今日は母の命日だったりします。
2010年4月27日午前10時半頃、出張中だった私の携帯に、訃報の連絡が入って、急遽帰宅しました。
2008年に乳ガンが見つかり、抗がん剤治療の後、摘出手術を受けて、一旦完治したように思えたのですが、2009年に皮膚転移で再発しました。
その時、医者から「現在の医学では皮膚転移は治療できない」と最後通告を受け、2010年4月から入院する事になりました。
2010年4月21日、「母が危篤だからすぐ病院に来い」と父から会社に電話が掛かって来ました。仕事中でしたが、すぐ切り上げて大阪の病院に行くと、既に妹は到着していました。でも母が危篤と言うのはウソでした。元気でした。
元気なうちに遺言を伝えたかったから、私達を呼んだのが真相でした。
でも遺言を聞いてからわずか6日後、母は亡くなりました。
自分の最期が間近だった事を悟っていたのかも知れません。
と、久し振りに母の事を思い出してみました。
2010年4月27日午前10時半頃、出張中だった私の携帯に、訃報の連絡が入って、急遽帰宅しました。
2008年に乳ガンが見つかり、抗がん剤治療の後、摘出手術を受けて、一旦完治したように思えたのですが、2009年に皮膚転移で再発しました。
その時、医者から「現在の医学では皮膚転移は治療できない」と最後通告を受け、2010年4月から入院する事になりました。
2010年4月21日、「母が危篤だからすぐ病院に来い」と父から会社に電話が掛かって来ました。仕事中でしたが、すぐ切り上げて大阪の病院に行くと、既に妹は到着していました。でも母が危篤と言うのはウソでした。元気でした。
元気なうちに遺言を伝えたかったから、私達を呼んだのが真相でした。
でも遺言を聞いてからわずか6日後、母は亡くなりました。
自分の最期が間近だった事を悟っていたのかも知れません。
と、久し振りに母の事を思い出してみました。