カトリックシスター二人の呼びかけで 3000万人署名
新宿西口で行われた。 シスター55人 信徒合わせて100名
見たことが無い光景が広がり 大変なことになってる感動
仏教 神道 キリスト者が 何としても改憲を許さない決意を訴えた。
ボールペンが足りない 誰か貸して~~~!
![画像に含まれている可能性があるもの:3人、立ってる(複数の人)](https://scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/30728174_246431225925557_2933205175295445349_n.jpg?_nc_cat=0&oh=d3c47a099825dfe25bad84bd89a1035e&oe=5B551A7E)
![画像に含まれている可能性があるもの:テキスト](https://scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/30712851_246431122592234_3230749908622324590_n.jpg?_nc_cat=0&oh=6146a5106c9806220a050c123dd9ba3b&oe=5B5C3CA8)
![](http://cpnet.bona.jp/images/logotop2.gif)
http://cpnet.bona.jp/profile.htm
![]() 主の平和を実現するために
|
【関連】
カトリックシスター二人の呼びかけで 3000万人署名
新宿西口で行われた。 シスター55人 信徒合わせて100名
見たことが無い光景が広がり 大変なことになってる感動
仏教 神道 キリスト者が 何としても改憲を許さない決意を訴えた。
http://cpnet.bona.jp/profile.htm
![]() 主の平和を実現するために
|
【関連】
「存在しない」はずだった陸上自衛隊のイラク派遣時の日報が発見された。 続けて、航空自衛隊の日報も発見された。
そんな中、国会では森友学園の問題についての追及が続いている。
森友学園の文書書き換え問題について、南スーダンの日報隠蔽問題との類似点を指摘する声が少なくない。南スーダンに派遣されていた部隊の日報について、防衛省は廃棄されたと言っていたのに、実は廃棄されていなかったという問題である。その日報には、「戦闘」という言葉が何度も使われていた。が、国会では繰り返し「戦闘ではなく衝突」などと答弁されていた。自衛隊派遣の継続のためには決してあってはならなかった「戦闘」という言葉。よって日報は廃棄されていなればならなかった。国会答弁のために、事実の方が歪められる。なんとも森友問題と酷似した構図である。
さて、この文書書き換え騒動の中にもかかわらず、安倍首相は3月25日の自民党大会で「いよいよ憲法改正に取り組むときがきた」と気勢を上げている。
そんな折、改憲や自衛隊の海外派遣などについて、あまりにも深く考えさせられる一冊と出会った。それは『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』(講談社)である。著者はNHKディレクターの旗手啓介氏。2016年8月に放送されたNHKスペシャル「ある文民警察官の死〜カンボジアPKO 23年目の告白」をご存知だろうか。この番組はギャラクシー賞テレビ部門大賞など数々の賞を受賞している。私も放送当時観て大きな衝撃を受けたのだが、その取材をもとにして書かれた本書を読み、ただただ言葉を失った。
本書で取り上げられるのは、日本が初めて本格的に参加したPKOの地・カンボジアで93年、一人の隊員が殺された事件である。亡くなったのは、岡山県警警部補の33歳の高田晴行氏。当時のカンボジアは、ポル・ポト派、シアヌーク派、ソン・サン派、プノンペン政府などが入り乱れ、20年以上にわたって続いた内戦がようやく終結した頃。そんなカンボジアに自衛隊が派遣されるということで世論は揺れに揺れたが、自衛隊派遣の影で、文民警察官も75人、派遣されたのだ。殺された高田氏は文民警察官の一人。ちなみに文民警察官に求められた役割は、現地警察の指導や監視。当然、武器は非携行。
そうして92年、75人の文民警察官はカンボジアに派遣されるのだが、「選ばれた警部補以下の隊員たちのほとんどは海外勤務をしたことがなく、当然ながらPKOについて特別な訓練を積んだこともない、ふつうの”お巡りさん”だった」というから驚く。これに対して、他国の文民警察官は、軍警察や軍事訓練を受けた警察官で構成され、防弾ヘルメットや背面まで覆う防弾チョッキを装備していた。が、日本の装備や研修はあまりにもお粗末。「紛争地域に行くのではない」という建前があるため、十分な装備を要求することもできないままに始まったPKO派遣は、最初から波乱に満ちていた。
まず、文民警察官はいくつかの地域に分かれて配属されたのだが、亡くなった高田警部補が配属されたのは「無法地帯」と言われ、毎日のように殺人事件が起きていたアンピル。自衛隊が派遣されたタケオは「カンボジアでも安全な地域のひとつ」だったのに対して、アンピルは「カンボジアの中で最も困難な地域のひとつ」だった。何しろ、当時のカンボジアでは普通の農民でさえ自動小銃やロケット砲を平然と持っている。現地を視察した隊員は、「せめて機動隊の爆発物処理班が使用するような耐爆用ヘルメットを持っていきたい」と感じていたものの、「文民として『安全な場所』に派遣されるという建て前がある手前、過度な装備品を要求できる空気ではなかった」と語る。そして、以下のように続けるのだ。
「PKO協力法の根底にあるのが、紛争地域に行くのではない、和平条項が締結されて安全なところに行くんだと。(中略)文民警察はあくまで文民なんだ、平和なところへ行くんだ、だから(過度な装備は)必要ないじゃないかと。誰かがそう言ったわけではないけれど、そういう根底からの雰囲気ですよね。たぶん上層部にかけあっても、『なんだ、安全なところに行くんじゃないのか』という話になる。紛争地を想定することはPKO協力法を根底から覆すことになりますから」
派遣中、彼らは現場の実態と、「紛争地ではない」という建て前に翻弄されることになる。その後、彼らの状況は「市街戦そのものの戦場」「頭が狂い出しそう」「戦闘が起こると防空壕に身をひそめるしかなかった」という過酷なものになっていくのだが、辿り着いたアンピルは、生活環境も劣悪だった。
ヘリコプターでジャングルを超えて降り立った集落は、雨季のため道路が寸断され、陸の孤島状態。そのため、水や食料の確保は困難をきわめ、先に来ていた他国の文民警察官は沼の水を煮沸して飲むという「原始時代のような生活」を強いられていたのだ。しかも乾季になるまでは通信基地に行くことができないため、本部との連絡は一切とれない。もちろん電気もなく、あるのは長い内戦で埋められた無数の地雷ばかり。マラリア蚊や、夜でも35度を下らない暑さにも苦しめられる。
隊員の一人は、手記に以下のような言葉を残している。
「このような実態をUNTAC本部はまったく知らない。もちろん明石代表も知る由がない。(中略)強固な砦の中で、革張りの椅子に座り、偉そうにアドバイスしている文民警察本部の高官に呆れてしまう」
隊員たちは地雷原のすぐ近くに宿舎を確保するが、アンピルはポル・ポト派など反政府三派が混在する地。その上、総理府が手配して日本から持参した発電機は、日本国内で使う100Vのもの。220Vのカンボジアではなんの役にも立たない。しかも、発電機は100Vなのに変圧器は220Vから100Vに変換するものなのでやはり使えない。一事が万事、この調子なのだ。
しかし、日本政府は彼らが派遣された場所がどれほど危険か、知りもしないし知ろうともしない。そのうちに治安は劇的に悪化していき、「市街戦そのものの状況」になっていくのだが、恐ろしいのは、日本政府は自衛隊にばかり気をとられて、文民警察官の派遣そのものを忘れているように思えることだ。当時、実質の責任者だった河野洋平氏は、取材に答えて以下のように語っている。
「正直いいますといちばん気がかりで気にしていたのは自衛隊なんですね。直接日本の自衛隊という組織が何かトラブルに巻き込まれ、小競り合いを起こすようなことがあると、これはもう非常に問題だということがいつも頭にあったものですから、自衛隊のことはしょっちゅう見てたわけです。その反面、文民警察はですね、本当に申し訳ないことだけど、個人的に(カンボジア各地に隊員が)散っているものですから、毎日、非常に注意深く全部見るということまで手が回っていたかどうかですね」
まるで他人事のような言いようである。もし、自分の家族など大切な人が派遣されていても同じことが言えるのだろうか。しかし、「偉い責任者」の本音はこんなものだろう。
そうして政府もマスコミも世間の関心も低い中、状況は悪化していく。カンボジアに派遣された一部の隊員たちは自らの身を守るため、自動小銃を調達し始める。また、隊員の中からは、ナパーム弾で攻撃されるような日々の中、精神状態が限界に達し、鬱のような状態になる者も出始めた。彼は緊張に耐えられず、職場放棄したことを告白している。貧しい家族のために文民警察官の任務につくことを希望したバングラデシュ人に、1日100ドルで自分の身代わりとして勤務してもらったのだ。バングラデシュ人の自国での給料は月15ドル。1日100ドルは破格である。が、そのバングラデシュ人は、彼の身代わりとしてついた任務で銃撃され、足に重傷を負ってしまう。
イラクやインド洋など海外に派遣された自衛隊員のうち、54人もが帰国後に自殺しているという話はよく知られている。また、今年3月、南スーダンに派遣された自衛官のうち、2人が帰国後に自殺したことが明らかになった。南スーダンに派遣された自衛隊員の中には、家族にLINEで「死体がゴロゴロ」などと伝えていた者もいることが報じられている。本書でカンボジアの状況を細かく知れば知るほど、「戦場」で、人の精神がどのようにして蝕まれていくかが恐ろしいほどのリアリティをもって迫ってくる。
さて、高田警部補が殺される1ヶ月前には日本人の国連ボランティアがポル・ポト派とみられるグループに拘束されたのち、殺害されている。それから数日後、アンピルで日本人の文民警察官が襲撃されている。そうしてポル・ポト派のラジオでは、日本人の殺害予告が流れる。内戦の中、一時はタイに難民として逃れていたものの、カンボジアに戻っていた人々が、再びタイに脱出を始めていた。そうして93年5月、高田警部補は殺害される。
6台の車で移動中、車列がポル・ポト派らしき兵士にRPG対戦車グレネード砲で襲われたのだ。1台目は逃げたものの、2台目、3台目の日本文民警察隊の車は銃弾の雨を浴びる。車内で伏せるものの、弾丸が顔の肌をかすめ、何発かが髪を通過して髪の毛がバラバラと落ちる。頭から大量の血を流している者もいる。「また当たりました」「今度は、腹に来ました」「俺も当たったよ。悔しいが生きて帰れないぞ。覚悟してくれ」といった会話が車内で交わされる。頭部のほか、腹部に7発、背中を5発撃たれた者がいば、背中に5センチほどの穴が開き、内臓が見えるほどの重傷を負った者もいた。しかし、命は助かった。が、高田警部補はこの銃撃で命を落とした。銃弾に首の付け根から肺を貫通され、胸から足まで無数の弾丸に貫かれながらも2時間以上生き続けたが、絶命した。
これが、カンボジアPKOの文民警察官の実態である。しかし、それでも日本政府は「停戦合意は崩れておらず、撤退はしない」と決断。大臣がカンボジアを訪れた際には、隊員たちは切実な思いをぶつけている。
「日本の警察官は戦場のようなところで仕事をするための訓練は受けていない」
「大臣。われわれがあと何人死んだら、日本政府は帰国させるのでしょうか」
恐ろしいのは、この事件が20年以上にわたって忘れ去られていたことである。取材のきっかけは、事件の23年後に元隊長から記録の提供を受けたことだという。
また、日本政府は、この文民警察官の派遣に対して、まともな検証など行っていない。スウェーデンでもオランダでも、カンボジアPKOに関する検証がなされているにもかかわらず、だ。
さて、ここまで読んで、あなたは「建て前」と現場の落差について、どう思っただろうか。
だからこそ、自衛隊が海外で駆け付け警護なんて言語道断、という意見もあれば、だからこそ改憲や法整備が必要、というような声もあるだろう。ここにひとつの証言がある。現地で当時、治安担当少将をしていた男性は、高田警部補が撃たれた理由を、彼と一緒にいたオランダ海兵隊が銃を持っており、応戦したためと見ているのだ。
「ポル・ポト派は殺すために襲撃をしたのではなく、UNTACの人たちを車から降ろし、車を奪い、人質にしようとしたものと考えられます。しかし、オランダ海兵隊のボーイ氏が銃を持っており、応戦したため、ポル・ポト派も本格的に応戦したと思います。その結果、日本人の高田さんが撃たれたと私は考えています」
高田警部補が殺された日、当時の宮澤首相は軽井沢でゴルフをやっていた。事件が伝えられると、「しかたないな」と発言して問題になったという。
本書には、派遣された隊員たちの「怒りの声」が多く収録されている。現実を知らない日本政府や国連関係者など、多くの権力を持った者たちにそれは向けられている。「命令する側にいる偉い人」たちは、決して過酷な現場へなど行かない。安全な場所から、無理難題を押し付けるだけだ。しかも発電機の一件が象徴するように、最低限の情報すらも持たないまま。そんな中、一人の命が奪われた。その責任を、誰一人としてとってはいない。
イラク派遣の際の日報が存在したことを受けて、久々にテレビで当時の小泉首相の答弁を見た。
「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域です」
「どこが非戦闘地域でどこが戦闘地域か 今 この私に聞かれたってわかるわけないじゃないですか」
この程度の認識の人が、イラク派遣の責任者だった。カンボジアPKOで一人の命が奪われたことなど、何ひとつ教訓にすらしていない。
この事件には、今だからこそ考えなければならないテーマが詰まっている。
日刊ゲンダイ https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/227287
バカ高い税金を得ながら一体何のために存在しているのか。
財務省の決裁文書改ざんを巡り、大阪地検特捜部が佐川宣寿前国税庁長官の立件を見送る方針と報じられた問題。改ざん前と後で文書の本質が変わっていないため、虚偽公文書作成罪などで刑事責任を問うのは難しい、との判断らしいが、まったくフザケタ話である。
このまま大阪地検特捜部が佐川氏や財務省職員を立件せず、改ざん事件にフタをするなら「特捜部不要論」が再燃するのは間違いない。2009年の郵便不正事件で、証拠のフロッピーディスクを改ざんして逮捕、起訴された前田恒彦元検事も「立件見送り方針」の記事にこう驚きの声を上げている。
<虚偽公文書作成罪には当たらないとしても、今回の決裁文書は森友詐欺や財務省背任事件の『証拠』の一つなので、少なくともその改ざんや改ざん後の文書をシレッと大阪地検に提出した行為は証拠隠滅罪に当たると思うのですが>
いやはや、証拠改ざんの“経験者”が言うのだから、説得力が高い。渦中の大阪地検特捜部の山本真千子部長は前田氏の先輩だ。元検事の落合洋司弁護士はこう言う。
「難しいのは『虚偽とは何か』という法的な評価の問題があること。つまり、決裁文書の本質にあまり影響しない箇所を削除することが、虚偽といえるのかどうかということです。ただ、国会や地検に改ざん文書を提出しているので、証拠隠滅罪には問えると思います。もし、おとがめなしだった場合、特捜部に対する世論の反発は高まるでしょうし、公文書を改ざんしても問題ないという誤ったメッセージを国民に伝えることになりかねません」
先月の証人喚問で佐川氏は「刑事訴追の恐れがある」と50回以上連発して答弁を拒否した。不起訴になったら、「刑事訴追」の恐れは心配ない。再喚問して洗いざらい話してもらおうじゃないか。
****************************::
KK @Trapelus 2 時間前
京都新聞 http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180414000132
2018年04月14日 22時25分
ペストを投与した人体実験の疑いがある論文の検証を要請している「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」(京都市中京区)が14日、京都大で記者会見し、国立公文書館から関東軍防疫給水部・731部隊「留守名簿」の開示を受けたと発表した。
軍医や技師、看護婦など役種と階級、留守宅を記載したもので、3607人が実名で記されていた。研究者は「731部隊構成の全容が分かる第1級の資料。政府が詳細な公文書を保管していたことが戦後70年以上たって初めて明らかにできた」と話している。
今年1月に公開されたのは、敗戦約半年前に作成された名簿。2016年に開示請求した際は「親族や戦犯とその親族を特定する情報」だとしてほぼ黒塗りの部分開示だったが、引き続き開示を求めていた。同会事務局長の西山勝夫滋賀医科大名誉教授が分析したところ、軍医52人、技師49人、雇員1275人、衛生兵1117人など731部隊の構成が判明。戦後に京都大医学部長を務めた故岡本耕造教授(戦前は講師)は「技師4等」の処遇だった。
また同会では、京都大文書館から、戦後に京都府立医大学長を務めた故吉村寿人・京大医学部講師ら京大医学部の講師クラスの研究者6人が731部隊派遣を発令された日時や旧陸軍での階級を特定できる文書「学報」(1938年・京大庶務課作成)も発掘した。同会は今月、京大に対し、731部隊所属者に関係する文書の開示請求を行っている。
14日は同会主催の講演会「研究者が戦争に協力する時 731部隊の生体実験をめぐって」があり、約150人が参加。常石敬一・神奈川大名誉教授が京大出身の731部隊軍医少佐が博士論文として提出したペスト菌特殊実験について講演し、「ペストに感染させたノミが石井部隊の主要な生物兵器だった。人体実験した論文を得難い実験として評価したのは京大に問題がある」と指摘した。
「本件は首相案件」。嘘が次々と暴かれ、森友、加計疑惑が底なし沼になってきた。それでも居丈高に開き直る安倍晋三首相に「引き際だ」とついに引導が渡された。「本当ならとっくに辞めてなきゃいけないはず。なのに、バレている嘘をぬけぬけと今も言ってるなぁとあきれているんだよ、国民は――」。
安倍氏の「政治の師匠」でもある小泉純一郎元首相の言葉だ。その思いの丈を週刊朝日に独白した。
* * *
──森友学園への国有地売却問題をどうお考えですか。
根本の嘘の始まりは、国会で「私や妻が関わっていたのなら、総理大臣も国会議員も辞めます」だね。昭恵さんは森友学園の元名誉校長でしょう。森友学園へ行き、挨拶までし、関係しているのに、なぜ、あんな嘘を言い続けるのか、わかんないね。「私たちが関係していた」って正直に言えばいいのに。おかしなことをしてないなら、嘘つく必要ないんだから。嘘の上塗りをするからおかしくなる。総理も国会議員も辞めると言ったので、本当ならとっくに辞めてなきゃいけないはず。なのに、バレている嘘をぬけぬけと今も言ってるなぁとあきれているんだよ、国民は。
──昭恵夫人と面識はありますか?
安倍さんが幹事長の時代かな。山口県へ行ったとき、昭恵さんとも一緒に食事をしました。昭恵さんからは「首相って、そんなに大変なんですか」と質問されたので、「なってみればわかるから」と答えた。いま、本当に大変だ(笑)。
──沈静化していた安倍首相の友人、加計孝太郎氏が理事長の「加計学園」の獣医学部新設問題が再び国会で議論されています。2015年4月2日、官邸で愛媛県、今治市、加計学園の職員らが柳瀬唯夫・首相秘書官(当時)と面会した際、首相秘書官が「本件は首相案件」と伝えたとされる記録(備忘録)が出てきました。
(首相案件は)安倍さんは否定しているけどね。首相が一生懸命になっているのがわかったから、官邸、官僚らみんなが協力したんでしょう。
──首相は愛媛県の記録より柳瀬元首相秘書官の記憶を信じると明言しました。
逃げ切れると思っているからいろいろ言っているんだろうね。
──小泉氏の首相時代、「首相案件」というものは存在しましたか?
「郵政民営化」かな。首相の私がやると言ったからできた。自民党も野党もほとんど反対だったのを押し切った。参議院で否決され、万歳やって衆院を解散した。いま思うと非常識だったが、衆院選で勝って法案を通した。それだけ首相の権限というのは大きい。だからもし、安倍さんが「原発ゼロ」をやろうと言えば、できたはず。原発ゼロは与野党で協力できる政策で歴史的な偉業だったのに。原発ゼロは首相任期中にできるけど、安倍さんが目指す憲法改正はできない。国会で3分の2、そして国民投票で過半数を取らないと、そもそも無理だもの。できることをどうしてやらなかったのか。
──安倍政権はこの先、どうなりますか。
危なくなってきたね。安倍さんの引き際、今国会が終わる頃(6月20日)じゃないか。(9月の)総裁選で3選はないね。これだけ、森友・加計問題に深入りしちゃったんだから。来年の参議院選挙への影響が出る。国会が終わると、1年前から選挙運動の準備をするのでそろそろ公認を決めなきゃいけない。参院候補者が浮足立つ。安倍さんで選挙はまずいなと。
──総裁選となれば、誰がふさわしいですか?
原発ゼロというのは、河野太郎外務相が私より先に言いだした。もし、河野さんが原発ゼロを主張して総裁選に出たら、どうなるかわかりませんよ。外相としての仕事を乗り切って、実績を上げていけば、大化けする可能性はなきにしもあらず。(次の総理に名前が挙がっている)岸田(文雄)政調会長、石破(茂)元幹事長は原発には言及していないね。
* * *
小泉氏の激白は55分に及び、4月17日発売の「週刊朝日」で、その詳細を掲載する。
(聞き手/本誌・上田耕司、森下香枝)
※週刊朝日4月27日号より抜粋