沖縄:読谷村
『チビチリガマ』が破壊された! 何度〝殺されなければならないのか!!
/動画「チリチビガマの歌」
棚原 勝也氏FBより
2017.9.13
きのう大阪にいて
『チビチリガマ』が荒らされたと聞いた
遺族会の方に電話した。
怒りに声が震えていた。...
:
:
『チビチリガマ』は
今から72年前の4月1日
アメリカ軍が沖縄本島に上陸した
2日後、読谷村で
住民らが逃げ込んだ自然壕のこと。
『チビチリガマ』では
120人の住民のうち
85人が犠牲になった。
犠牲になった約6割、50人が
18歳以下の子どもたちだった。
:
:
読谷村史は
愛する娘や息子を手にかける母の姿を、
生存者の証言で伝えている。
:
:
「〝敵にやられるよりか、
お母さんの手で殺して下さい
殺して下さい〟と
膝まづきして願うんだよね。
○○さんは体格も良くて美人でね。
この母親も
〝そうか、
敵にはさせないで自分でやろう〟
と言ってさ、
あくまでも
自分でやると
母親が言うたもんだから、
私たちも止める間もなかった。」
:
:
「馬乗りになって
ドンドンドンドン包丁で突いた。
〝長男だから、自分の手で殺す〟
と言って。」
:
:
チビチリガマを荒らした者の醜さ。
幼い命が
どんなふうに命を奪われたのか
そのことさえ知らないのか、
知っていてやったのか。
:
:
暗い豪の中で
命を奪われた者は
何度〝殺されなければならないのか〟
**************************
チリチビガマの歌
チリチビガマの歌
チビチリガマから世界へ平和の祈り 1945年4月1日、米軍はこの読谷村の西海岸から沖縄本島へ上陸した。それは、住民を巻き込んだ悲惨な沖縄戦・地上戦であった。その日のうちに、米軍はチビチリガマ一帯に迫っていた。
翌2日、チビチリガマへ避難していた住民約140名中、83名が「集団自決」をした。
尊い命を喪った。 あれから38年後、やっと真相が明らかになった。その結果、83名のうち約6割が18歳以下の子供達であった。その他、2名が米兵の手によって犠牲になった。 「集団自決」とは「国家のために命をささげよ」「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」といった皇民化教育、軍国主義による強制された死のことである。
遺族は、チビチリガマから世界へ平和の祈りを、と「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」を彫刻家金城實氏と住民の協力のもとに制作した。しかし、像の完成から7ヶ月後、11月8日、心なき者らにより像は無残にも破壊された。住民は怒り、遺族は嘆いた。
全国の平和を願う人々はそのことを憤り、励ましと多大なカンパを寄せた。あれから7年が経過し平和の像の再建が実現した。チビチリガマの犠牲者への追悼と平和を愛するすべての人々の思いを込め、沖縄終戦50周年にあたり、再び国家の名において戦争への道を歩まさないことを決意し、ここに碑を建立する。
1995年4月2日 チビチリガマ遺族会
【関連記事】
ひどい!【沖縄】集団自決の濠、チビチリガマが荒らされる 遺骨や遺物、折り鶴も