ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

156 始祖神は「天照(あまてる)」か「産霊(むすひ)」夫婦神か?

2024-06-09 18:27:00 | スサノオ・大国主建国論

 アイヌの人たちは自分たちを「カムイ(自然神)」に対して「アイヌ=人間」と呼んでいます。これに対して、倭人は自分たちを霊(ひ)を受け継ぐ「霊人(ひと)」と呼びました。

 古事記序文は「二霊群品の祖」と書き、人々(群品)の始祖神を「産霊(むすひ)夫婦神」とし、出雲大社本殿の正面には「御客座五神」として天之御中主(あめのみなかぬし)と産霊夫婦神は祀られているのです。

 「客座」に祀られていることからみてこの5神は出雲土着の神ではなく、日本書紀一書(第三)がこの3神を「高天原に生まれた神」としていることからみて、そのルーツは壱岐・対馬の「海原(あまのはら)」の海人族と考えます。

 私たちの祖先は、子どもが親や祖父母に似るというDNAの働きを「霊(ひ)」が受け継がれると考え、死者の記憶がいつまでも残り夢にも現れることから、死者の肉体は土に帰ってもその霊(ひ:魂=玉し霊)は残り、自分たちを天から見守ってくれると想像したのです。

 この国の人々の始祖神を「産霊夫婦神」とする神話は、その子どもたちを「産子(むすこ:息子)、産女(むすめ:娘)」「霊子(ひこ:彦、毘古)、霊女(ひめ:姫、媛、比売、毘売)、霊御子(ひみこ:霊巫女、霊皇女)」と呼ぶことから裏付けられます。

 天皇家建国説の皇国史観は、この国の人々の始祖神を「天照大御神」とし、「天照(アマテル)」を「アマテラス」と読ませ、「世界を照らす太陽神」としてアジア侵略の思想的支柱としてきましたが、古事記は人々を産む始祖神を産霊夫婦神とし、日本書紀一書(第三)もまた高天原の始祖神を古事記と同じ3神にしているのです。

 なお、古事記で太安万侶は本文では夫婦2神を「神産日(かみむすひ)・高御産日(たかみむすひ)」と書き、「日神(ひのかみ)」を始祖神として「天照大御神」につなぎ、天皇家を太陽神の一族のように書いていますが、序文では「三神造化の首(三神:天之御中主と産霊夫婦)」「二霊群品の祖」と書き、スサノオ・大国主一族の「霊神(ひのかみ)」一族の歴史をしっかりと書き伝えているのです。

 また別の場所では、太安万侶は醜い石長比売をニニギが選ばなかった呪いにより天皇等の「命不長」と書きながら、阿多天皇家3代目のウガヤフキアエズは「五百八十歳」生きたとし、1~16代の天皇の年齢を倍にしているのですが、このようなミエミエの矛盾した記述は、巧妙に「スサノオ・大国主16代」の真実の歴史を伝え残す高度なテクニックなのです。

 歴史家たちはこのような古事記の矛盾した記述からこれらの神話は信用できないとしましたが、私は史聖・太安万侶は日本で最初の推理小説家・ミステリーライターであり、謎を解く手掛かりはきちんと書き記しており、彼らに任せるのではなく、ミステリー好きの皆さんに太安万侶の暗号の解明に取り組んでいただきたいと考えています。

 推理力などなく、ただただ天皇を太陽神にしたくてたまらない新皇国史観の歴史家などは、その根拠として次の2説を主張しています。

第1は、天皇家の皇位継承の「三種の神器」の鏡を、太陽のシンボルとする主張です。鏡を頭の上に掲げて人々を反射光で照らすイラストが描かれ、今も多くの神社では鏡を正面に祀ってこの説を広めています。

 すでに「154 『アマテラス』から『アマテル』へ」で述べたように、アマテルは「わが御魂」として祀るように命じて鏡を天下りを行うニニギに渡したのであり、鏡はアマテルの「霊(ひ)が宿る神器」なのです。「御魂」が宿る女王愛用の鏡はその死後、壊されて葬られたのです。

 そもそも、肝心の銅鏡、さらには銅鐸、土器などに太陽など描かれておらず、天皇家も太陽を祀る儀式など行っていないのであり、太陽信仰は皇国史観の空想という以外にありません。

 また、アマテルの御霊が宿る鏡を、御間城入彦(ミマキイリヒコ:10代崇神天皇)が皇居に移したところ、民の半数以上がなくなるという恐ろしい祟りを受けたため崇神天皇は鏡を宮中から出し、祀るべき子孫を探して29か所も点々とした後に伊勢神宮に収めたのであり、天皇家はアマテルの子孫ではないことを示しています。

 第2は、アマテルが天岩屋戸に隠れた後、「高天原(たかまがはら)皆暗、葦原中国(あしはらのなかつくに)悉闇」となり、アマテルが岩屋戸から出ると「高天原及葦原中国、自得証明」と書かれていることから、アマテルを太陽神とする主張です。

 この場面を「皆既日食」とし、アマテル=卑弥呼説を唱える人も見られますが、ファンタジーを理解しない困った「タダモノ(唯物)史観」という以外にありません。

 1970年代、鶴田浩二の『傷だらけの人生』が団塊世代に受けましたが、「生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃあござんせんか」のセリフから「何から何まで真っ暗闇よ」の歌が始まります。だからといって、1970年に皆既日食があった、喜界カルデラ噴火や姶良カルデラ噴火のような破局的噴火があったなどと誰が考えるでしょうか? 

 古事記によれば、アマテル3(襲名した3番目のアマテル)が亡くなり、同族たちは集まって金山の鉄をとって鉄鏡を作り、八尺の勾玉と五百玉の首飾りを作るなどし、アメノウズメは石棺の岩屋戸(上蓋)の上で裸体を見せて踊る復活儀式を行い、次の女王アマテル4への霊継(ひつぎ)儀式を行ったのであり、魏書東夷伝倭人条に書かれたように「喪十余日」で、参加した他人は「歌舞飲食」を行っていたのです。

 私は太安万侶は日本最初のファンタジー作家であり、アマテル1(スサノオの異母妹)、アマテル2(大国主の筑紫妻・鳥耳)、アマテル3(大霊留女=霊御子=卑弥呼)、アマテル4(壹与)を合体したアマテルを創作して天皇家の始祖とする高天原ファンタジーを書きながら、歴史家としては真実のスサノオ・大国主16代(出雲7代、筑紫鳥耳・大国主10代)の歴史をしっかりと書き伝えているのです。―Gooブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート(旧:神話探偵団)139  史聖・太安万侶の古事記からの建国史」(220729)参照 

 推理力も想像力も乏しい文献史家や、真っ暗闇を「物理現象」としかとらえない考古学者などに頼ることなく、ドキュメンタリー・ミステリー・ファンタジーとして古事記を分析する若い「産子・産女」「霊人・霊子・霊女」たちの世代に期待したいと思います。

 なお、葬儀に携わる神人、神使の猿や犬を飼う猿飼・犬神人、死者を蘇らせて演じる能楽師・人形浄瑠璃師・歌舞伎役者たちは死者の霊(ひ)を祀る「霊人(ひにん)」として尊敬・畏怖されていましたが、「人(霊人)殺し」を職業としていて皇族・貴族たちから差別されていた武士階級の身代わりとして、皇族・貴族・百姓・町人から「非人(ひにん)」として差別される身分に落とされたと考えています。

 

□参考

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

 ・『奥の奥読み奥の細道』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2017冬「スサノオ・大国主建国論1 記紀に書かれた建国者」(『季刊山陰』38号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論2 「八百万の神々」の時代」(『季刊山陰』39号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)

 2018夏「スサノオ・大国主建国論3 航海王・スサノオ」(『季刊山陰』40号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(『季刊 日本主義』43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 帆人の古代史メモ(~115まで)      http://blog.livedoor.jp/hohito/

 帆人の古代史メモ2(116~)      https://hohito2024.blog.jp/

 ヒナフキンの邪馬台国ノート       http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論                 http://hinakoku.blog100.fc2.com/


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