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ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団100 ヤマトタケルは大国主の子孫

2010-11-06 09:46:08 | 歴史小説
日岡神社の山門(境内社として、高御位神社、天満神社、恵比須神社など出雲系の神社が祀られている) 
神戸観光壁紙写真集より(http://kobe-mari.maxs.jp/)

「私は、古事記に書かれた、『大吉備津日子命と若建吉備津日子命とは、針間の氷河の前(さき)に忌忌瓮(いんべ)を居えて、針間を道の口として、吉備を言向(ことむ)け和(やわ)した』という前半の部分が重要と思います」
ヒナちゃんが新たな論点を持ち出してきた。
「『針間の氷河』というと、加古川のことだったよね。『忌瓮(いんべ)を居える』って、どういうことかしら」
相変わらず、ヒメの感度はいい。
「『忌瓮』の『瓮(おう)』は『瓶(かめ)』と同じ字で、『忌瓮』は『斎瓮(いんべ)』とも書かれ、汚れを祓って清めた器を指します」
「ということは、この印南の地で、イサセリヒコ兄弟は、この瓶を据えて何をしたのかしら?」
「瓶を埋めて、吉備の国の境界をこの加古川に定めた、という説だったと思います」
高木としては、基礎的な情報は提供しておきたかった。
「歴史学者の空想力ってとぼけていて面白いよね。播磨国のこの地を吉備国が支配していた、という記録や伝承はないし、『埋める』に『居』の字を当てるかしら」
情報提供のつもりが、ヒメから反撃を受けてしまった。
「瓶に入れた水を吉備への道に撒いて清め、戦勝を祈った、という解釈もあります」
ヒナちゃんの手前、高木は簡単には引き下がりたくはなかった。
「それだと、吉備に入ってからやらなければ意味がないじゃない?」
確かにそうだ。
「斎瓮を据えるといったら、やっぱり酒じゃない。イサセリヒコ兄弟と印南の大石王とが酒を神に捧げて、吉備国を攻める相談をしたのではないかな」
カントクはいつも酒から発想する。
「『言向(ことむ)け和(やわ)した』というのはどういうことなの?」
質問ヒメが割り込んできた。
「天皇の言葉に従うよう申し向けて、従わない場合にはやっつける、ということだと思います」
高木は記紀の常識を説明した。
「軍国主義が染みついた皆さんはそう解釈されますが、『言向け和す』や『言向け和平す』を文字通りに解釈すれば、単に、和平を申し入れた、ということではないでしょうか?」
ヒナちゃんの落としどころが、やっと高木にも見えてきた。
「それは面白い。神武東征やヤマトタケルの東征物語が頭の中に染みついている我々は、天皇家が武力で国土を統一した、と思いこんでいるからなあ」
カントク世代だけでなく、高木もそれは疑ってもみなかった。
「僕は、ヒナちゃんの説を支持するね。神武東征やヤマトタケルの東征物語をよく読むと、征服軍による侵略戦争の場面なんてどこにも出てこないからね」
長老の意見は重い。
「では、ヒナちゃんは斎瓮を据えるというのを、どう解釈するの」
ヒメの質問は続く。
「景行天皇が印南を訪れたのは、印南別嬢への妻問いでした。同じように、この地の大石王が仲人になって、吉備津王と娘をイサセリヒコにここで引き合わせ、イサセリヒコが瓶を据え、神の前で契りの酒を交わしたのではないでしょうか」
ヒナちゃんはよく考え抜いている。
「しかし、吉備津彦が鬼の温羅(うら)を討った有名な桃太郎の鬼退治の伝承が残っていることからみると、イサセリヒコは吉備国を軍事征服したのではないのでしょうか」
高木は食い下がった。
「それはどうかな。吉備国の王族に内紛があって、吉備王・温羅に対立する吉備の津=港を支配する吉備津一族がイサセリヒコを婿に迎え入れ、その力を借りて温羅王を討った、とも考えられるんじゃないかな。温羅の首を吉備津神社の一角に埋めたということは、単なる敵ではなく、温羅が同族の王であったから手厚く葬ったような気がするなあ」
慎重な長老から珍しく反撃を受けた。しかし、簡単にヒナちゃんに降伏するのはしゃくだった。
「播磨国風土記には、景行天皇が息長命を媒(なかひと)として印南別嬢に妻問いした時には、剣の上に玉、下に鏡を掛けた、と書かれています。妻問いで『忌瓮(いんべ)を居える』というやり方があったのでしょうか」
「景行天皇の場合は、印南別嬢を正妃として迎えるわけですから、天皇家の三種の神器である剣と玉と鏡を飾って、結婚を申し込むのは当然と思います。一方、神と共に酒を酌み交わすのは、出雲系の儀式です。崇神天皇に捧げられた『此の神酒(みき)は 我が神酒ならず 倭成す 大物主の 醸(か)みし神酒・・・』の歌や、神功皇后が誉田別皇子を迎えた酒宴での歌『此の御酒(みき)は 吾が御酒ならず・・・常世に坐す・・・少御神の・・・奉り来し御酒・・・』のように、大国主や少彦名が作った酒と考えられています。『忌瓮』の酒を共に飲む儀式は、出雲系の針間と吉備津の王に合わせた儀礼だったのではないでしょうか」
ヒナちゃんの推理は用意周到であった。
「『忌瓮』について、境界決定説、戦勝祈願説、妻問い説の3つがでたというところで、これまでにしておきましょう。イサセリヒコ、後の吉備津彦の娘が印南別嬢というのは、時代が合わない、ということだったよね。それはどうなの?」
マルちゃんが整理に入ってきた。
「吉備津王となったイサセリヒコの娘が、印南の大石王のもとに嫁ぎ、そこで生まれた子どもかその孫が印南別嬢ではないでしょうか。伝承では、その間が欠落した可能性があります」
最後まで考えているヒナちゃんの答えにはよどみがなかった。
「印南別嬢が、大国主・少彦名の国造りの拠点であった針間の印南を拠点とする大石王と、吉備津王の一族の間に生まれた王女だとすると、その子のヤマトタケルは大国主の子孫ということになるね」
ヒメの頭の中では、次の推理小説の物語が大きく展開しているはずであった。
「酒瓶説の推理はさすがと思うけど、もう少し裏付けが欲しいな」
カントクのないものねだりであった。
「実は、少し気になることがあります。前に言いましたが、日岡山の神は播磨国風土記では『伊波都比古命』でしたが、延喜式神名帳では『イササヒコ』に変わっています。そして、神社伝承では、印南別嬢のお産の時に『イササヒコ』が祈り続けて無事にヤマトタケル兄弟が生まれた、という伝承が残っていましたよね。このイササヒコの名前は、イサセリヒコと似ていません? 例えば、吉備津のイサセリヒコの娘が『伊波都比古命』のところに嫁いでいたとしたら、その父の名前の一部分をとった名前を付ける可能性があるのではないでしょうか。そして、その娘が印南別嬢だったとしたら、なんて、推測に推測を重ねることになりますが」

資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
      霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
      霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
 帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)


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