いくら真面目に頑張っても、日毎に新しい苦しみや悩みが、押し寄せてくる。
ああ、やっと一難去ったと思うや、すぐに心配や悲しみが愚痴が出てくる。
滝に掛かった処で、座禅を組んだ処で、病んだ心が直ぐさま晴れる事はない。
「カーッ」と怒鳴って、嘆きや憂いを吹き飛ばすせッ…と言われて「カーッ」と思い切り大声を張り上げても、大した効果はない。
しかも、悩みをそのまま放っておけば、知らないうちにどんどん深く大きくなってくるから、困ったものだ。
孔子は「楽しみて以て憂いを忘る」と言っている。
心配事や悩みを失くすには、別に難しい修行は要らない。
人生に楽しむ時間を作る事だ。
自分の生活の中に、少しでも多く楽しむ時間を作れば、憂いは無くなる。
楽しむには、必ずしもお金は要らない。
もしお金が無いなら、水の美しい流れとせせらぎの音を楽しめばいい。
緑の山を流れる雲の姿を楽しめばいい。
それが出来るのが、人の知恵である。
楽しむ事の下手な人は、とかく責任感の強すぎる人が多い。
責任感というものは、社会生活の上で必要な倫理には違いないが、極端に完璧主義者の人は、責任感の為に常に重いプレッシャーを感じ、生きている楽しみを忘れてしまう。
さらに完璧主義者の人は、とかく他人が自分をどう見てるかを、気にしすぎている場合がほとんどだ。
人の目を受け流す事が出来ないと、悩みが溜まる。
そんな時には、波立つ大海原に両手をかざし、絶え間ない波音を楽しんでみては。