山吹が見頃の時期になりましたので、越生町の山吹の里に出かけました。
太田道灌が鷹狩に出かけると雨に遭い、蓑を借りようとすると、若い女性から山吹の枝を渡された故事が有名です。
あとで「七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき」(兼明親王作)の和歌を知り、無学を恥じたと言われる話があります。
各地に道灌の山吹の里と言われる場所がありますが、ここも有力な候補地です。
越生町の龍穏寺には道灌の墓があります。
ただし、墓は龍穏寺だけでなく他に三ヶ所もあるそうです。
山吹の里は道路から見る以上に高低差がありました。
向かいの山右側には、無名戦士の墓が見えます。
一番上は広場となっており、くつろぐことが出来ます。
ここの山吹は和歌と異なり、一重の山吹が殆どでした。七重八重はわずかです。
八重はこれからですが、一重は終わりかけていました。
山吹の里歴史公園 埼玉県入間郡越生町如意
太田道灌が鷹狩に出かけると雨に遭い、蓑を借りようとすると、若い女性から山吹の枝を渡された故事が有名です。
あとで「七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき」(兼明親王作)の和歌を知り、無学を恥じたと言われる話があります。
各地に道灌の山吹の里と言われる場所がありますが、ここも有力な候補地です。
越生町の龍穏寺には道灌の墓があります。
ただし、墓は龍穏寺だけでなく他に三ヶ所もあるそうです。
山吹の里は道路から見る以上に高低差がありました。
向かいの山右側には、無名戦士の墓が見えます。
一番上は広場となっており、くつろぐことが出来ます。
ここの山吹は和歌と異なり、一重の山吹が殆どでした。七重八重はわずかです。
八重はこれからですが、一重は終わりかけていました。
山吹の里歴史公園 埼玉県入間郡越生町如意