予備校生時代、小論文対策で「無と有」をテーマに文章を作ったことがあります。
「無から有は生み出せない、机が木などからできているように」
ということを書きました。
けれど、この理屈を絵描きになるべき同じ受験生に知られてしまったことを後悔していました。
「無から有は生み出せる、無から有を生み出す」
くらいの気概で描かないと、絵のよさが出てこない場合もあるからです。
けれど、似顔絵を描いてきて、似顔を習い、その残った「『絵』を描いている」ことの重要性を改めて感じ、
「無から有は生み出せない、だから絵で無を描く」
のかもしれないと、現時点では思っています。
それは、虚無、むなしさ、無意味と言った無だけではなく、純粋に
「無いものを描く」
という楽しさなのかもしれません。
「無から有は生み出せない、机が木などからできているように」
ということを書きました。
けれど、この理屈を絵描きになるべき同じ受験生に知られてしまったことを後悔していました。
「無から有は生み出せる、無から有を生み出す」
くらいの気概で描かないと、絵のよさが出てこない場合もあるからです。
けれど、似顔絵を描いてきて、似顔を習い、その残った「『絵』を描いている」ことの重要性を改めて感じ、
「無から有は生み出せない、だから絵で無を描く」
のかもしれないと、現時点では思っています。
それは、虚無、むなしさ、無意味と言った無だけではなく、純粋に
「無いものを描く」
という楽しさなのかもしれません。