皇居一周_冬景色~枯木&芽~ 皇居東御苑 梅林坂ウメ~

2010-12-29 11:08:43 | Weblog


これは、ウメの芽~皇居東御苑の梅林坂のウメの木です。しゃんと、次の新芽をつけてて、冬は、けっして終わりの季節でない事を、樹木が教えてくれています。東京メトロ竹橋駅から、平川門を入り、天神壕を渡った所に梅林坂はあります。太田道灌が江戸城を築いた所(今の書陵部あたりだったとか)にも近く、太田道灌は、ここで菅原道真の夢を見て、平河天満宮を建立したのだとか。(今は麹町の方、平河町に移転してます)江戸時代以前の花見はウメだったので、鑑賞用とも、考えられますが太田道灌は、兵士を育てる事に長けてた人で、食料用だったとも言われています。来年1月末には、ウメの花も咲きますよ~って、もう花をつけてる株もあります。ウメはかすかに香るので、それも楽しみです。皇居一周~ぜひぜひ、おさんぽしてね~。皇居一周おさんぱガイド持ってお堀に行こう!仕事おわりアニメです~


皇居一周_エポックメーキングな所_元祖_江戸城城主~太田道灌公の石碑

2010-12-29 01:47:21 | Weblog


太田道灌公は、室町時代の武将で、元江戸城の城主です。竹橋にあるこの石は、その城郭あとの石だそうです。室町時代って、あまり、人々の意識の上に登らなくて、政治が荒れていたイメージですが、宗教~踊り~芸術~ともかく、江戸時代にある日本固有のものは、全て室町時代に起ったものが、多いのだそうです。太田道灌公も、文武両道に優れた人だったそうで、ヤマブキの和歌などが、数々残っています。太田道灌公は、和歌を詠む会も催し~時の文化人の支持もあり、民衆の支持も、その経済を支援する市を起こしたり~、神社仏閣を整備したり~と、当時のリーダーとして、かなり優秀な人でした。太田道灌公がこの地を守っていた頃、江戸、この地は、かなり栄えていた町だったようです。しかし、太田道灌公は、日本全土を支配していたのではなく、武蔵国の守護大名の一人だったのです。そして~、その上司、関東官領の上杉家の反感をかい、誅殺されてしまいます~。優秀な人が、時の権力に殺害される~なんて事は伝説となって、その地に残ります。じっさい、今も、太田道灌公がこの地の人々に残した、神社仏閣もいっぱいあって、平成の時代でも、人々の生活にちょびっと影響しています。東京に残る 江戸三大社(神田明神)(山王神社) (築土神社)をはじめ~数々の神社が、室町時代~、江戸時代~も明治時代も~続いて、今も続いてるって事ですよね。私、ほとんど無宗教な人間なのですが、日本人のこういう土地や人の死に対する畏敬の念って、大切だったのでは~と、思う今日この頃です。皇居一周おさんぱガイド持って皇居に行こう! ちょっとご報告 アニメです~