《ロシアの復活祭》で用いられている聖歌の元ネタ探しで、どうにも手がかりが得られなくて手詰まり感のあった<聖歌2>「天使は嘆く」(「嘆く」は誤訳と思われますが、面倒なのでそのままにしておきます)ですが、ひょんなことから、リムスキー=コルサコフの歌劇で用いられていたことに気付きました。
それは彼の晩年の大作《見えざる町キーテジ》。第3幕第1場で、タタール軍に攻められ、大キーテジの町(城壁都市)に立てこもる人々が、凄惨な状況の中で聖母に救いを求めて合唱する場面です。
この聖歌は、はじめは男声のみの3オクターブのユニゾンで歌われますが(練習番号161の4小節目。下の譜例)、少年兵やユーリ公の台詞を挟んで、2度目(練習番号167)は女声の対旋律が加わり、3度目(練習番号)はカノン風へと形を変えるなど、表現力を増しつつ繰り返し歌われます。
《キーテジ》のこの聖歌は《ロシアの復活祭》で用いられたメロディーと比較すると、出だしの音が四分音符で刻まれていたり、音の長さが一部異なっていたりしているものの、経時的な音の上昇下降はまさに同一です。
むしろ《キーテジ》のほうが慎ましく厳かで、聖母に祈りを捧げるためのもの、まさに聖歌という雰囲気を保っており、これは想像の域を出ませんが、リムスキー=コルサコフが引用した元の聖歌もひょっとしたら上の譜例のようなものか、あるいはそのものだったかもしれません。
私は、彼の作品の中で《ロシアの復活祭》以外に「天使は嘆く」が登場しているなどとは思いもよらなかったので、この発見(?)には少々びっくりしました。
これまで「天使は嘆く」の元ネタを相当しつこく探してきましたが、なかなか突き止めることができないので、「本当にこれは聖歌なのか」という疑いも実は起きつつあつたのですが、この《キーテジ》での用例を知ったことでそれも払拭できそうです。
さて、リムスキー=コルサコフが《キーテジ》を作曲する際に、故郷チフヴィンの修道院(彼の生家からは当時この修道院がよく見えた)を思い起こしたという話があります。
私がこの生家博物館の学芸員から聞いた(と、うっすら記憶している)「リムスキー=コルサコフは、《ロシアの復活祭》での聖歌をチフヴィン修道院で歌われていたものから採った」という話と合わせると、子供の頃に聞いた「天使は嘆く」のメロディーは、生涯にわたって故郷の記憶として彼の心の中にとどまっていたということになるでしょうか。
それは彼の晩年の大作《見えざる町キーテジ》。第3幕第1場で、タタール軍に攻められ、大キーテジの町(城壁都市)に立てこもる人々が、凄惨な状況の中で聖母に救いを求めて合唱する場面です。
この聖歌は、はじめは男声のみの3オクターブのユニゾンで歌われますが(練習番号161の4小節目。下の譜例)、少年兵やユーリ公の台詞を挟んで、2度目(練習番号167)は女声の対旋律が加わり、3度目(練習番号)はカノン風へと形を変えるなど、表現力を増しつつ繰り返し歌われます。
《キーテジ》のこの聖歌は《ロシアの復活祭》で用いられたメロディーと比較すると、出だしの音が四分音符で刻まれていたり、音の長さが一部異なっていたりしているものの、経時的な音の上昇下降はまさに同一です。
むしろ《キーテジ》のほうが慎ましく厳かで、聖母に祈りを捧げるためのもの、まさに聖歌という雰囲気を保っており、これは想像の域を出ませんが、リムスキー=コルサコフが引用した元の聖歌もひょっとしたら上の譜例のようなものか、あるいはそのものだったかもしれません。
私は、彼の作品の中で《ロシアの復活祭》以外に「天使は嘆く」が登場しているなどとは思いもよらなかったので、この発見(?)には少々びっくりしました。
これまで「天使は嘆く」の元ネタを相当しつこく探してきましたが、なかなか突き止めることができないので、「本当にこれは聖歌なのか」という疑いも実は起きつつあつたのですが、この《キーテジ》での用例を知ったことでそれも払拭できそうです。
さて、リムスキー=コルサコフが《キーテジ》を作曲する際に、故郷チフヴィンの修道院(彼の生家からは当時この修道院がよく見えた)を思い起こしたという話があります。
私がこの生家博物館の学芸員から聞いた(と、うっすら記憶している)「リムスキー=コルサコフは、《ロシアの復活祭》での聖歌をチフヴィン修道院で歌われていたものから採った」という話と合わせると、子供の頃に聞いた「天使は嘆く」のメロディーは、生涯にわたって故郷の記憶として彼の心の中にとどまっていたということになるでしょうか。
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