今年の夏は、所用で茨城県に行きました。
そこで、いくつか史跡を訪ねましたので、紹介いたしたいと思います。
木原城は土岐氏配下の近藤義勝が城主となりました。
後に、北条氏と佐竹氏の争奪戦の舞台となったそうです。
木原城は霞ヶ浦に面した台地上にあります。北に向かって台地は岬のように飛び出しています。
現在、霞ヶ浦の周囲ががっちり築堤されていますが、当時は台地の足元まで湿地帯だったと推定されます。
本丸は岬状に飛び出した台地の、一段下がった部分にありますが、これは霞ケ浦周辺低湿地が要害となっており、
敵の攻撃はもっぱら背後(南側)の江戸崎方面の台地伝いにくるものと想定されていたのだと思います。
大手口も南側にあり、南側から三の丸、二の丸、本丸の順に配置されております。
今回は霞ヶ浦側から本丸に入っていきたいと思います。
ここには弁天郭という郭があり、本丸に直接的が侵入するのを防いでいたようです。
坂を上って本丸へと入ります。
虎口があります。地形をうまく利用しており、両側から矢を浴びせかけられるようになっています。。
本丸虎口の左側に稲荷神社があります。
本丸に入る前に、この神社から見学してみます。
稲荷社は土塁上にあります。
夕方に来るとちょっと怖いでしょうね。
土塁は深い空堀に囲まれています。
次回は、本丸内についてみたいと思います。
そこで、いくつか史跡を訪ねましたので、紹介いたしたいと思います。
木原城は土岐氏配下の近藤義勝が城主となりました。
後に、北条氏と佐竹氏の争奪戦の舞台となったそうです。
木原城は霞ヶ浦に面した台地上にあります。北に向かって台地は岬のように飛び出しています。
現在、霞ヶ浦の周囲ががっちり築堤されていますが、当時は台地の足元まで湿地帯だったと推定されます。
本丸は岬状に飛び出した台地の、一段下がった部分にありますが、これは霞ケ浦周辺低湿地が要害となっており、
敵の攻撃はもっぱら背後(南側)の江戸崎方面の台地伝いにくるものと想定されていたのだと思います。
大手口も南側にあり、南側から三の丸、二の丸、本丸の順に配置されております。
今回は霞ヶ浦側から本丸に入っていきたいと思います。
ここには弁天郭という郭があり、本丸に直接的が侵入するのを防いでいたようです。
坂を上って本丸へと入ります。
虎口があります。地形をうまく利用しており、両側から矢を浴びせかけられるようになっています。。
本丸虎口の左側に稲荷神社があります。
本丸に入る前に、この神社から見学してみます。
稲荷社は土塁上にあります。
夕方に来るとちょっと怖いでしょうね。
土塁は深い空堀に囲まれています。
次回は、本丸内についてみたいと思います。