はてなブログに「縄文ノート187 『まさひろドーイ』からの焼畑・縄文語・阿多天皇家考」をアップしましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/
今回は琉球泡盛の「まさひろ」を飲みながら、社員一同の瓶踊りの『まさひろドーイ』から焼畑農耕と縄文語のルーツについて考えてみました。
『まさひろドーイ』の歌詞の「海人(うみんちゅ)ん 畑人(はるんちゅ)ん 踊(うどう)てぃ飲(ぬ)でぃ遊(あし)ば」でびっくりしたのは、「畑」を「はる」と読むことであり、壱岐の原の辻遺跡(はるのつじいせき)や福岡県糸島市の平原遺跡(ひらばるいせき)など、九州で「原」を「はる、ばる」と読む地名が多いことからみると、「はる(原)」=「はる(畑:火+田)」=焼畑であり、沖縄と九州がかつては焼畑の同一文化圏であった可能性を示しています。―縄文ノート「28 ドラヴィダ系海人・山人族による稲作起源論」「42 日本語起源論抜粋」「93 『かたつむり名』琉球起源説―柳田國男の『方言周圏論』批判」参照
また、「踊(うどう)」「飲(ぬ)」「遊(あし)」と「踊(おどう)」「飲(の)」「遊(あそ)」は、元の倭音の「あいういぇうぉ」5母音が琉球弁で「あいういう」5母音に、本土弁では「あいうえお」5母音になったことを示しています。―はてなブログ・ヒナフキンの縄文ノート「97 『3母音』か『5母音』か?―古日本語考」「153 倭語(縄文語)論の整理と課題」、gooブログ・スサノオ・大国主ノート「倭語論17 『いあ、いぇ、いぉ』『うあ、うぇ、うぉ』『おあ』倭語母音論」参照
薩摩半島南西端の南さつま市の栫ノ原遺跡(「かこいのはら」は元は「かこいのはる」であった可能性)は、古代には笠沙天皇家(阿多天皇家)3代の本拠地であった「阿多」に属します。
記紀によれば、2代目の火照命(ホデリ=漁師=海幸彦=隼人)の弟の火遠理(ほをり=猟師=山幸彦=山人(やまと))は龍宮(琉球)に行って豊玉毘売(とよたまひめ)を妻とし、さらにその子の鵜葺草葺不合(うがやふきあえず)は豊玉毘売の妹の玉依毘売(たまよりひめ)に育てられて妻としています。
その子の若御毛沼(わかみけぬ:後の神武天皇)の母と祖母は海人族・畑人族の琉球人(うちなんちゅう)、父は山人(やまと:やまとんちゅう)であり、栫ノ原遺跡をみても縄文・弥生文化は連続しているのです。
スサノオ・大国主一族とこの天皇家の歴史をみても「弥生人(中国人・朝鮮人)征服史観」は成立せず、「縄文人自立・内発的発展史観」の探究を若い世代のみなさんに期待したいと思います。
本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、対馬・壱岐をルーツとするスサノオ・大国主一族の建国が、琉球から北海道まで貝輪やヒスイ、黒曜石などの交易を行っていた縄文海人族の海洋交易民の歴史の受け継いでいることをさらに追究したいと考えます。 雛元昌弘
□参考□
<本>
・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)
2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)
2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)
2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)
2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)
2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)
2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)
2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)
2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)
2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)
<ブログ>
ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
帆人の古代史メモ http://blog.livedoor.jp/hohito/
ヒナフキンの邪馬台国ノート http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/
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