世間では大型連休で、9連休なんてところも珍しくないみたいですが、私の勤める職場は、4月30日、5月1日、2日は稼働日です。
ですから私にとっての連休は、5月3日から6日の4日間と言う事になります。
でも、この週末も天気が良かったので、チョロっとバイクに乗ってみる事にしました。
ツーリングマップルを眺めてみると、芦ノ湖スカイラインなんかが結構近そうなので、手持ちのナビでルート検索してみると、道のりは50kmしか有りません。ちょっとお手軽すぎるような気がしたので、試しに富士山の新五合目までのルートを検索したら、なんと片道100kmです。日帰りツーリングにはちょうどいい距離じゃ有りませんか。
と言うわけで、朝7時半にNinja650Rで自宅を出発しました。
途中道が混んでいたので、有料覚悟で箱根新道に乗ったら、なんと無料になってました。なんか得した気分です。
9時半ごろ芦ノ湖スカイラインの入り口に到着し、途中のドライブインで休憩しました。
証拠写真
そして途中のパーキングで富士山をバックに写真を撮ってみました。
ここから富士山の新五合目までは40km程です。意外とすぐ着きそうです。
で、意外とすぐ着きました。
富士山スカイラインの終点、標高2400mの新五合目です。残雪が有って肌寒いです。聞けば4月28日に開通したばかりだそうです。
今年は雪が多く、売店付近で雪崩が有ったらしく、鉄のフェンスがひん曲がってました。
ここでしばらく休憩して、富士宮市街に出て、昼飯食ってのんびり走って、午後3時には帰って来れました。
私の部屋は箱根、富士ツーリングのベースキャンプに十分なりえますね。
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実は昨日は、母の命日でした。
2007年の秋に乳がんの手術をして、2009年春、皮膚への転移が見つかり、医者からもう直らない、助からないと、最後通告を受けていました。
2010年4月半ば、母の最後の入院生活が始まりました。4月20日、仕事中に家から「母の具合が悪いから帰って来い」と電話が掛かって来て、大阪の母が入院している病院まで車を走らせました。
病院に着いたのは夜7時頃。病室には父、母と妹の姿が有りました。母は点滴を打ってましたがが、自分でしゃべるし歩くし、特にそんなに具合が悪いようには見えませんでした。
私と妹が呼ばれた目的は、母から遺言を聞く事だったのです。遺言を聞いた後、先生から今後の治療方針を聞いて、病院を後にしました。
病室を出る時、母から「あんたに会うのはこれが最後や」と言われましたが、私は「そんなことないやろ」と思っていました。もうすぐゴールデンウィークだし、仕事も休みになるから、その時に改めて嫁や子供をつれて見舞いに来ればいいと考えていたのです。
その1週間後の4月27日、母は亡くなりました。
病院に呼ばれて遺言を聞いてからわずか1週間。突然容態が変化したので、母の最期を看取ったのは、私の父1人だけでした。
あれからもう2年経ちましたが、思い出すとやっぱりしみじみと寂しいものです。
先週末、今年初めての1泊ツーリングに行ってきました。
今回の参加者は、滋賀1名、富山2名、神奈川(私です)1名で、合計4人です。
私のNinjaと滋賀からのBMWは、飯田IC出口付近のりんごの里で待ち合わせ、予定通り落ち合いました。
たったの2台なのに、止め方がなんでこうなるのかは、よく分かりません。
ここから、国道県道を走って(中略)、しらびそ高原に到着しました。
道は険しいし、道端には雪も残ってるし、なかなか走り応えが有りました。
高原を下っていくと、中央構造線の路頭地域に差し掛かるので、寄り道して記念写真を撮ってみました。
そしてさらに先に進み、分杭峠を越え、高遠を通って(中略)宿に着きました。
今回の宿は、プチビラMTおんたけ です。しばらくすると、富山組も到着しました。
その後は食って、飲んで、飲んで、その後はよく覚えてませんが、目が覚めたら朝になってました。
そして出発の時。天気が怪しいので、皆それぞれ寄り道せずにまっすぐ帰る事にしました。
全員のバイクが写ってる写真はこれだけです。宿を出て4台でつるんで走って、神奈川に帰る私が離脱したのは3つ目の交差点まで。一緒に走った距離は約1km、時間にして2分足らずでした。
思えばうら若き20代の頃は、とにかく皆でバイクで走り回ってたけど、最近は宿に現地集合して宴会して解散のパターンが多くなって来ました。
オヤジ化がかなり進んでるみたいです。
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