一旦は自分の心にフッと思いが浮かぶと、もうその通りにしないと我慢しきれなくなって、なりふり構わず暴走して、折角の幸福な人生を台無しにしてしまう。
これが自由というものの、最も危険な点である。
いや自由じゆうと、自由を過大に認められて、教育されてしまった人の不憫な処である。
他人が自分に、ちょっと不快な事をする。
よく思えば何ら恐ろしい事では無いのに、すぐカーッときて、相手に失礼な言葉を見境なく浴びせてしまう。
その相手が親友であっても、愛すべき妻であっても…。
言論は自由がよいが、常に相手とぶつかって発火しない様に、お互いが軌道を守ってこそ、宇宙の心を持った「徳人」と言える。
人は考える。
では、考えるメカニズムとは何か。
良いか悪いか、プラスかマイナスかを検討して、良い面のプラスの事を選別して執る。
人は良い方のプラスの法を執りながら、成長して行く。
この「考える」行為は、人にしか出来ない貴重なものだが、人は一人の考えだけでは生きて行けない。
時には、他人の強烈な考えに介入されて、相手から支配され、恐怖のうちに制御される事だろう。
人の考えは、人を自由にし成長させるが、一方で人を制圧する過ちを犯す。
「本立ちて道生ず」
宇宙・自然の自律的な生命は、トラブルやパニックを起こさない。