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朝日新聞の慰安婦報道を「捏造」と糾弾していた櫻井よしこの嘘とインチキが裁判で明らかに! 2018.4.2 リテラ

2018-04-02 19:52:35 | 戦時中性奴隷 慰安婦
植村氏が起こした裁判で明らかになったのは…
櫻井よしこのペテンとデタラメがバレたことだけではない…。
極右界隈が…虚偽を捏造し、自分たちに不都合な事実を覆い隠すことをいとも簡単に行い、バレても白々しく平気でいられるグロテスクさが、あらためて白日のもとにさらされたことだ。
植村氏は、あらためて「これからも、闘っていく。決して屈しない。」という決意を示した。
判決を待ちたい。
・・・・・
■「WiLL」(ワック)2014年4月号の「朝日は日本の進路を誤らせる」なるタイトルの記事で…
〈朝日新聞が日本国民と日本国に対して犯した罪のなかで最も許し難いものは、慰安婦問題の捏造〉
〈日本人による「従軍慰安婦」捏造記事〉
〈日本を怨み憎んでいるかのような日本人によるその捏造記事〉
として植村氏を名指しで攻撃した。

■植村記者が反撃に転じ…
攻撃の多くが根拠のないことを、ひとつひとつ実証的に反論し、極右言論人と出版社に対し裁判を起こした。

2018年3月23日に開かれた第11回口頭弁論、被告の櫻井よしこの本人尋問で、その根拠がまったくのデタラメであることが暴かれてしまった。
どうしようもなくなった櫻井よしこが全面的に自らの誤りを認めた。
櫻井よしこ氏の嘘とインチキが法廷で明らかになったのだ。

■トンデモな安倍応援団メディアや極右御用評論家たちの“捏造“フェイク”が満天下に知らしめられた。   (吉原 庸郎
                                                                                            
 
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朝日新聞の慰安婦報道を「捏造」と糾弾していた櫻井よしこの「捏造」が裁判で明らかに!

リテラ http://lite-ra.com/2018/04/post-3921.html
2018.04.02
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左・『真実 私は「捏造記者」ではない』(岩波書店)/右・「WiLL」2014年4月号(ワック)
 
本サイトで連日お伝えしているように、朝日新聞のスクープによる公文書改ざん問題の直撃を受けて、安倍応援団メディアや極右御用評論家のトンデモぶりが次々明らかになっている。周知の通り、連中は事あるごとに「森友問題は朝日のフェイク」「捏造報道の朝日は廃刊せよ」などとがなりたててきたわけだが、改ざんが事実であることが発覚して“捏造”“フェイク”が自分たちであることを満天下に知らしめてしまったのだ。

 しかし、実はこうした構図は森友文書改ざんだけではない。まさに安倍応援団と極右論壇が「捏造」「国賊」と叫んで一斉に攻撃していた朝日新聞の慰安婦報道をめぐる裁判で重鎮・櫻井よしこ氏の嘘とインチキが明らかになった。

 この裁判というのは、元朝日新聞記者・植村隆氏が起こした裁判。周知のように、植村記者は、2014年、朝日新聞が「吉田証言」に関する従軍慰安婦関連の記事を取り消した問題で、右派メディアやネット右翼たちからスケープゴートにされた記者だ。植村氏は朝日が虚偽だと認めた「吉田証言」とは無関係だが、過去に従軍慰安婦の記事を2度執筆しており、その内容が「事実上の人身売買であるのに強制連行されたと書いた」などとして、右派から「植村は捏造記者だ!」と総攻撃を受けた。そして、非常勤講師を務めている北星学園には脅迫が殺到、さらに本人だけでなく娘にも殺害予告が届くなど、“リンチ”とも呼べる状況が続いたのである。

 しかし、その後、植村記者は反撃に転じた。自分の身に降りかかった攻撃の多くが根拠のないことをひとつひとつ実証的に反論し、「捏造記者」などと攻撃した極右言論人と出版社に対し、裁判を起こしたのだ。

 今回の裁判はそのひとつで、櫻井よしこ氏と、櫻井氏の原稿を掲載した「WiLL」の発行元ワック、新潮社、ダイヤモンド社を相手取って、札幌地裁に名誉毀損の損害賠償を請求する訴訟を起こしたものだ。

 たしかに、これらのメディアで櫻井氏は植村氏のことを「捏造記者」と誹謗中傷していた。たとえば、「WiLL」(ワック)2014年4月号の「朝日は日本の進路を誤らせる」なるタイトルの記事では、〈朝日新聞が日本国民と日本国に対して犯した罪のなかで最も許し難いものは、慰安婦問題の捏造〉〈日本人による「従軍慰安婦」捏造記事〉〈日本を怨み、憎んでいるかのような、日本人によるその捏造記事〉として植村氏を名指しして書き連ねている。

 ところが、3月23日に開かれた第11回口頭弁論、被告の櫻井氏の本人尋問で、その根拠がまったくのデタラメであることが暴かれてしまったのだ。どうしようもなくなった櫻井氏が全面的に自らの誤りを認める場面もあった。

自ら誤りを認めた後も、訂正することなく植村記者攻撃を続ける櫻井よしこ

 

 櫻井氏が、「捏造」と攻撃したのは、朝日新聞1991年8月11日付大阪朝刊に掲載された「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」と題する植村氏の署名記事など。挺身隊問題対策協議委員会(挺対協)が金学順さんに聞き取りをした証言テープ等を元に、〈「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」〉の生存などを報じたものである。報道の3日後、金学順さんは実名で記者会見をし、同年12月には日本国を相手に集団提訴。植村氏は弁護士らの元慰安婦からの聞き取り調査に同行し、同12月25日に金学順さんの証言を記事にした。

 ところが、櫻井氏は金学順さんが東京地検に提訴した訴状のことをもちだして、前出の「WiLL」記事のなかで、こう書いていた。

〈訴状には、十四歳のとき、継父によって四十円で売られたこと、三年後、十七歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎭という所に連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている。
 植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とはなんの関係もない「女子挺身隊」と結びつけて報じた。〉

 つまり、櫻井氏がいう「捏造」の根拠のひとつは「訴状には金学順さんが継父によって40円で売られ、さらに再び継父によって連れられて慰安婦にさせられた、という記述があるのに、植村氏はこれを無視するという意図的な捏造報道を行った」というものだ。

 ところが、実際の訴状には、櫻井氏がいう「継父によって四十円で売られた」なる記述は、そもそも存在していなかった。つまり、櫻井氏のほうが訴状にないことを“捏造”して、植村氏に対し「捏造記者」などという攻撃を繰り返していたのである。

 実は、この点は、2016年4月22日の第一回口頭弁論でも植村氏側が指摘しており、櫻井氏はその後の記者会見で「訴状にそれが書かれていなかったということについては率直に私は改めたいと思いますが」(産経ニュース「櫻井よしこ氏会見詳報(2)」より)と、訂正する旨の発言をしていた。だが、これ以降も、櫻井氏は一向に反省した様子はなく、「WiLL」16年7月号は櫻井氏の意見陳述全文を掲載し、「恥なき朝日と植村元記者へ」なるタイトルまでつけて、植村氏を攻撃していた。

 しかし、今回の尋問で、植村氏側の弁護士から改めて「継父によって四十円で売られた」という記述が訴状にないことを追及され、櫻井氏はそのことを法廷で認めざるをえなかった。

 しかも、櫻井氏への反対尋問では、さらに杜撰な実態が露呈した。櫻井氏は植村氏側弁護士から「継父によって四十円で売られたという話の根拠はなんなのか」と問い詰められ、1992年2月の月刊「宝石」(休刊/光文社)の記事からの引用の間違いだったと釈明した。その「宝石」記事はジャーナリストの臼杵敬子氏によるもので、金学順さんの証言が掲載されている。

 ところが、である。実は「宝石」記事の金学順さんへのインタビューにも、やはり「継父によって四十円で売られた」「十七歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎭という所に連れて行かれて慰安婦にさせられた」なる記述は、どこにもないのである。

櫻井よしこが根拠と主張した記事には、強制連行を裏付ける記述が!

 

 まず、「宝石」記事にある金学順さんの証言によると、学順さんが14歳の時、母親が再婚したが〈私は新しい父を好きになれ〉なかったとして、こう振り返っている。

〈その後、平壌にあった妓生専門学校の経営者に四十円で売られ、養女として踊り、楽器などを徹底的に仕込まれたのです。
 ところが、十七歳のとき、養父は「稼ぎにいくぞ」と、私と同僚の「エミ子」を連れて汽車に乗ったのです。〉

 学順さんがいう「養父」とは「妓生専門学校の経営者」のことであって、「継父」(=「新しい父」)ではない。また、金学順さんは挺対協の聞き取りに対しても〈母は私を、妓生を養成する家の養女に出しました〉〈それから母は養父から四十円をもらい、何年かの契約で私をその家に置いて行ったと記憶しています〉(『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』明石書店)と、同じような証言をしている。よしんば、櫻井氏が「養父」と「継父」を勘違いしたとしても(それも致命的なミスであることに変わりはないが)記述と言い逃れとのペテン的矛盾は明らかだろう。

 しかもきわめつけは、櫻井氏が出典だとする「宝石」記事では、上の引用部の直後に、むしろ強制連行を裏付ける記述が続いていることだ。

〈着いたところは満州のどこかの駅でした。サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて、やがて将校と養父との間で喧嘩が始まり「おかしいな」と思っていると養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです。
 私とエミ子は、北京に連れて行かれ、そこからは軍用トラックで、着いたところが「北支のカッカ県テッペキチン」(鉄壁鎭)だったと記憶しています。中国人の赤煉瓦の家を改造した家です。一九四〇年春ごろでした。〉(「宝石」での学順さんの証言)

 つまり、養父は学順さんを「四十円で売った」とはどこにも書かれておらず、逆に日本人将校らに暴力で脅されて土下座までして、その場から排除されたという証言である。そして、金学順さんは日本軍のトラックで鉄壁鎭に連れて行かれたというのだ。

 すなわち、櫻井氏がいう〈十四歳のとき、継父によって四十円で売られ〉〈十七歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎭という所に連れて行かれて慰安婦にさせられ〉〈継父によって人身売買された〉なる主張は「宝石」記事からはまったく読み取ることが不可能なデタラメであり、逆に、本当にこの証言を出典としたのならば、櫻井氏はわざと日本軍による強制連行をネグったことになる。

 ようするに、櫻井氏は、訴状に書かれていないことを「捏造」しておいて、出典を間違えたという言い訳でも自分に都合の悪い「重要な部分」を外していた。にもかかわらず、植村氏を「捏造記者」呼ばわりし、メディアで何度も言いふらして攻撃した。デタラメとしか言いようがない。

嘘だらけ!櫻井よしこは、福島瑞穂と架空の会話をでっちあげた過去も

 

 櫻井氏のペテンの暴露はまだある。櫻井氏は、学順さんが自らを「挺身隊」とは称していないと主張し、植村氏の「捏造」だと主張した。ところが、91年8月14日の会見では、学順さんは実際に「挺身隊」と言っていたのだ。

 裁判を傍聴していたジャーナリストの安田浩一氏がネット番組『NO HATE TV』(3月28日放送)で、この部分についての櫻井氏と植村氏側弁護士のやりとりをこう紹介している。

「これは韓国各紙がきちんと報じている。弁護士は、韓国各紙の翻訳を一つ一つ櫻井さんに見せて、これは認めますね、とやっていった。櫻井さんはしょんぼりと、はい「認めます」「認めます」というかたちで認めた。自らの調査、取材のいい加減さ、あるいは認識の甘さというものは、全部、法廷でもって明らかになったわけです」

 さらに、原告弁護士は反対尋問の終わりに、櫻井氏の別の捏造事件についても質問していた。本サイトでも以前取り上げたことがあるが、櫻井氏が1996年の講演会で、まだ国会議員になる前の福島瑞穂氏について、本人が言ってもいないことを「捏造」して吹聴していたのだ。

 月刊誌「創」(創出版)1997年4月号で福島氏本人がこう明かしている。

〈1996年12月上旬頃、桜井さんから電話がかかってきた。「福島さんに対して実に申し訳ないことをしました。講演をしたときに、うっかり口がすべって『従軍慰安婦の問題について福島さんももう少し勉強をしたらどうですか』と言ってしまったのです。本当に申し訳ありませんでした」といった内容の謝罪の電話であった。12月29日ごろ、講演録の冊子を見て心底驚いた。
「私は福島さんを多少知っているものですから、あなたすごく無責任なことをしているんではないですか、というふうに言いました。せめてこの本を読み、せめて秦郁彦さんの研究なさった本を読み、済州新聞を読み、そして秦郁彦さんなどの歴史研究家の従軍慰安婦の資料を読んでからお決めになったらどうだろう、吉田清治さんの本を証拠として使うこと自体がおかしいのではないかと言ったら、ウウンまあ、ちょっといろいろ勉強してみるけど──というふうにおっしゃってましたけれども……」となっているのである。
 講演や話し言葉のなかで、うっかり口がすべったり、不確かなことをしゃべってしまうことはもちろんある。しかし、この講演で話されている私との会話は、全く存在しない架空の虚偽のものである。〉

 ようするに、櫻井氏は論敵である福島氏との虚偽の会話をでっちあげ、さも自分が言い負かしたかのように語っていたのである。安田氏は、この“発言捏造事件”について原告弁護士が櫻井氏を追及したときの光景をこう伝えている。

「ここで弁護士がとどめの一言を言うんです。『あなたが言っていることはまるっきり嘘ではないですか』と、そう指摘したわけです。櫻井さんはなんと答えたかというと、『朝日が書いたことも嘘でしょ』。ここで尋問終わりです(笑)」

 この開き直りかた……。もはや唖然とするレベルだが、いずれにせよ、司法の場で明らかにされたのは、植村氏と朝日新聞を「捏造」と散々攻撃してきた櫻井氏のほうが実は「捏造」を犯していたという事実だ。結審は7月の予定だが、現段階で完全に「勝負あり」と言って差し支えないだろう。

「日本軍が慰安婦を強制連行」と書き広めたのは、朝日ではなく産経新聞

 

 しかし、忘れてはならないのは、こうしたペテンを駆使して植村氏や朝日を攻撃、「慰安婦問題は朝日の捏造」という印象操作をしかけてきたのは、櫻井氏だけではないということだ。たとえば、この裁判でも櫻井氏側は懲りずに「植村氏は挺身隊と慰安婦を意図的に混同させた」などとがなりたてているが、安田氏も指摘しているように、当時は韓国メディアも市民も慰安婦のことを挺身隊と言って、日本のメディアも一様に「挺身隊の名で連行された」と慰安婦について説明していた。

 この点について本サイトでも過去に検証したことがある。いい機会なので繰り返しておくが、当時の新聞各紙を見てみると、産経を含む朝日以外も「女子挺身隊」「慰安婦」は同じものだという前提で記事が書かれていた。たとえば1991年9月3日付産経新聞大阪本社版には〈「挺身隊」の名のもとに、従軍慰安婦として狩りだされた〉と、ほとんど植村氏の記事と同じ表現が使われている。これは産経が「誤報」をしていたという意味ではなく、当時の社会認識として「挺身隊」と「慰安婦」が混同されていたということを意味する。

 それどころか、当時の産経は金学順さんについて「日本軍によって強制連行された」と、確認できただけで最低2回、ハッキリとそう書いているのだ。うちのひとつ、1993年8月31日付の産経新聞大阪本社版の記事を紹介しよう。

〈太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年ごろ、金さんは日本軍の目を逃れるため、養父と義姉の3人で暮らしていた中国・北京で強制連行された。17歳の時だ。食堂で食事をしようとした3人に、長い刀を背負った日本人将校が近づいた。「お前たちは朝鮮人か。スパイだろう」。そう言って、まず養父を連行。金さんらを無理やり軍用トラックに押し込んで一晩中、車を走らせた〉

 ちなみに植村氏の記事では、「強制連行」という言葉はひとつも出てこない。ようは、「日本軍によって強制連行された」というフレーズは、朝日ではなく産経が広めたものだったのである。

 ところが、産経はこうした自社の記事をチェックすることなく、朝日新聞、とりわけ植村氏を“慰安婦問題のスケープゴート”に仕立て上げ、櫻井氏ら極右界隈で一丸となって植村氏を血祭りにあげたのだ。

 そして、冒頭に触れたように、朝日バッシングで勢いづいた極右界隈は、「慰安婦大誤報を犯した朝日は信頼できない」「フェイク新聞」などと繰り返し叫び立てることで、慰安婦の存在自体はもちろん、ありとあらゆる朝日報道が虚報であるかのごとく印象操作を続けた。

 その意味では、今回、植村氏が起こした裁判で明らかになったのは、櫻井よしこという“極右の女神”の信じられないようなペテンとデタラメだけではない。極右界隈が事実を簡単に捏造し、自分たちに不都合な事実を覆い隠し、さらにそこに安倍首相ら極右政治家がのっかって、朝日新聞というメディアと植村氏を潰しにかかった。その民主主義国家とは到底思えないグロテスクさが、あらためて、白日のもとにさらされたと言っていいだろう。

〈私は「捏造記者」ではない。これからも、闘っていく。決して屈しない。〉

 植村氏は2016年の著書『真実』(岩波書店)の最後に、あらためてこう決意を示していた。判決を待ちたい。

 

 【関連】

<札幌第11回詳報!3.23>”櫻井よしこ氏が自身のウソを認める!「捏造決めつけ」記述にも重大な誤り” 2018.3.25 植村裁判を支える市民の会

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 地裁に向かう植村さんと弁護団(3月23日午前10時ころ)
 
植村裁判を支える市民の会
不当なバッシングを許さない! 植村隆さんの名誉回復を求め、表現の自由と民主主義を守るために、
ともにたたかう市民のネットワーク!
 

 

 

 

 


利用される?天皇『沖縄訪問、真の意図は!』・・・天皇来沖と米軍・自衛隊基地の強化 2018.3.31 ブログ「海鳴りの島から」

2018-04-02 17:08:24 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

https://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/4c0c4960e482b2b57a993185b1bda88a

天皇来沖と米軍・自衛隊基地の強化

2018-03-31 12:10:24 | 米軍・自衛隊・基地問題

 3月28日に天皇アキヒトは与那国島を訪問した。翌29日付琉球新報朝刊は、その様子を次のように報じている。

 〈 …前略… 町内のあちこちに、自衛隊協力会による「奉迎」「ご来県ありがとうございます」と記した横断幕があった。ちょうど2年前の2016年3月28日、町に陸上自衛隊沿岸監視部隊が発足した。沿道では天皇、皇后を制服姿の自衛隊員が歓迎していた〉

 先に天皇来沖初日の3月27日が琉球処分の日だと指摘した。3月28日は与那国島に配備された陸上自衛隊沿岸監視部隊の発足2年の記念日だったという。

 28日はまた、渡嘉敷島で強制集団死が発生した日でもある。沖縄戦のことが思い起こされる時期に摩文仁の国立沖縄戦没者墓苑を訪れて「慰霊の旅」を印象づけ、その上で陸自部隊の発足記念日に与那国島に行き、日本最西端の碑を訪ねて領土の境界を確認する。そして、29日には東京オリンピックの正式種目となった空手の演武を見学して帰京する。今回の天皇アキヒト来沖が、日程と内容を練りに練って行ったことがよく分かる。

 天皇としては最後の来沖となる今回、アキヒト夫妻は領土の最西端である与那国島まで足を運んだ。それが中国と対抗して先島地域への自衛隊の配備・強化を進める安倍政権の意図と連動していることは、陸自沿岸監視部隊の発足記念日に日程を合わせたことが自ずから示している。

 

 天皇アキヒトは2004年1月に国立劇場沖縄の開場記念公演を鑑賞するため来沖した際、宮古島と石垣島を訪問した。その後、日本政府・防衛省は「南西方面重視」、「島嶼防衛強化」を打ち出して、宮古、八重山、与那国など先島地域への自衛隊配備計画を進めていく。

 2012年4月には、当時の石原慎太郎東京都知事が、米国のヘリテージ財団で尖閣諸島の購入を打ち上げた。同年9月には日本政府が同諸島を購入して国有化する。それに反発した中国は尖閣諸島周辺の行動をより活発化させ、同諸島をめぐる領土問題が焦点化した。

 民主党政権崩壊後に誕生した安倍政権は、それを最大限に利用した。中国の脅威を煽りながら先島地域への自衛隊配備と辺野古新基地建設を推進していった。天皇アキヒトが宮古島、石垣島を訪問した2004年から与那国島訪問が行われた今年まで、この14年間に日本政府・防衛省は「南西方面重視」、「島嶼防衛強化」「中国の脅威」を前面に出して、沖縄の米軍・自衛隊基地の強化を進めたのだ。

 

 天皇アキヒトが摩文仁の国立戦没者墓苑やひめゆり平和祈念資料館、対馬丸記念館などを訪れ、「慰霊の旅」「沖縄への思い」を印象付ける一方で、武力による威嚇で琉球国を滅ぼし、日本に併合していった歴史は正当化され、先島地域への自衛隊配備と辺野古新基地建設が強行された。沖縄人から抵抗の牙を抜き取り、日本人としての自覚を植えつけ、国土防衛の担い手へと絡めとっていくのが、アキヒト夫妻の役割だった。

 天皇アキヒトが個人としてどのような意思を持っているかはともかく、その来沖は「慰霊」や「沖縄への思い」というきれい事だけですまされるものではない。そこには天皇を利用して沖縄の軍事要塞化を進める者たちの政治的意図が透けて見える。時の権力者と持ちつ持たれつの関係で生き延びてきたのが天皇家であり、アキヒトも自らの役割をしっかりと果してきたのだ。

 

 

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 ~天皇ご夫妻、沖縄訪問を祝し、自衛隊が国際通りをパレード!初めてのこと!!

 

 

 

 


石垣島、宮古島、奄美大島で急拡大する自衛隊基地~住民排除で強行 〔シェア拡散を!〕 『自然と人間』2018/2月号 ジャーナリスト・栗原桂子

2018-04-02 16:07:46 | 平和 戦争 自衛隊

小西 誠 氏· 3月30日 12:05 

  ジャーナリスト・栗原桂子さんの、宮古島・奄美大島・石垣島への自衛隊配備の状況の現地リポートです。南西諸島の、ほとんどの島々を歩いて取材された数少ないジャーナリストです。
本来、メディアが報道すべき問題ですが、「自己規制」していて報じません。ホンモノのジャーナリズムが、今こそ必要な時です。

(奄美の佐竹さんの投稿をシェアしました。掲載が遅れてしまいましたが大事なので転載します、文章が見づらいですが、保存し拡大してご覧下さい)。

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南西諸島と沖縄本島の”軍事要塞化”について考える。2018.3.6 #湘南Theo 

“農業の一等地”をつぶす石垣島への自衛隊配備 防衛省計画に住民らは猛抗議 2017.12.12 週刊金曜日

今、このクニには、新たなタブーが生じつつある。「自衛隊批判のタブー」がー。 〔小西 誠 2017.9.9〕 /社説『軍拡は決して「平和への道」ではない』 八重山毎日新聞9月9日

 

 

 


産経新聞大誤報の真相 「つぶすからな」取材もせず沖縄タイムス記者を恫喝 2018.4.2 AERAdot.

2018-04-02 13:48:01 | 報道 NHK 民放

産経新聞大誤報の真相「つぶすからな」取材もせず沖縄タイムス記者を恫喝

 行き過ぎた表現があった――。

 2017年12月に沖縄県内で起きた交通事故で、「米兵が日本人を救出した」とする報道をめぐって、産経新聞は「事実関係の確認が不十分」だったとして記事を削除。沖縄タイムスと琉球新報に謝罪した(18年2月8日付紙面に「おわびと削除」を掲載)。

 沖縄タイムス記者・阿部岳は、自著『ルポ沖縄 国家の暴力』(朝日新聞出版)のなかでデマを垂れ流すメディアのあり方を問うている。いまだ沖縄2紙に向けられる“根拠なき批判”。その当事者でもある阿部が、今回の騒動をリポートする。

*  *  *
 真っすぐな視線を向けられ、答えに窮した。取材相手の女性(19)がふいに聞いてきた。「米軍が良いことをした時には何で書かないんですか」。良いことをしたのかどうか、そこが分からないからです。出かかった言葉はしかし、のみ込むしかなかった。

 昨年12月、沖縄県の高速道路で起きた多重事故。米兵が自らを犠牲にして日本人を救った、その英雄的行為を「反米」の沖縄タイムスと琉球新報の2紙は黙殺した――というデマがものすごい勢いで広がっていた。

 産経新聞ウェブ版の記事が起爆剤になった。「米軍の善行には知らぬ存ぜぬ」「メディア、報道機関を名乗る資格はない。日本人として恥だ」。激しい言葉がネットの波に乗った。

 沖縄タイムスの同僚は早い段階で、記事を書いた産経の高木桂一・那覇支局長(当時)が県警に取材していなかった事実を把握していた。事故は警察。火事は消防。新聞記者なら、1年生でもまずは聞く。電話をたった一本かけるだけで、米兵による日本人救助は確認できない、という事実が分かった。新聞社として、およそ考えられない欠陥取材。沖縄2紙を批判するために、あえて事実関係を無視したのではないか、とさえ私たちは疑った。

 反論するか。ただ、米兵が意識不明に陥っていた。ことさら救助を否定することで、ただでさえ大変な状況にあるご本人や家族を傷つけるのではないか、と二の足を踏んだ。産経が唯一の柱にしていた米軍も最終的に救助を否定するに至り、琉球新報、次いで沖縄タイムスが経緯を報道。産経は謝罪と記事の削除、高木氏の更迭など関係者の処分に追い込まれた。

 2紙の編集局長は「率直にわびた姿勢には敬意を表する」などとコメント、大人の対応を見せた。だが、産経が誤りを認めるまでの2カ月間、2紙はネットで、会社への電話で、浴びせられる罵声に耐え続けてきた。おとしめられた評価はとても回復できない。私が会った女性の、不可解そうな表情が忘れられない。

 高木氏はこれまでもウェブ版で「沖縄2紙が報じないニュース」というシリーズ記事を書き、2紙を厳しく批判してきた。私自身を対象にした記事もあり、今もそのまま載っている。


 

講演で中国人や韓国人について「嫌やなー、怖いなー」と言ったことをいったん否定し、筆者が録音した音声を確認する百田尚樹氏。主催者らが囲み、取材の様子をネット中継した=2017年10月27日、沖縄県名護市

講演で中国人や韓国人について「嫌やなー、怖いなー」と言ったことをいったん否定し、筆者が録音した音声を確認する百田尚樹氏。主催者らが囲み、取材の様子をネット中継した=2017年10月27日、沖縄県名護市


 17年10月、作家の百田尚樹氏が県内で講演した。基地反対運動の現場にいる人の半分は中国人、韓国人だというデマを前提に「嫌やなー、怖いなー」と言い、「日当が何万円と払われている」「中核は中国の工作員だ」と主張した。

 事前に主催者に申し込んでから取材に行ったので、私の名前が百田氏に伝わっていた。壇上でマイクを握る百田氏は客席の私を一方的に名指しして、嘲笑を続けた。後で数えたら、2時間20分の講演中に22回、「阿部さん」と呼んでいた。「中国が琉球を乗っ取ったら、阿部さんの娘さんは中国人の慰み者になります」という発言まであった。

 百田氏や主催者が私を敵視していることは明らかだった。それでも、発言を問題視して記事にするなら、百田氏の言い分を聞かなければならない。それが公平に近づくための努力であり、メディアの鉄則であり、記者の基本動作である。

 講演後の百田氏を舞台袖に訪ねると案の定、主催者ら10人以上に取り囲まれ、動画撮影とネット配信が始まった。それでもいつも通り取材は続け、百田氏のコメントを聞いた。中国や韓国を差別していないと主張したこと、「日当」や「工作員」の発言については根拠がないと認めたこと、を翌日紙面の記事に盛り込んだ。

 この時、高木氏も会場にいたらしい。後日、産経ウェブ版に記事が出て初めて知った。記事によると、私の「取材姿勢は『差別発言ありき』で、『百田氏はヘイトスピーカーだ』というレッテルを張り、バッシング報道を展開する魂胆があったと受け取れた」という。

 新聞記者は人を批判することも多い。当否は別として、自らが批判されること自体は謙虚に受け止めなければならないと思っている。ただ、高木氏は彼にとって「味方」ばかりの現場にいながら、私に接触しようともしなかった。記事はこう始まっていた。「あれが『新聞記者』だというのか」。少なくとも私は、百田氏の言い分を聞いた。

「なぜ声を掛けてくれなかったのですか」。実は、高木氏に電話をかけて直接、質問したことがある。高木氏も「ちょうど話が聞きたかった」という。「では会いましょう」と持ち掛けると、突然、何の脈略もなく罵声を浴びせられた。「あんたの都合なんか知らないよ」「つぶすからな」「ヘビみたいな男だ」「受けて立つよ。おれは産経の顔だからな」。まだ直接向き合ったことさえない社会人の発言ではない。

 仕方がないので、産経新聞社広報部に同じことを尋ねた。「(百田氏講演会の)傍聴記だったため直接の取材は控えましたが、今後は可能な限り取材に努めます」という答えだった。可能な限り取材する。メディアとしてあまりにも当然のことだが、それが欠落していた産経の報道は、「米兵が日本人救助」虚報や私に関する記事に限ったことではなかった……。