リムスキー=コルサコフの作品は、体制側からしばしば(というか結構)にらまれて一悶着を起こすことがありますが、《ロシアの復活祭》もご多分に漏れなかったようです。
作曲家の妻であるナデジダがヤストレプツェフ(リムスキー=コルサコフの伝記作家)に語ったところによると、ロシア皇帝アレキサンドル3世はリムスキー=コルサコフの作品を好んでおらず、《ロシアの復活祭》が皇帝のために演奏された後に「二度と私の前でこの曲を演奏するな」と言ったというのです(『リムスキー=コルサコフの思い出』1895年4月14日の記事)。
もともとアレキサンドル3世は、リムスキー=コルサコフのみならず、新ロシア楽派の作品に全く関心がなかったらしいのですが、その一方で彼は自らトロンボーンを吹く演奏家でもあったようで、皇太子時代にはリムスキー=コルサコフに命じて、トロンボーンとオーケストラの演奏会をさせていたとも言われています(ロシア語版ウィキペディア)。
まさか演奏禁止の理由は、トロンボーン演奏家として《ロシアの復活祭》のソロ部分が気に入らなかった、なんてことはないでしょうね(?)
作曲家の妻であるナデジダがヤストレプツェフ(リムスキー=コルサコフの伝記作家)に語ったところによると、ロシア皇帝アレキサンドル3世はリムスキー=コルサコフの作品を好んでおらず、《ロシアの復活祭》が皇帝のために演奏された後に「二度と私の前でこの曲を演奏するな」と言ったというのです(『リムスキー=コルサコフの思い出』1895年4月14日の記事)。
もともとアレキサンドル3世は、リムスキー=コルサコフのみならず、新ロシア楽派の作品に全く関心がなかったらしいのですが、その一方で彼は自らトロンボーンを吹く演奏家でもあったようで、皇太子時代にはリムスキー=コルサコフに命じて、トロンボーンとオーケストラの演奏会をさせていたとも言われています(ロシア語版ウィキペディア)。
まさか演奏禁止の理由は、トロンボーン演奏家として《ロシアの復活祭》のソロ部分が気に入らなかった、なんてことはないでしょうね(?)
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