異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

公文書管理問題=保阪正康・・・東条軍閥内閣と同様の時代が来ているかのようだ 2018.4.21 毎日新聞

2018-04-22 22:13:01 | 戦前回帰 明治 国家思想
昭和史のかたち

公文書管理問題=保阪正康

 
東条英機元首相(上)佐川宣寿前国税庁長官(下)=コラージュ・深澤かんな
 

東条軍閥内閣と同様の構図

 連日の新聞報道にふれていて、この国の骨格が音を立てて崩れていることがわかる。加計学園問題が「首相案件」であったとの文書が発見されるまでの官僚機構のシラを切った答弁、ないはずの文書が次々と発見され、それも意図的な隠蔽(いんぺい)と思われる工作、さらには存在しないとされていた自衛隊イラク派遣時の日報の開示、首相秘書官が愛媛県職員と面会した際に同県が作成した文書の発見。ついには財務省の事務次官のセクハラ疑惑など、この国は一度落ちるところまで落ちた方がいいと言いたくなるほどの体たらくである。

 

 原因は何か。主要な点は、次の三つに絞られるのではないか。

 (1)現内閣の強圧政治と世論誘導策

 (2)官僚機構の腐敗と道徳的退廃

 (3)行政文書管理のずさんさと歴史的無責任

 この3点が重なり合って、この国の骨格に今や大きなヒビが入っている状態である。単純に比較するわけにはいかないにしても、これと似たような状況は過去にもあった。最もわかりやすいのは、太平洋戦争の末期と終戦時の国家体制の崩壊の折に、この3点が表出していたことだ。

 敗戦時は鈴木貫太郎内閣だが、問題なのは太平洋戦争の3分の2の期間を担った東条英機内閣であった。この内閣の独裁政治と自らの延命しか考えていない首相により国民はおびえ、沈黙し、そして面従腹背を生活上の知恵とした。

 むろん今はこの時とは時代背景も異なるのだが、こと中央官庁の官僚だけを例にとると、その構図は東条内閣当時と同様ではないかとの思いがする。官僚が身を守るためにうそをつき、責任は下僚に押しつける。そのために自殺者まで出ている。何より歴然たる事実を真正面から否定する高級官僚の心中には私益しかないとはいえ、相当の恐怖心があるということだろう。その恐怖心は報道の中からも十分にくみとれるのだが、私は彼らのおびえの深さを知り、がくぜんとする。

 21ということだろう。

 この構図がわかった時、前述の(2)と(3)は官僚機構そのものが内閣に屈服している結果という側面がうかがえる。ただ(3)の行政文書の管理とその責任について、国会で証人喚問された佐川宣寿・前国税庁長官の答弁にみられる内容を含め、高級官僚の弁明を聞いていると、記録文書そのものへのあまりにも無責任な発言に驚かされる。自衛隊の日報にしてもそうである。

 言うまでもなく行政機構において、記録文書の管理は重要な責務である。それを放棄するのは当事者たちが単に責任逃れをしただけでなく、歴史的犯罪を犯していると言っていい。太平洋戦争の終結時に、高級官僚、軍官僚は、あの戦争に関する書類をすべて焼却するよう命じた。戦争責任の追及を妨害しようとの意思であった。

 そのため、喜劇とも言うべき光景が演じられた。東京裁判で検察側はA級戦犯被告の罪を問うために、被告たちが虐殺事件の責任者である旨告発した。弁護側はそれを否定しようと試みるも、文書を焼却したため雑誌記事などを反証の材料に用いた(半藤一利・保阪正康・井上亮著「『東京裁判』を読む」日経ビジネス人文庫)。揚げ句の果てに、弁護に有力な証拠となる文書を焼却した証明書を提示する状態になった。

 この証明書は旧陸軍省の事務を引き継いだ第一復員局の文書課長が書いた「調査の結果、終戦時焼却せられ現在保管書類中に存在しあらざる」といった内容だった。こういう報告書を次々に持ちだすために、ウェッブ裁判長は「こんな議論はばかげている」と怒り出す有り様であった。国際社会で、日本の資料管理は笑いものになった感もあった。これは重要な教訓になったはずだ。

 しかし今後とも、記録文書の管理について、あるいはその内容について、高級官僚は下僚に責任を押しつけるだろう。この構図とてBC級戦犯時と同様の光景になるはずだ。捕虜を殺害した兵士が罪を問われて、「上官の命令」と答えた時に、その上官は「始末しろとは言ったが殺せとは言っていない」と言い逃れ、兵士が銃殺になったケースも数多い。これが日本の官僚機構の慣例である。

 大日本帝国憲法下にあって、あの軍部でさえ、天皇が裁可した文書を改ざんすることはありえなかった。もっとも天皇に示す文書の中で、事実を改ざんしていたことはあった。ところが現代日本では主権者(国民)に示した文書記録を平気で手直ししたり、虚偽の説明をしたりする。そして責任は、官僚機構の末端に押しつけていくとの構図を繰り返している。

 私は、前述の3条件が重なり合って描き出されている日本の現在が、「2度目の歴史だ」と断言してはばからないのである。


 ■人物略歴

ほさか・まさやす

 ノンフィクション作家。次回は5月19日に掲載します。

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る