暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

番外編 木原城(茨城県美浦町)

2018-09-30 15:28:35 | 城館跡探訪
今年の夏は、所用で茨城県に行きました。

そこで、いくつか史跡を訪ねましたので、紹介いたしたいと思います。

木原城は土岐氏配下の近藤義勝が城主となりました。

後に、北条氏と佐竹氏の争奪戦の舞台となったそうです。

木原城は霞ヶ浦に面した台地上にあります。北に向かって台地は岬のように飛び出しています。

現在、霞ヶ浦の周囲ががっちり築堤されていますが、当時は台地の足元まで湿地帯だったと推定されます。

本丸は岬状に飛び出した台地の、一段下がった部分にありますが、これは霞ケ浦周辺低湿地が要害となっており、

敵の攻撃はもっぱら背後(南側)の江戸崎方面の台地伝いにくるものと想定されていたのだと思います。

大手口も南側にあり、南側から三の丸、二の丸、本丸の順に配置されております。



今回は霞ヶ浦側から本丸に入っていきたいと思います。



ここには弁天郭という郭があり、本丸に直接的が侵入するのを防いでいたようです。



坂を上って本丸へと入ります。



虎口があります。地形をうまく利用しており、両側から矢を浴びせかけられるようになっています。。






本丸虎口の左側に稲荷神社があります。

本丸に入る前に、この神社から見学してみます。







稲荷社は土塁上にあります。









夕方に来るとちょっと怖いでしょうね。

土塁は深い空堀に囲まれています。











次回は、本丸内についてみたいと思います。

蓮沼氏館跡 1985年(深谷市)

2018-09-29 22:11:39 | 城館跡探訪
深谷市の北部の蓮沼地区には蓮沼氏館跡があります。

かつては土塁が残存していたということですが、レンガ原料用の粘土として

採掘されてしまい、消滅してしまったとされています。



水田になっているという話でしたが、私が訪ねた折には写真の通りネギ畑になっておりました。

道路標識がいかにもクラシックな感じです。

これも、高校の帰りに深谷まで行って撮影したものですから、夕方のうす暗い写真になっています。

ここには、深谷出身でこの館跡付近に住んでいた友人の帰路、資料を一緒に検討して

案内をしてもらったのでした。

まあ、彼も片道13kmの道程を自転車で通っていたのですからえらいものでした。


福田馬頭観世音(滑川町)

2018-09-29 14:50:02 | 神社仏閣・その他
今回は、滑川町にある福田馬頭観音を紹介いたします。

訪問日は2018年08月18日です。

福田馬頭観音は熊谷方面から森林公園方面に向かう旧有料道路(今は有料ではない)を南下すると

右側にあります。

滑川町の山すそにあるひなびた雰囲気のいいお堂です。







縁起では、この観音堂の歴史は宝亀9年(778年)までさかのぼるという歴史あるものです。

福田馬頭観世音は地元では結構有名で、隣の死に住んでいる私も小学校のころから

名前は聞いたことがありましたが、実際に行くのは今回が初めてでした。





滑川町は景観が非常によく、落ち着いた山里の雰囲気があります。









天井にはかつて彩色画が描かれていた痕跡が残されており、

近隣の住民の崇敬を集めていたであろうことが偲ばれます。















お堂の背後には、「建長板石塔婆」があります。










観音堂の奥には成安寺という寺院があります。





このお寺の参道には、たくさんの石造物が並んでいます。


























庚申塔が多く、当地の庚申信仰が非常に盛んであったことをうかがい知ることができます。

水神宮(妻沼町)

2018-09-28 20:49:46 | 水の神
深谷の増田氏館跡を探している途中でこんな祠を見つけました。

福川の河畔にある水神宮です。









現在では整備が進み面目が一新された福川ですが、以前は、とろりとした流れの弱い川で、

青黒いような水の中から河童でも出てきそうな川でした。

わたしはよく斎藤氏の館の近くで釣りをしたものでしたが、

秋になると、水が澄み、たくさん魚が釣れたのが記憶に残っています。

2018年08月13日 訪問

山田城(滑川町)②

2018-09-28 17:41:48 | 城館跡探訪
山田城跡は、郭内に分割を意図したかのような土塁・空堀は存在するものの、

その分割は未完成です。

さて、踏み跡をたどって、郭内部に残存している遺構を探します。

昨日書いた南側東端の虎口以外に、南側中央にある虎口です。








水道がひかれていますが、利用する人もあまりいないようです。




南側の土塁から郭内部に向って突き出した土塁です。郭内を分割する意図をもっていたのでしょうか?

高さはそれほどありません。









もう一度、郭中央の一番大きな土塁(あるいは櫓台跡)の周囲をもう一度見てみます。

空堀のなかにも降りて撮影しました。













どうも昨日のものよりこちらの方がわかりやすいですね。


最後に、南側東端の虎口とです。






撮影した写真は極力お見せするというのが、本ブログの方針なのですが、

昨日は少し詰め込み過ぎた気がしました。

量的に見ても、3~4回に分けるべきだったと思いました。



山田城跡は、以前の芝生広場であった時代には、もっとよく観察ができたであろう遺構も、

かなり草木が繁茂してしまい、あるはずの土塁のいくつかは確認できませんでした。

さすがにスズメバチなどの気配はなかったのですが、それでも、むやみにやぶに踏み込むのはためらわれました。

森林公園は、レクリエーションを通じて自然に親しむ場から、花見のための庭園の整備へと管理の方針が変わって、

レクの場の代表的存在だった山田城跡は置き去りになっているような気がします。

同じ日に訪ねた山崎城跡については、また後日書きたいと思います。