どんな事でも慣れると、少しずつ落ち着くものだ。
貧乏も長い間続いていると、落ち着きそうなものだが、貧乏だけは慣れれば慣れるほど、倦き倦きしてしまうものだ。
その上に貧乏が劣等感を植え付け、心がひねくれてくる。
何とかこんな惨めな貧乏生活から、抜け出したいと、いつでも念じるようになる。
孔子の弟子は三千人と言われる、そのうち優秀な修行者が七十二人いた。
中でも、孔子の正当な弟子として認められていたのは、たった一人の顔回という人であった。
顔回の生活ぶりは「一箪の食、一瓢の飲。陋巷(ろうこう)に在り…」であった。
顔回は一わんの飯と、ひさご一杯の汁をすすり、狭い路地裏で生活していた。
そこに住む多くの人は、その苦労に耐えきれないで、暗い顔を向き合わせて、文句ばかり言い合っていた。
顔回一人は貧しい生活の中に、人間が徳の世界に生きる真の価値を、一途に発覚させていた。
孔子は顔回を、最高の弟子とした。
貧しさ…それは誰もが嫌う処であるが、自分がいかに努力しても、時の流れで誰もが貧しくなる事もある。
経済の流れが鈍化してくると、仕事が少なくなって、暇が出来るという事もあろう。
その暇をうまく使って、趣味に生きる。
座禅でも組んで、修養に努め自己の養生を楽しむ。
孔子は「貧しくして、道を楽しむ」(学而)と言っている。
貧乏になっても、慌てる事はない。
自己完成に励もう。