず、「縄文建築の伝統を引き継いでいる」としているのはさすがです。

 48mの高さの当時としてはおそらく世界最高であった出雲大社本殿は、エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の「石造文明」とは異なる、縄文時代からの巨木「木造文明」の延長上にあり、さらに卑弥呼の邪馬壹国の「楼観」や吉野ヶ里遺跡や原の辻遺跡の「楼観」へと引き継がれ、奈良時代からの仏教寺院の塔や門、金堂、さらには安土桃山時代からの天主閣に引き継がれたと考えています。

 なお、私の子どもの頃は「竪穴式住居=縄文時代」、「高床式住居=弥生時代=渡来人」と習いましたが、縄文遺跡から高床式建物が見つかっており、どちらも縄文時代からの建築様式になります

 

4 縄文からの巨木建築は「雪の重み対策」か、「神名火山(神那霊山)信仰の高層拝殿」か?

 森浩一氏は縄文建築の伝統が出雲大社に引き継がれているという正しい判断を行う一方、それらの巨木建築の理由を「雪の重み」に耐えうるためとしているのは意できません。

 1993年に茅野市の阿久尻遺跡で蓼科山(女神山)を向いた縄文時代前期前半の19の方形柱穴列(巨木建築)が発掘され、1994年には青森市の三内丸山遺跡の6本柱巨木建築がみつかり、2000年には茅野市の中ッ原遺跡から8本柱巨木建築と仮面の女神像(国宝)が発見される以前であるという時代的制約から仕方ないともいえますが、出雲大社が縄文時代からの神名火山(神那霊山)信仰)や巨木信仰(神籬(霊洩木)を受け継いだ巨木神殿であることを森さんが見抜いていないのはなぜでしょうか?

 伐採から運搬、軸組加工、建設と膨大な人力を擁する巨木建築の建造となると、その部族民に共通の信仰がないと共同作業は不可能です。征服宗教である旧約聖書教(ユダヤ教・キリスト教福音派)やマルクス主義の影響を受けた西洋中心史観は、神名火山(神那霊山)を模した神山であるピラミッドやジグラットなどの巨大神殿を「古代奴隷制」による強制労働で建設されたとしてきましたが、部族社会の共同祭祀施設と見るべきであり、ピラミッド建設が奴隷労働によるものではないことは証明されています。

 戦前の天皇を神とした皇国史観への反省から、戦後の反皇国史観は宗教分析を排除するという傾向が見られますが、そのような中で考古学から日本神話の真偽を判断しようとした『日本神話の考古学』などの著書のある尊敬する森浩一さんが「雪の重み対策の巨木建築」説としたのは実に残念です。

 

5  八百万神信仰は「海神信仰」か、「地神信仰」か、「天神信仰」か?

 『出雲大社 八雲たつ神々の里』では出雲大社の西にある稲佐の浜で、海から竜蛇神があがり、八百万神が神籬(ひもろぎ:霊洩木)に乗り移り、本殿の西と東に並ぶ十九社と呼ばれる社に祀られ、1週間泊まって神事を行うと紹介されています。

 この神事はスサノオ・大国主一族の子孫たちが全国からこの地に集まり、八百万神の祖先霊を海の彼方の海底から迎える儀式であり、出雲族の死者の霊(ひ)は海人族の祖先の海に帰り、また戻ってくるという海神信仰を示しています。

 図11~15のように、出雲の海人(あま)族は、対馬暖流に乗って東北・北海道まで貝輪・ヒスイ・黒曜石の交易を広げた縄文海人族の子孫であり、「龍宮(琉球:始祖はアマミキヨ)→奄美→天草→甘木(天城)→天久保→天ヶ原(壱岐)→出雲」と移動し、さらに、近年、DNA分析でも出雲人が縄文系であることが証明されています。―「縄文ノート161 『海人族旧石器・縄文遺跡群』の世界遺産登録メモ」(230226)参照

 この出雲の稲佐の浜での「神迎え祭」や神々を見送る「神等去出(からさで)祭」は、長崎市や各地の海辺の市町村などで死者の霊(ひ)を精霊船に乗せて海に送り、お盆には各家に「精霊迎え」を行い、「精霊流し」で送り返すという神事のルーツの可能性があり、内陸部では川での「灯篭流し」やひな祭りの元である「雛流し」として行われています。

 一方、古事記は天御柱(後の出雲大社本殿の心御柱:神籬(霊洩木))を廻ってイヤナギ(伊邪那岐)・イザナミ(伊邪那美)が結ばれ、イヤナミの死後、イヤナギ(伊邪那岐)はイヤナミの霊(ひ)を出雲国と伯耆国の境の比婆山(霊場山)に葬ったとする天神信仰とともに、伊賦夜坂(揖屋)の黄泉比良坂(よもつひらさか)から地中の「黄泉国(よみにくに)」に訪ねたとする地神信仰も示しています。なお、黄泉=夜海であり、地底は暗い夜の海に繋がっていると考えていたと思われます。―『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)参照

 スサノオ・大国主一族の八百万神信仰が、海蛇を「龍蛇神」として祀り稲佐の浜で海から八百万神(祖先霊)を迎える海神信仰なのか、それとも、天御柱を廻っての結婚やイヤナミの霊(ひ)が神名火山(神那霊山)である比婆山(霊場山)に祀られる天神信仰なのか、あるいはイヤナギの「黄泉の国」訪問神話に見られる地神信仰なのか、どう整理できるかずっと考え悩んできました。

 私は、元々は死者を海に流す海人族の「海神信仰」であったものが、出雲に定着して死者を地中に葬るようになり「地神信仰」が生まれ、中国から道教の魂魄(魂と体)分離の宗教思想が伝わり「天神信仰」が生まれたと考えていましたが、縄文社会研究会で縄文社会研究から縄文人起源論へと進み、アフリカ東部湖水地方のルウェンゾリ山・ケニヤ山・キリマンジャロをルーツとする神山天神信仰をルーツとしてエジプトのピラミッドやメソポタミアのジグラット、インド・東南アジアなどの仏塔が生まれたと結論づけるに至りました。―ヒナフキンの縄文ノート「33 『神籬(ひもろぎ)・神殿・神塔・楼観』考」(200825)、「56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」(210213)、「57  4大文明と神山信仰」(210219)、「61 世界の神山信仰」(210312)参照

 さらにエジプト神話の始祖神ヌン(水の神:両性神)と天の女神ヌト、大地の神アトゥム(地母神)、メソポタミア神話の始祖神ナンム(海の女神)と天空神アン(アヌ)と大地の女神キの神話からみて、「海神信仰」「地神信仰」「天神信仰」はワンセットで東アフリカ湖水地方で生まれ、エジプトやメソポタミア、日本列島へと伝わったと考えています。―ヒナフキンの縄文ノート「90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制」(210822)、「98 女神調査報告2 北方御社宮司社・有賀千鹿頭神社・下浜御社宮司神社」(210924)、「99 女神調査報告3 女神山(蓼科山)と池ノ平御座岩遺跡」(210930)参照

 

6  まとめ

 以上、NHKBSプレミアム『出雲大社 八雲たつ神々の里』を見たことをきっかけに、これまで書いてきたものを「出雲大社本殿は『直階段』か、心御柱(神籬=霊洩木)を中心とした『廻り階段』か?」「古出雲大社本殿は現在地にあったか?」「出雲大社本殿は『高床式建物』の延長か、『縄文巨木建築』の伝統か?」「縄文からの巨木建築は『雪の重み対策』か、『神名火山(神那霊山)信仰の高層拝殿』か?」「八百万神信仰は『海神信仰』か、『地神信仰』か、『天神信仰』か?」の5つの論点で整理しました。

 豊かで平和であったカナン(現在のパレスチナ)の侵略・虐殺・女性奴隷化・略奪を神の命令として正当化するために考え出された一神教の旧約聖書教(ユダヤ教とその影響下のキリスト教右派)が、母系制社会から父系制社会への転換をもたらし、ヨーロッパ・中東では宗教戦争を招き、アジア・アフリカ・アメリカの植民地化と奴隷貿易を思想的に支え、日本やベトナムなどの原爆・空爆ジェノサイドを正当化し、さらに現在、パレスチナを侵略したユダヤ人シオニストがガザ・ゼェノサイドを進めているのをみると、1万数千年前からの縄文人の平和な「全ての死者が神として祀られる八百万神」信仰が新たな輝きを増してくると考えざるをえません。

 私は縄文時代から続く「八百万神信仰の世界遺産登録」と、2世紀には世界最高であったと考えられる48mの「出雲大社本殿の復元」を提案してきましたが、『出雲大社 八雲たつ神々の里』から再度、整理を行いました。出雲を中心に各分野で議論いただければ幸いです。