暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

久下の渡し跡の九頭竜神石祠(熊谷市)

2018-05-03 19:07:06 | 水の神
荒川流域には多くの水の神にかかわる信仰の痕跡が残されています。

久下氏館調査の傍ら、久下の渡し跡付近にある九頭竜神の石祠を見つけました。

荒川は江戸初期の元荒川の締め切りによって、河川流路が統合され大河川化した後、

水害が増加したと言われています。

しかし、熊谷側の堤防は切れず、大里、吉見側に水害が集中し、しかも、上流の村が、

下流の村落を犠牲にして、自村の水害を免れるため、意図的に堤防修繕を行なわないなどの

行為が横行したため、しばしば大きな論争を引き起こしたとされています。

このように熊谷側の洪水負担はかなり減少していたはずなのですが、それでも、

台風などの度に堤防の口まで水が増加する光景は、恐ろしいという表現意外に無かったでしょう。


土手上の久下の渡し跡の石碑があります。





九頭竜神はこの石碑の脇にありました。






諏訪平の己已塔(皆野町金沢)

2018-03-24 15:12:58 | 水の神
わたしは、水の神様に関心があり、出先に水神がまつられていると、撮影します。

写真は、皆野町金沢地区にある、「己已塔」(きしとう)と呼ばれる水の神です。



これまで、既に男岳瀧守様を紹介いたしましたが、水神様の多い地域です。



解説板にある如く、「みみっとう」と呼ばれていたのは「巳」(ヘビ)の字に似ていたからであり、

ヘビは水の神の化身ともされることから、水神としてあがめられたわけですね。




水神③ (長瀞町)

2017-09-26 21:48:38 | 水の神
関東は大河川が多く。特に埼玉県は、関東平野という巨大な盆地の最も深い部分になるので、

川が集中してしまいます。当然、水害も多くなり、必然的に水を恐れ、水を祀る信仰が発生します。

さて、本日は長瀞の石畳です。




上の写真、お気づきになった方もいらっしゃるでしょうが、高倉健主演の『新幹線大爆破』のロケで、

使われた場所です。

現金の受け渡しを、合宿トレーニング中の大学の柔道部に見つけられてしまうシーンです。



この辺りでしょうかね。


さて、それはともかく、わたしがここに行った目的の一つは、断崖に祀られた水神の鳥居にありました。



これは子供のころから、強く印象に残っています。



拡大しても、どこをどう通ればたどり着けるのかわかりません。

よく見ると、上からつられて、落下せぬように補強されているようですね。



城館の跡とは別に、今後も、こうした自然に関する信仰の遺跡も取り上げていきたいと思っています。

水神② (旧川本町)

2017-09-25 20:13:10 | 水の神
昨日の水神石塔は、自然石を用いた大きなもので、

素朴の味わいがありました。

私の初見は、畠山重忠館跡を見に行った高校1年の夏だったと記憶しております。

当時は川がもっと深くトロリとしていたような気がしました。

いかにも、水神が現れそうな雰囲気で、静まり返った川沿いの道傍に建てられた石塔を

じっと見つめた記憶があります。

さて、今日ご紹介するのは、鹿島古墳群の中ほどにある、

元白鳥飛来地にあった水神の石祠です。



当時は町から整備費が出ていたせいか、周囲の草は綺麗に刈り払われています。



この写真は、2011年2月の写真です。

当時はまだ白鳥もいました。






2017年1月22日現在、白鳥飛来地として管理予算もおりなくなったため、石祠の周辺にはつる草がびっしりと

繁茂して、石祠のあったはず場所もわからない始末です。

ですが、ロウバイが植えられており、その花を見にお客さんがちらほら来ていました。





水神① (旧川本町)

2017-09-24 20:58:50 | 水の神
城館跡のような遺跡、史跡巡りをしていると、どうしても、様々な石造遺物などに

関心が向くようになります。

熊谷大麻生には増水時に水没する、押切橋という冠水橋がありました。

現在ではこの橋は撤去されて残っていませんが、熊谷側から押切橋を渡ると、

庚申待ちに関係する石像が多く、また、そこからすこし上流に向かって走ると、

すぐに鹿島古墳群がありました。

他の古墳群と同様、鹿島古墳群周辺のあぜ道からは細かく割れた土器片が顔を覗かせていました。

ただ、あまりに細かな破片だったので、そういったものを拾って歩く楽しみは薄かったように記憶しています。

さて、荒川沿いを植松橋に向って走り、旧川本高校脇を抜けて、植松橋の上を通過してくる道路を横切ると、

川沿いの道路に水神を祀った大きな石塔があります。



解説板にもある通り、この地域は川の恩恵を受けて暮らしが成り立っていたようです。



実は、鹿島古墳群のそばにある荒川白鳥飛来地の河原に降りる場所にも、水神が祀られていたのですが、

現在は、鳥インフルエンザ対策のために、白鳥の餌付けをやめたため、観光客が減り、

荒れ果てて、水神の石祠は行方不明になっております。