自分で見つけること
学生時代に、とあるノーベル賞を受賞された方の書籍に、「どんなに頑張っても中学レベルの公式までしか発見できない」との主旨の言葉に感銘を受け、最先端の情報や公式を得てやっていかないといけないと信じ込んでしまいました。
しかし、時がすぎ、「(絵で、)小学生レベルでも自分で見つけられればばそれでよいのではないか?」
と思うようになりました。
すぐに式や答えを教え、発見できなくさせる指導による、習うことによって見つけることが不可能になる問題の解決策として、問題点と自分のまだ出ぬ答えの間に指導者に立って頂くのでなく、自分から答えであろう場所が見えるような位置まで、ときには遠ざかる事も考慮し、答えと指導者とを切り離すことで、答えと指導者と自分の関係性を三角形の頂点に位置させられれば、自分自身の答えを発見することが出せる余地が残せるのかもしれません。
絵でいうと、モチーフの前に指導者が立っていては、モチーフを見て描けません。モチーフのことを詳しく説明されるかもしれませんが、そしてそれが答えかもしれませんが、モチーフが見える位置まで、場所を移動するのがよいと思います。擬人化するならば、イーゼル先生もそうかもしれません。
自分自身の答えは発明です。けれど、色々な人に合う、あるいは作品に出会うことによって、それは発明ではなく発見であって落胆することも多いです。
けれど、発明するコツを自身の中で生み出した経験は、他の全てに活きてくるのだと思っています。この発明(発見)という学びをを経験していれば、その似た発明から少しずつ、遠ざかっていって、自分の表現へとなっていくことが可能だと思っています。
たとえ、賢い人たち、あるいはAIが思考方法を先回りして、
「実は自分たちのほうが先に描いていたんだよ」
とされたとしても、
「それはよかったですね、けれど私の見つけた目的地とは違います」
と心の中で気にならなくなってきています。