内閣改造ほど「印象操作」という言葉が似合う行為はない
ほぼ毎年の様に実施される内閣改造に、なぜほとんどの人は反対の声を上げないのか理解ができない。
特定秘密保護法や共謀罪など、安倍首相がやることに全身全霊をかけて阻止しようとしてきたメディアも、「8月に内閣改造へ」と事実をそのまま伝えるだけで、改造すること自体に疑問を抱いている様子はない。
なぜ、内閣改造のカードだけは、水戸黄門の印籠の様な力があるのだろうか?
日本の国務大臣の平均在任期間は1年未満ともいわれ、他の国から見たら異常事態である。1年でまともな仕事なんてできるわけないし、いつ交代させられるかわからない状態でモチベーションを上げるのは難しく、国民にとって得することは一つもない。
100歩譲って「日本の国務大臣は名誉職であり、毎年変わっても、実務は官僚がするのだから大丈夫」と割り切れたとしても、内閣改造の度に政権の支持率が上がるのは絶対におかしい。
名誉職なら誰がやっても結果は変わらないし、そもそも、まだ大臣が何も仕事をしていない時点で支持率が上がるなんて普通に考えたらありえない。飲料水メーカーが、役員を刷新したら、翌日から商品がたくさん売れるようになるわけがない。
それでは、なぜ大臣の顔ぶれを変えるだけで政権を好きな人が増えるのか?マスコミ各社の政治部はエリート記者の集まりであり、内閣改造は、そのエリート記者たちにとっての力の見せ所だ。
他社に先駆けて内閣改造のタイミングや主要閣僚の人選を報道するために、議員宿舎前には毎晩たくさんの記者が、それぞれの担当の政治家が帰ってくるのを待っている。
「○○大臣は○○氏か」などと数週間、報道合戦が過熱することにより、国民の間にも「誰になるのかな」と自然と期待感が膨らんでいく。
想像してほしい。社長が、あなたの大好きな上司を1年で異動させると言い出した。
周りが「次はAさんかな?」「いや、Bさんだろ」と囁き始めたら、あなたは「ああ、周りは異動させることには賛成なんだな」と思わないだろうか?
その上司を異動させたくないのなら、「1年で異動させるなんて、ありえないよな」となるはずだからだ。
マスコミ各社には、「○月に内閣改造へ」とか「○○氏が○○大臣に」と報道合戦をすることは、間接的に内閣改造を支持していることであり、よって、改造後の支持率上昇に寄与しているということを自覚してほしい。
そして、今回の内閣改造ほど支持するに値しないものはない。辞任すべき大臣を内閣改造で交代させることで首相の説明責任も任命責任もあいまいにすることができるからだ。
内閣改造こそ、政権がまるで何か結果を出したかのような印象を国民に与えることのできる最も有効な印象操作だ。
改めて、マスコミ各社に問いたい。首相の内閣改造をする判断を支持するのかどうか。
支持しないのなら、「○○氏が○○大臣に」などと報道合戦に貴重な時間と紙面を費やすのではなく、なぜ支持しないのかについて国民に問う報道をしてみてはどうか。
1年ごとに国務大臣が変わることを当たり前のことのように報道し、ほとんどの国民には名前も覚えてもらえない人がどの大臣になるか速報するために全力を尽くし、結果、問題だらけの内閣の支持率上昇に寄与するようなら、国民の政治離れもマスコミ離れも加速していくだけだろう。