閉店が決まったとき、親につれられて行きました。
親には、忘れられない場所なんでしょうね。
親曰く、
「ジャズは死んだ」
そうです。
真意は分からないのですが、フュージョンからついていけなくなったそうです。
「楽器から声が聴こえなくなった」
とも、言っていました。
私は、歴史の一部として生き続けていくと思うんですけどね。
それだけ、親にとってジャズは大きい存在だったのでしょう。
親には、忘れられない場所なんでしょうね。
親曰く、
「ジャズは死んだ」
そうです。
真意は分からないのですが、フュージョンからついていけなくなったそうです。
「楽器から声が聴こえなくなった」
とも、言っていました。
私は、歴史の一部として生き続けていくと思うんですけどね。
それだけ、親にとってジャズは大きい存在だったのでしょう。
-東日本大震災と福島原発被害-
まず、被災して、亡くなられた方々の冥福を祈ります。
そして、今日は「喪に服すべき」という考えの人もいますが、原発の放射線が出続けている以上、(私をふくめて)新たな患者を生み出し続けていることを考えると、黙っているわけにはいかない気がします。
原発のことは、大学時にポスターの課題で、再び考えさせられました。
地震のことは、「なるようになる」と無責任な気持ちでしたし、津波のことは、ほとんどTVでの情報くらいでしか知りませんでした。
一番大切なのは、「情報」だと思いました。もしPCがなければ、TVの情報だけを鵜呑みにしてしまうと思います。
ツイッター、Youtube等、耳を塞ぎたくなる情報も多かったですが、「出来ること」は、知ることだけでした。
被災者の方の苦しみに比べればなんともないことですが、「無力感」に襲われました。
そういう意味では、被災時の心のケアと対策の書籍等の仕事ができたことはありがたかったと思っています。
行動に移されている方は、尊敬します。私もできることがあれば、行動に移せるようになりたいです。
この日記では、3/11近辺の自分自身の作品を振り返ってみます。そして、反省したいと思います。

2011/03/01

2011/03/02

2011/03/05

2011/03/08
2011/03/11

2011/03/13

2011/03/13

2011/03/15

2011/03/15

2011/03/16

2011/03/17

2011/03/20


2011/03/22

2011/03/24



2011/03/27
何も描く気がしなくなり、目を瞑って見える画像を素直に描いていたのを覚えています。
せめて、自分に正直にありたかったのだと思います。
P.S
身近な話。
揺れが強かったとき、近くの子供が泣いていました「怖い!!他の人の家へ行く!!」と。
ちいさい子供は、「地震」を知りません。
地震という日本では日常の出来事を、教えておかなければいけないと思いました。
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まず、被災して、亡くなられた方々の冥福を祈ります。
そして、今日は「喪に服すべき」という考えの人もいますが、原発の放射線が出続けている以上、(私をふくめて)新たな患者を生み出し続けていることを考えると、黙っているわけにはいかない気がします。
原発のことは、大学時にポスターの課題で、再び考えさせられました。
地震のことは、「なるようになる」と無責任な気持ちでしたし、津波のことは、ほとんどTVでの情報くらいでしか知りませんでした。
一番大切なのは、「情報」だと思いました。もしPCがなければ、TVの情報だけを鵜呑みにしてしまうと思います。
ツイッター、Youtube等、耳を塞ぎたくなる情報も多かったですが、「出来ること」は、知ることだけでした。
被災者の方の苦しみに比べればなんともないことですが、「無力感」に襲われました。
そういう意味では、被災時の心のケアと対策の書籍等の仕事ができたことはありがたかったと思っています。
行動に移されている方は、尊敬します。私もできることがあれば、行動に移せるようになりたいです。
この日記では、3/11近辺の自分自身の作品を振り返ってみます。そして、反省したいと思います。

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2011/03/27
何も描く気がしなくなり、目を瞑って見える画像を素直に描いていたのを覚えています。
せめて、自分に正直にありたかったのだと思います。
P.S
身近な話。
揺れが強かったとき、近くの子供が泣いていました「怖い!!他の人の家へ行く!!」と。
ちいさい子供は、「地震」を知りません。
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歌手のトータス松本さんの似顔絵を描いてみました。
-----以下は、雑談----
彼女は、常にイライラして、不平不満を叫んでいた。
(話を聞くと、「不幸」という言葉は使いたくないが、幼少期に身内の悲惨な場面を見ていた。
もちろん、彼女の虚言かもしれないが)
「僕には、君の苦しみは分からない。
君ではないから。
だけど、君の苦しみを分かろうとすること、
理解しようとすることはできるよ。」
と言うのが精一杯だった。
彼女は、
「そういう言葉をかけてほしかった。分かってもらえなくてもいいの」
と言った。
彼女の笑顔を、見ることはなかった。
彼女は、モネのスイレンを模写した。
指を使って、必死に描いていた。
僕は、感情のないイラストを描いていた。
「こういう絵を描かなきゃダメだよ」
彼女は、僕に教えようとしていた。
彼女は、僕のノートに自分の名前を書いた。
「忘れないでね」
僕は、今忘れかけている。
-----------------
・・・という思い出は、徹子の部屋にトータス松本さんが出演されていて、
「笑えれば」という曲が浮かんだからです。
ウルフルズ-笑えれば(YouTube)
「とにかく笑えれば、さいごに笑えれば」
似せる技術に夢中になって、絵を描くことを忘れてしまったようです。
彼女のことも。
「陰鬱な気持ち」それさえも受け止めて描かねば、と思いました。
それを聴いて、トータス松本さんの似顔絵を描いてみました。
似てない。けれど、彼女は少しは喜んでくれていると勝手に思っています。
笑わせ方、笑い方、喜びも人それぞれ。(私は)エンターテナーになる必要はない。
P.S
しかし、一所懸命描くのは疲れますね。
この描き方を続けたら、作品の出来るペースは落ちそうです。
気楽な似顔絵も、描いていきたいと思います。
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