ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

「縄文ノート191加筆 4.鳥居や棟木の「カラス止まり」の烏(からす)」の紹介

2024-04-30 10:47:05 | 日本文明

 はてなブログの「縄文ノート191 カラス信仰のルーツはメソポタミアかアフリカか?」に「4.鳥居や棟木の『カラス止まり』の烏(からす)」を追加しましたので紹介します。https://hinafkin.hatenablog.com/

 私はアフリカからの縄文人の全歴史を解明しようと、DNA分析だけでなく、言語やヒョウタン、糖質・DHA食、宗教などの文化を持ってアフリカからこの日本列島にやってきたという仮説検証に取りつかれています。アフリカ・アジア中心の世界史再構築と、縄文社会・文化・文明の解明はこの気候変動と戦争の世紀に終止符を打つのに役立つと考えるからです。

 男子正装の烏帽子(えぼし:カラス帽子)を宮崎駿監督は「もののけ姫」においてたたら製鉄の女性リーダーの名前としましたが、カラス信仰のルーツが南インドのドラヴィダ族からメソポタミア、さらにはアフリカにまで遡れないか、検討を進めました。

 今回、追加したのは鳥居の鳥は何なのか、です。

 ヒントは茅葺屋根の棟木の笠木の上に「カラス止まり」が置かれており、雲南・ミャンマー・タイの山岳地域のチベット系のアカ族(イ族(夷族・倭族)、烏蛮族、ロロ族とも呼ばれる)の「カラス止まり」と同じであることから、鳥居に止まる鳥はカラスであることが明らかになりました。

 吉野ヶ里遺跡では入口の鳥居と大型建物(主祭殿?)の棟木の上に鳥を「水鳥」で「穀霊信仰のシンボル」として説明しているようですが、根拠のない空想という以外にありません。

 そもそも水鳥は「穀物」とは関係ありませんし、警戒心の強い水鳥が鳥居や棟木の上に止まるなどありえませんし、稲作の季節には北に帰っていないでしょう。また、茅葺屋根の棟木の千木組の上に今も「カラス止まり」が置かれている伝統や、烏帽子を正装とする文化を無視しています。

 日本人にとって、カラスは死者の霊(ひ)を天に運ぶ「霊(ひ)の鳥」「神使の聖鳥」だったのです。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、スサノオ・大国主一族の神使である「三足烏(さんそくう)」と天皇家が担ぐ「八咫烏(やたがらす)」の歴史とともに、出雲にもある古い茅葺屋根の棟木の上の「カラス止まり」からカラス信仰のルーツを考えてみませんか?

 以下、引用しておきたいと思います。 雛元昌弘

 

4.鳥居や棟木の「カラス止まり」の烏(からす)

 吉野ヶ里遺跡に行き、入口の鳥居と大型建物(主祭殿?)の棟木の上に鳥が乗っている写真を撮り、死者の霊(ひ)を鳥が天に運ぶ霊(ひ)信仰として紹介してきましたが、なんと、吉野ヶ里遺跡では鳥の木製品は出土していないというのです。

 ブログ「吉野ヶ里遺跡の木製鳥形 - クロムの備忘録的ダイアリー (goo.ne.jp)」によると、「他の遺跡からは鳥形は出土しており鳥にはシンボル的意味合いがある」「中国や東南アジアでは入り口に鳥形が飾られる集落がある」「弥生時代には穀物の霊に対する穀霊信仰があり、穀霊を運ぶ鳥を崇拝する観念が生まれた」「鳥への信仰は穀霊信仰の強い東南アジアに残っている」「鳥には結界を示すような意味合いがある」「ここでいう鳥は水鳥である」という説明を受けたそうですが、かなり偏った推測というほかありません。

 確かに、大阪府和泉市の2300~1800年前の池上曽根遺跡からは鳥型木製品が出土しており、奈良県北葛城郡河合町の4~6世紀の馬見古墳群の佐味田宝塚古墳(30面の銅鏡出土)の家屋文鏡の建物上には鳥が描かれています。なお、この馬見古墳群は「『卑弥呼王都=アマテル高天原』は甘木(天城)高台」(200206→0416)で触れましたが、スサノオの娘(産女)の宇迦之御魂(うかのみたま:おいなりさん)と大国主の息子(産子)の阿遅志貴高日子根(あぢすきたかひこね:迦毛之大御神)の一族の拠点と私は考えています。 

 鳥越健三郎大阪教育大名誉教授の『雲南からの道』は、アカ族は村の門の上に木彫りの鳥を置いており、日本の鳥居のルーツとしています。

 ウィキペディアによれば、雲南省のハニ族はミャンマー、ラオス、ミャンマー、ベトナムではアカ族と呼ばれ、焼畑を中心とした農耕生活を営み、ラオスに住むアカ族の村の入り口には木で作った門を置き、鳥居の風習は四川省涼山に棲むイ族(夷族・倭族:チベット系の烏蛮族、ロロ族)とも共通しているとされています。

 この鳥の種類ですが、アカ族の鳥居の鳥と、池上曽根遺跡の鳥型木製品の鳥の1つは下向きにエサを啄んでいる姿であり、集落の周りにいる身近な鳥であり、イ族(夷族・倭族)が古くは「烏蛮族」と言われていたことをみても、カラスと見られます。年にある期間だけやってくる渡り鳥では、何の役割も期待できません。

 吉野ヶ里遺跡では「弥生時代には穀物の霊に対する穀霊信仰があり、穀霊を運ぶ鳥を崇拝する観念が生まれた」「鳥への信仰は穀霊信仰の強い東南アジアに残っている」「ここでいう鳥は水鳥である」と空想していますが、鳥越氏は「鳥は神の乗り物である」としています。記紀に書かれた始祖神の「産霊(むすひ)夫婦」の霊(ひ:祖先霊)信仰の歴史からみても、穀霊信仰説はいただけません。

 さらに、鳥越氏は日本の民家でも棟木の千木組の上に1本の竹を通し「カラス止まり」と呼ぶとして写真を載せ、烏は神使なので止まり木を置くことで神が屋根の上に降りていることを示したのであろうとし、ラフ族の「カラス止まり」がルーツとしています。

 茅葺き・藁葺きの民家については前から興味を持っていましたが、「カラス止まり」については意識したことがなく、ざっとネットで検索してみると、次の写真に一部を示しますが今も伝統として各地に残っていました。

 私の両親の祖父母の家では、大黒柱(大国柱=心御柱=心柱と考えます)にそって神棚が祀られており、人(ほと=霊人)は死ぬと「神」になるという八百万神信仰により、「神棚→大黒柱→棟木→カラス止まり」からカラスによって死者の霊(ひ=玉し霊=魂)は天に運ばれ、また天から帰ってくると考えられていたのです。天皇家による仏教の国教化により、死者は「仏」になり仏壇に祀られるようになっても、神棚は維持されており初孫であった私は田舎に行くと毎朝、ご飯を神棚と仏壇に供えさせられましたが、どちらにご先祖の霊がいるのか、祖母に問いただした経験があります。

 そもそも、季節性の「水鳥」に使者の霊(ひ)を託すわけにはいかず、人を警戒する「水鳥」が鴨居や屋根の上の「カラス止まり」に止まるなど絶対にありえません。吉野ヶ里遺跡の「水鳥説」は理解不能です。鴨鍋や鴨南蛮が大好きな学芸員ばかりなのでしょうか?

 縄文ノート「38 『霊(ひ)』とタミル語peeとタイのピー信仰』「128 チベットの『ピャー』信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」「149 『委奴国』をどう読むか?」において、私は南インドから南・東南アジア山岳地帯、台湾の卑南族、匈奴(ヒュンナ)などは、祖先霊を「ピー、ピュー、ピャー、ぴー・ひー・ひ」とし、神山から天に昇り、降りてくると信じていたのです。

 そして、祖先霊を運ぶ神使として、カラス(熊野大社・厳島神社・住吉大社)・鶏(石上神宮・穂高神社・伊勢神宮)・白鷺(大山祇神社)や、神山(神名火山:神那霊山)からの神使として狐(稲荷大社)・猿(日枝大社・武尊神社)・鹿(厳島神社・春日大社)・兎(住吉大社)・狼(三峰神社)などを祀ってきたのです。

 吉野ヶ里遺跡の「水鳥説」は、日本とアジアの霊(ひ:祖先霊)信仰の伝統を無視したトンデモ説というほかありません。

 ユダヤ・キリスト教の影響を受けカラスを聖鳥・霊鳥から悪役(ビラン)に陥れてハトを聖鳥と崇める拝外主義の風潮が見られますが、「霊(ひ)から生まれ、霊(ひ)を信仰するひと(人=霊人)」である日本人が、「霊(ひ)の鳥=カラス」を忘れていたのでは洒落にもなりません。なお、古代人はDNAが親から子へと受け継がれるのを「霊(ひ)」が受け継がれると考え、霊継(ひつぎ)を重要視し、霊継(ひつぎ)が断たれた霊(ひ)は怨霊(おんりょう)となって迫害者に祟ると考えたのです。

 

5.鳥耳、鳥鳴海、日名鳥、鳥船、烏越の名前は?

 古事記神話の大国主一族では、筑紫妻の「鳥耳」一族の「鳥鳴海」、「日名鳥(夷鳥・比良鳥・日照)」「鳥船(筆者説は日名鳥の別名)」、「布忍富鳥鳴海」が登場し、魏書東夷伝倭人条には倭の使者の「載斯烏越」(載斯は祭司か?)が見られます。

 吉野ヶ里遺跡や原の辻遺跡などの鳥居のルーツやうきは市吉井町の6世紀後半の珍敷塚(めずらしづか)古墳の装飾壁画の船の舳先の鳥の種類と合わせて、検討する必要があると考えます。

 Y染色体D型の縄文人からの伝統と考えられる赤米を炊いてカラスに与える「ポンガ」の神事と、スサノオ・大国主一族の神使の「三足烏」と合わせて、時間軸とアフリカからの伝播ルートの空間軸の2次元の解明が求められます。

 「悪役カラス」「害鳥カラス」から「霊(ひ)の鳥カラス」「神使の聖鳥カラス」「ナビゲーターカラス」への復権が求められます。


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