passing (通りすがり)

2019年5月大腸癌発覚、st3c(T4aN2bM0) 2020年5月多発性肺転移 2021年9月骨盤内転移

また移動日

2022-09-21 | 家族
移動する度にいたたまれない気持ちになってくる。
子供の言ったことは、たぶんアイデンティティーの問題?
自分は何者?
そういった思春期の学生が思うワタシは誰って思ってるのだろうか。

私なんて子供の頃からずっと転校生で夫と結婚してからも引っ越し人生でした。こんなになっても、麻薬飲みながら車で移動っておかしい。お尻はコントロールできてはいるけど常に痛い😖💥

もしかしたら来年は生きてないかもしれないのに何で移動?
仕事も今回は頑張った。
昨日税理士さんが来られ二ヶ月分の経理資料を渡しました。
銀行も回り支払いし、個人の支払いも済ませた。東京の庭の管理はかなりの金額だった。
前はこの家に帰りたくて治療を頑張ろうと思っていました。最初に「あと3年は生かして下さい。」何て言ったのが昨日の事のようです。  

今はたぶんもう元気にはならないから、東京のことは考えてない。生まれたところで死んでいく。それで良いかも。


看護師さんたちが辞められた先生に時々でいいから来てくださいと、頼んだようです。見かけボロボロの私はみんな会いたくないのでクリニックの方には顔を出していません。

今日移動して、あすは朝一で放射線科、消化器内科の診察。
足は重い。良い結果を聞きに行くんじゃなくて、悪くなってないか聞きに行くからね。

闘病4年目。
希望になってた子供に会う事が、
子供からしたらとんでもない事だったのがわかり。
こちらからはあってくれと言うのは止めた。

嫌で仕方なく会っていたようだから、連絡が来ることはまずない。
これを今受け入れられなくて葛藤している。
 
死ぬことへの恐怖と同等で、それよりもこわいかもしれない。
私の中の子供は子供でなくなった。嫌々ながら私にあうことはない。心から会いたくなったときに来てくれれば。生きてるうちはないかもしれない。
だから、さようなら。  

さて、治療。
重粒子の施設は受け入れてくれるのだろうか。隣県にある私設からは、とりあえず資料をと言われたようです。他に転移があれば治療不可が基本ですから。

苦しむことなく、産まれたように死にたい。

心療内科に、かかりたい。
昼からお隣の県に行ってきます。